中欧、東ヨーロッパにおける美術や現代アートは未だ日本人には未開、もしくは情報があまり届いてない現状があります。それは地政学や政治問題ばかりが表面化し、芸術文化が政治体制を基盤にして語られている側面が多く難しく感じられるからかもしれません。また、歴史的に美術のようなハイアートは貴族王族のものでありました。現代でもアートコレクター、ギャラリーなど基本的には経済的水準が高い国が多くあり、そういった観点からも共産主義下にあった中欧・東欧のアートは未だマイナーと言っても過言ではないでしょう。しかし、国境、民族、宗教、言語が複雑に混じり合っている中欧・東欧の芸術文化や歴史は大変興味深いものがあります。
中東欧の文化的景観はユニークで活気に満ちており、前世紀の間に地政学的、民族的、社会的に様々な出来事によって形作られてきました。絵画、彫刻、舞台芸術など、芸術はこの地域の歴史に大きな影響を与え、時代や影響の移り変わりを映し出してきました。今回は、地政学的、民族的、第二次世界大戦後の影響、そして社会主義体制とその後の民主主義への回帰がこの地域内の前衛芸術や国際的なアートシーンにどのような影響を与えたのか。かなり広い範囲を一つの記事にまとめることはとても難しいことですが、今回表面的な導入として、中・東欧の芸術を探っていきます。
-地政学
中東欧の歴史は長く複雑であり、この地域の芸術はそれらの境界線、動き、影響を反映しています。
何世紀もの間、この地域は帝国やイデオロギー体系の戦場となり、文化や芸術に忘れがたい足跡を残してきたのです。この地域の美術は、その歴史のさまざまな局面で、西ヨーロッパやロシアからの強い影響を受けて形作られてきました。つまり、この地域の芸術と他国の芸術との間に強い結びつきがあり、その結果、中東欧の芸術は独自のスタイルを確立することができたのです。
第一次世界大戦前の中東欧には、異なる民族や文化集団が存在し、それぞれが異なる言語を話し、異なる信仰を抱いていました。ポーランドのスラブ絵画やアルメニア美術の絵画など、それぞれの地域で行われていた芸術は、その地域の文化や民族に類似している場合がほとんどでした。ハンガリーキュビズムやルーマニアの未来派のように、国家間の緊張が高まり、帝国が移動すると、その地域の芸術は適応していきました。20世紀に入って帝国が崩壊すると、芸術作品もまた変化し、ナショナリズムをテーマにしたものや、新しく形成された国や地域を代表するものが再び登場します。
-エスニック
中・東欧の文化の多様性は、芸術の深化に貢献してきました。多くの素晴らしい芸術作品や文化の解釈は、さまざまな民族や、絶えず変化する風景に対する彼らの考えから生まれました。
この地域には数多くの民族が存在し、それぞれが独自の習慣、宗教、言語、芸術的伝統を持っています。そのため、異なる文化や伝統が絶えず交流し、活気に満ちた多様なアートシーンが生み出されています。
例えば、18世紀から19世紀にかけてのプラハの画家たちは、ボヘミアやモラヴィアのユニークな芸術様式を取り入れ、質感の高い、生き生きとした芸術様式を生み出しました。また、この地域ではロマ(ジプシーとも呼ばれる)の文化も大きな役割を果たし、彼らの伝統工芸や音楽は中・東欧の芸術や文化に大きな影響を与えました。多くのロマのアーティストたちは、自分たちの伝統文化を自分たちのアートやパフォーマンスに融合させ、アートシーンの重要な一翼を担うようになったのです。
-第二次世界大戦後
第二次世界大戦の終結により、中東欧では新たな国境、政府、世界観が形成されました。 この地域は二つの異なる政治ブロックに分割され、二つの異なるタイプの統治を受けることになりました。その結果、絶望感、不安感、恐怖感を特徴とする独特の美学が生まれました。この地域が再建されるにつれ、この地域の芸術は闘争と回復をテーマとし、また分断された世界での生活の苦悩を探求するようになったのです。
-社会主義体制
東欧の多くの国々と同様、ソビエト連邦はこの地域の芸術と文化に大きな影響を与えました。その支配下で、芸術はソ連がこの地域の支配を維持するための道具となっていきました。芸術家は、党のイデオロギーを支持し、社会主義国家という考えを促進する作品を制作するよう奨励され、その結果、膨大な数のプロパガンダポスターや公共彫刻が生み出されました。
同時に当時の芸術は、社会正義や平等を求める闘争をテーマにしたものが多く見られました。多くの芸術家が、この時代に蔓延していた搾取、抑圧、不正のテーマを探求することを選び、声なき声を作品に込めていきました。この時代の芸術は、この地域の人々が時代の暗闇の中で耐え忍ぶ、希望と回復力のテーマも探求しています。
-前衛から現代の芸術家たち
スターリンによる芸術統制が終わり、新しい自由が与えられたことで、芸術家は報復を恐れることなく伝統的なテーマや現代的なテーマを探求し、インスタレーションアート、パフォーマンスアート、コンセプチュアルアートといった新しい表現形式を生み出しました。
政治的、社会的な混乱期を経て、1990年代、中東欧の美術は変革期を迎えました。モダニズム、表現主義、シュルレアリスムが混在する前衛的な芸術家が登場したのです。この新世代のアーティストたちは、社会主義体制の束縛からの脱却を目指し、自由、個人主義、自己表現をテーマとした作品を多く発表しました。
ハンガリーのアール・デコから、チェコのヤン・ズルザヴィ、他に色彩派、ポスト印象派まで、さまざまなスタイルやムーブメントが台頭し、人気を博しました。また抽象絵画や表現主義作品など、あらゆる芸術が花開いた時代でした。第二次世界大戦後は、ハンガリーのネオアヴァンギャルドやチェコのシュルレアリスムなど、前衛芸術から現代芸術への移り変わり、世界的に知られるようになっていきました。
-まとめ
20世紀の中東欧のアートシーンは、驚くほど多様性に富んでいました。中東欧の美術は、地政学、民族性、第二次世界大戦、20世紀の社会主義体制によって形成された、長く複雑な歴史を持っています。1989年にこの地域の共産主義体制が崩壊するまで、新しい世代の前衛芸術家が出現し、新しく刺激的な方向性を模索し始めたのでした。この劇的な変革の時期には、活気に満ちた多様なアートシーンが生まれ、今日に至るまで進化と発展を続けているのです。