写真引用元 : https://www.kunstakademie-muenster.de/aktuell
ドイツは留学、旅行、仕事などで世界トップの人気国です。また、年間2000人前後の日本人がドイツへ留学するなど、日本人とドイツ人の友好関係、人の気質的にも相性がいいとも言われています。そんなドイツへ現在留学しているアーティスト宮野賢介さんに「ドイツとアートについて」「海外留学での苦労」などを伺いました。今回は前編・後編の2記事に渡ってお伝えしていきます。
宮野さんは日本の大学卒業後、1年半をかけて自力で留学資金を貯め、ドイツのアートを目指して旅立ちました。ドイツ留学8年目となる現在は、ミュンスター芸術大学でドローイング・インスタレーション・映像を用いて様々な表現をしています。インタビューでは、現場でしか味わえない様々な経験を語ってくださいました。
ー日本の大学卒業後
日本では、とある大学の芸術学部に通いながら、大学の友人たちとインディーズバンドを集めてライブを企画するというオーガナイズ活動を続け、イベントの開催、それに関係するデザインなどを担当していました。
そんな4年間を過ごし卒業間近となり、「もう一度きちんと美術の勉強がしたい」という思いが日に日に強まっていた時。たまたまアーティスト奈良美智さんのインタビュー記事を読み、あるドイツの美術大学について知りました。そこで、とくに驚いたことが2つあります。まず、学費が無料という事。そして日本とは違う試験方法。それは、「パッションに溢れたドローイングを20枚提出すること。さらに、デッサンは日本のように緻密でなくて良い」。
これを始めて知った時「ドイツの現代美術なんてわからない。だけどドイツでアート留学をしたい」と思いました。そして、無茶をして何かを達成していくのが好きだった事もあり、安直な考えと勢いでドイツ留学を決断しました。目標が決まれば、そこからの行動は素早く決められ、イベントチームを辞め、卒業し、バイト生活に1年半明け暮れました。
ー日本での貧乏生活の様子
貧乏なことよりも、お金が着々と増えていく様子が楽しかったです。20万の給料の中で10万を貯金していき、1年半で150万貯められた時は自分に自信を持ちました。
友達と共同生活をしながら、家電量販店でバイトをやり続けました。接客の仕方が一辺倒で口下手な自分、会社でのチームプレイやコミニケーションが難しく、社会に適合できない事にショックを受けました。ちなみに10年後の今では、その問題が改善できました。と言うよりも、そうならないと海外では生きていけませんでした。
海外は日本と違い融通が利きません。例えばビザ更新などで「言葉の理解が出来なかった。」なんてことは許されません。判断を1つでも間違えれば帰国しないといけないリスクがあります。逆にその状況のおかげで強制的に適合しなくてはならなくなり、その結果、今があるのでよかったです。
ー留学先をドイツに決めた訳
奈良美智さんのドイツ留学のインタビュー記事がきっかけになりましたが、他の国の留学も、もちろん考えました。英語圏という理由で魅力的だったアメリカ・イギリスは学費が高かったので諦めました。
インテリアデザイン、建築デザインが有名なオランダも候補地の1つでしたが、自分の目指していた方向性とは違いました。そのタイミングでゲルハルト・リヒター を知り、日本では見た事のない絵画にショックを受けたことが、留学先をドイツに決めるきっかけのひとつとなりました。
ですが、「ドイツに行く」と決意してから、僕はお金以外の準備はしていませんでした。ドイツ語を勉強する訳でもなく、美術館に通う事もなく、ただひたすらバイトから帰ってからは家で絵を描く日々でした。 お恥ずかしい話ですが、この時点では私の現代美術の知識はほぼ0です。
ードイツに行ってからの様子
1年目は、語学学校に通いながら大学探しをしました。ドイツは語学留学で学生ビザが取得できます。その間に、大学のリサーチや人脈作りをしました。
外国にいるのに日本人同士で群れてしまうことへの是非がありますが、一概に悪いことだとは思いません。語学学校での日本人作家との出会いから、他の作家へとコネクションが広がり、沢山のアート情報を教えてもらいました。そのおかげで自分が知らなかった大学を受けることができました。
しかし、周りの人には自分のポートフォリオを見せるたびに酷く否定され落ち込むことも多々ありました。 「ナメるな。」「こんな作家も知らないのか。」「こんなのアートじゃない。」「自分探しの為に、海外来るとかどうかしてる。」 数年間に渡り、このような意見を言われ続けました。しかし、何年も美術を勉強してきたデュッセルドルフにいる日本人作家や現地の美大生からの意見だったので、仕方がないことだと思いました。
この時の経験がとても悔しかったおかげで、頻繁に美術館へ通ったり、本を読んで作家を調べたりリサーチに時間を割くようにしました。今でも制作活動以外の時間を作っています。他にも、自分から交流の輪に意識的に入り、アドバイスをもらえるように心がけました。もちろん勉強した分、分からなかったことが分かるようになりましたが、すぐに美術の知識が付くわけも無く、しばらくダメだしされる年月が続きました。5〜6年でようやく作家同士で作品について話すための最低限必要なボキャブラリーがそろったという感じでした。
ードイツの大学受験の実態
ドイツのアート関係の大学は、20枚のドローイングの提出が基本ですが、映像作品のUSBを3〜5個提出することもあり、受験生ごとにアプローチは人それぞれです。もちろん日本と同じように受験と、面接が一緒の大学もあります。日本のように精密な静物デッサンは即不合格だそうです。教授たちは技術をみたいのではなく、その人たちのポテンシャルをみて判断の一つとしていくようです。
前編は、日本の大学を卒業してからドイツの大学を受験するに至るまででした。後編では合格後から卒業間近の現在までのお話をご紹介します。
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