「現代アートギャラリーのキュレーター戦術」~ 中欧・東欧の芸術 ~

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 一般的な芸術の世界史は、政治や経済、そして争いの勝者が作ってきたことは事実の1つでしょう。その中で、地政学的に常に被害にあってきた、ヨーロッパの中欧・東欧地域の芸術は、その長い歴史と民族の多様性が残した芸術作品や、現代においてもとても興味深い作家や施設があるにも関わらず、あまり光が当たっていないのではないでしょうか。

日本やアジアでは、西ヨーロッパとアメリカを中心とした芸術史の情報が多い中、今回アートサバイブログでは、「もう一つのヨーロッパ芸術」と題し、中欧・東欧出身の様々なアート業界のゲストを招き、芸術日本大学芸術学部にて講義を行いました。本記事は、その内容のアーカイブを編集してまとめたものになります。 

今期第一回目は、ハンガリーの首都ブダペストを中心に活躍する現代アートギャラリー、Longtermhandstand のキュレーター兼ギャラリストのPeter Bencze(ピーター・ベンツェ)氏をお招きしました。当ギャラリーは、絵画やコンセプチャルアートを中心に、個展やグループ展、国際アートフェアに精力的に参加し、ブダペストで現在最も注目されるギャラリーの一つです。「“Everybody Needs Art ” ~現代アートギャラリーのキュレーター戦術~」という講義タイトルで、現代美術を扱うギャラリストが、アートとどう向き合っているのか、また若手作家たアートフェア、または現在のアートの状況などについても伺えればと思います。

それでは、以下ベンツェ氏の講義内容になります。 

 私はピーター・ベンツェ(Peter Bencze)です。Longtermhandstand のギャラリストとして、また、2013年に設立しました Everybody Needs Art の非営利のセクターも扱っているハイブリッドアートエージェンシーとして仕事をしています。今まで、アーティストや協力者と一緒に、世界中で100以上のプロジェクトを実現してきました。主に、展示会の開催を中心とした活動をしながら、現代アートをシンプルな手法で日常生活に取り入れることに取り組んでいます。プロジェクト活動していく中で、アーティストとの非常に良い関係を築くこと自体も、わたしたちにとって非常に名誉あるものであるものとなっています。このアーティストの関係がブランド化したものを、パートナーのRéka Lőrinczと一緒に、「Long Term Handstand」(“長期的逆立ち”)というオーガニゼーションを2022年に設立しました。ネーミングはつまり、私たちが長期的なビジョンを持って、現代アートの分野で逆立ちしているというメッセージを伝える単語です。どのような役割であれアートに携わるなら、長期的に考える必要があります。逆立ちは、ギャラリストやアーティストなど、アートに携わる者として常に直面する状況です。逆立ちではバランスをとることも必要です。

今回、近年のブダペストを中心に私が素晴らしいと思う現代アーティストのランダムに複数の写真を用意しました。まずは、ハンガリーの若いアーティスト、マートン・エミル・トゥです。彼は一般的彫刻手法と、既製のオブジェクトを混ぜて制作します。この、約20 x 25 cmの砂場のような作品が、Ludwig Museumで開催される展示に出店されました。 

次はコロナ時代に戻りますが、私たちは世界的な問題に直面し、自分たちを閉ざす方法へ向かっていました。ロックダウン時などは、外出もできないことが多くありました。そこでキュレーターとして、自然に近い距離でアート作品を展示することでこのような状況を打破していく方法を思いつきました。3 人のアーティスト、Botond Keresztesi、 Ádám Ulbert、 Tom Volkaertを招待し、1 日限りの展示会で、人々が作品に触れ、作品を持って歩き回り、ランダムな場所に配置できるようなプロジェクトを実現しました。散歩などで森の中を歩く人たちにも好評で、とても興味を持った反応をしてくれました。このプロジェクトについて、ロンドンを拠点に活動している作家でキュレーターの、Sonja Teszlerにナラティブを書くように頼みました。この企画は、アートジャーナルの表紙やアートVIなどのアートメディアにも大きく取り上げられ、コロナ時のアートアーカイブとしても興味深いアイデアでした。

写真では、Lorincz Aron が作業中です。ところで、アーティストに基本的なヒントや戦術で重要なことを教えてほしい講義目的の一つにありますが、まこれが最初の1つになるかもしれません。アーティストの皆さんにお願いしたいのですが、可能な限り「作品にサイン」をしてください。これは、市場と取引する時や、大学や美術館の後に、世界に出て行くときにとても重要です。美術館、美術史家や評論家は作家がどんなことに取り組んでいるのかが重要ですが、一方、キュレーターやギャラリーにとっては、サインがあるかないか、これは本当に重要なポイントだと思います。 

次の写真はDorottya Vékonyです。彼女も若い世代の写真家で、最近は、身体とどのように身体を再現できるかを日々考えています。そして、例えば生物学的な理由やトラウマ的な理由で子供を持てない女性の場合、どのようにトラウマを取り除くことができるか、そして子供がいなくても社会の普通の一員になれるかなどが近年の作品にはあり、本当に勇敢な実践を行なっていると思います。また、写真という媒体で、非常に強い伝統と芸術史の参照や位置づけを持っています。ハンガリー出身のロバート・キャパやその他様々な写真家達の影響は、写真に携わるすべての若者にとって非常に重要であり、素晴らしい遺産だと思います。ドロティヤの髪の毛とパンの作品シリーズは、ある意味とても不快ですが、とても刺激的でもあり、良い意味で嫌悪感について議論するメディアになっています。

次のアーティストは、現在ベルリンを拠点とするハンガリーのアーティスト、János Brücknerです。彼は、ポストインターネットペインティングを代表する作家です。今ではポストインターネットという言葉は古臭い、あるいはあまり理解されていない言葉ですが、10年前は台頭しつつあったものです。彼は、画家自身のロマン主義を打ち破りたいと考えていた人物で、ステレオタイプの頭にスイス帽を被ってパレットを使ってヌードを描くようなこの種の絵を、どのようにアップグレードできるかに非常に興味を持っていました。また、彼のニューキャッスルでのアーティスト・イン・レジデンスでの経験では、ソフトウェアで共同作業できるJPEG 画像を空白のキャンバスに投影して画像を印刷したり、人々が機械を模倣またはコピーするデジタル手作業との差異などに興味や疑問を抱かせました。彼は2014~15 年頃の「人間と自然」と呼ばれる作品で、機械や AI の時代における現代の疑問や葛藤などとよく合っています。痛みは死んでいるのか、それともアートの未来はどうなるのか。これらはそういった意味でも非常に重要なイメージだと思います。

次の作品は、アーティストのデュオLőrinc BORSOSRéka Lőrinczによる十字架刑をモチーフにした大理石による作品です。図像学やその他のポップカルチャー的なものを使って、大学時代からポリティカルアーティストとして現在はとても主要な人物となりました。音楽にも興味があり、実験音楽も手がけています。 

「晴れた日にはもっと影を」など、Nora Turatoはクロアチア出身のアーティストで、言葉やテキストベースのイメージを作り上げています。皆さんに彼女の作品を見てみることをとてもおすすめします。

次は故、 OMARA Mara OLÁH の作品です。彼女はとても有名な作家であり、私にとって3番目の祖母と言える存在で、今でも私の人生のヒーローの一人です。世界で最もフェアでリベラルな人物でした。残念なことに2020年に亡くなりましたが、2022年のドキュメンタに出展して以来、世界の芸術機関が彼女に興味を持ち、彼女のアーカイブを研究しています。ですから、私たちはこの残された遺産と協力して、国際的なアートシーンでより高いレベルに引き上げることに取り組んでいます。彼女は画家であり、最高のパフォーマンスアーティストの一人でもありました。彼女と一緒にいると、まるで24時間演技と演劇の中にいるようで、関わる人々と共演しているようなとても魅力的な方でした。

オマラは1945年に生まれ、1988年に独学で絵を描き始めました。最初は、ヌードや身の回りのあらゆる物を描くなど、基本的なスキルを習得しましたが、その後、彼女は自分の周りのものに興味を持つようになり、ある時、彼女は葬儀のパーティーを描きました。ジプシー文化では、葬儀には大きなパーティーがつきもので、その人を祝うために大きなパーティーが開かれるからです。彼女は片目しかなく、もう片方はガラス製です。オマラは、パーティーで踊っている間にガラスの目を失ってしまいました。それは草の上に落ち、彼女は4本足で歩き、自分の目を探していました。その体験から、写真左の、草むらにでガラスの目を見つけたシーンを描きました。キュレーターはこの作品を展示し、キュレーターは作品に「マーラが草むらで休んでいる」というタイトルを付けました。マーラが美術館に行って作品を見て、絵の横にある小さなプレートを見たとき、彼女は自分が誤解されたことに激怒しました。絵は実際には草むらで休んでいることについてではありませんでした。そこで彼女は油性マーカーを買って美術館に戻り、絵の上に、当時の状況の真相を書いたのでした。それ以来彼女は絵のメッセージを書くことにとても熱心になりました。マーラにとって重要なのは、メッセージを伝えるには、最もシンプルで率直な方法で伝える必要があったのです。写真右は、愛と感謝をテーマにしたもので、彼女の生活が色こく影響されています。例えば、この作品 “キス”は、7 x 2 cmと非常に小さい作品で、切り抜いたタバコの箱に描かれています。基本的に、オマラは、生涯の最後の10年間はテレピンで絵を描くのをやめました。喫煙者であった彼女は、喉を痛め、テレピン油の匂いに耐えられなかったからです。そこで、彼女はタバコの箱を切り抜くというアイデアを思いつきました。しかし、これはとてもおかしく矛盾しています。なぜなら、タバコが喉を痛めていたから、彼女はテレピン油に耐えられなかったのかもしれないからでした。だから、タバコの箱を切り抜いてアップサイクルするという行為のようなものだったのかもしれません。そして彼女は生涯で何千ものこの絵を描きました。

次はセルビアのアーティストで、ロンドンを拠点に活動している、Maja DJORDJEVICです。彼女は、具象絵画の分野で最も重要な国際的プレーヤーの1人であり、また、このデジタルワードをアナログな方法でどのように使用するか、そしてこれらのデジタルワードの効果についても語っています。ちょうど昨夜、インスタグラムに10年前に彼女がピクセルガールズを始めたという投稿がありました。この10年は、私たちがスクリーンに接する方法が世界で変化した10年だと思います。10年前はスクリーンを見る時間が今ほど長くなかったかもしれません。そして、写真からわかるように、退屈して何もしないことも創造性のプロセスとして重要だということです。だから私は、すべてのアーティストに、退屈して何もしない方法、集中や瞑想する方法、電話だけでなく家族や友達などすべてのものをオフにして、自分の内面の活動や必要なものに集中する方法を見つけることをお勧めします。

アーティストとして遊ぶ、チャレンジすることはとても重要だと思います。私たちは何かを確立すると、このような状況や境界から抜け出すのが怖くなります。周りの目も気になるでしょう。しかし、本人が思っているほど誰も気にしません。常に楽しむ方法を見つけるにはどうすればよいかだけを考えてください。なぜなら、あなたと常に一緒にいるのはあなただけだからです。自分自身と遊ぶこと、それが人生で最も重要なことです。彼女の写真にはこれがあり、美しくて素敵な写真だと私は思います。 

これはマヤの重要な作品で、「I win」と呼ばれています。誰が勝者か。これは、最近のオリンピックでは誰が勝者で、誰が最高かという点を的確に表しています。もちろん勝って成功するのは本当に良いことですが、本当の成功は1位になることかどうかはわかりません。もちろん、世界のすべてが競争的です。家から出れば、毎日何千もの競争があります。これに私たちはどう対処し、人生で満足感をどのように見つけるかという問題です。勝つことではなく、参加すること、本当に親しい人や本当に愛している人などと一緒にいることが大切だという考え方を私は支持しています。

次は、展示会の開催は、私にとってメッセージを受け取る、あるいはコミュニケーションツールのようなものです。ですから、さまざまな場所にあるオブジェクトをどのように扱うか、どのような場所、組み合わせで配置し、人々にどのようなメッセージを伝えることができるかなどにとても興味があります。私が展示会を企画しているとき、鑑賞者や関係者からコメントや意見をもらい、それが私に新しいアイデアや自身の存在についてなど、新しい疑問を与えてくれます。絵画でさえ、それをどう扱うかは難しく、壁にイメージを置くのは簡単なことではありません。もちろん、釘が2本とハンマーがあればできますが、何層にもある思考や決断があり、すべての場所、オブジェクトなどその時々で違います。

これはGábor PINTÉRの展覧会で、2019年のコロナ禍中に開催しました。これは、AQBプロジェクトスペースで、彼にとって400平方メートル以上を広さでの展覧会の1つで、本当に特別なものでした。この作品は国立美術館の常設コレクションになり、私はそこに行くたびに、このアーティストと一緒に展覧会を開催することができ、今では多くの人がこの常設コレクションでそれを見ることができ、本当に素晴らしいことだと思います。作家は想像し、創り、制作が完了して仕事は終えることになりますが、オブジェクトの寿命が終わるわけではありません。それは始まったばかりで、それ以降、何が起こっているのかを追いかけることができるということです。

 写真右のように、身体の健康と制作はとても重要で、私はアーティスト全員に腕立て伏せやエクササイズをすることを強くお勧めします。そして、自分の体を大事にしてください。なぜなら、自分の体は芸術家としてのキャリアにおいて非常に重要になるからです。良い身体がなければ、自分が良いアーティストであるかどうかが人々に認識されるのを数十年待つことはできませんので。 

次の展覧会はスロバキアのKosiceという街の、プールでの展覧会です。アートフェスティバルなどでは、古いガレージからプール、公衆トイレなど、あらゆる場所で展示会を開催できるという点で、とても興味深いです。アーティストは、自分が興味のあるものを見つけなければなりません。特定のテーマやアイデアがあれば、表現の場にたどり着けば、どんな場所でも自由に自分を表現し、自分のアートを披露することができます。ですから、こういったやり取りや実践的な経験は大変でありますが、このような自由があることもとても重要だと思います。新しいアイデアが生まれ、大きな成功を収めることができるからです。 

ここは、私が最近使用しているスペースで、ギリシャの島にある小さな漁村の山の中にあり、ここに何年も前から気になっていた建物がありました。写真で拝見していて、いつかそこに行き、展示会を開こうと考えました。何人かのアーティストに、この場所に合う作品を貸してもらいました。普段は人がほとんどいない山里に、一日だけの展示をしたのですが、展示当日はたくさんの人が来てくれました。アートが空間や場所を活性化できるという本当に素晴らしい経験でした。これは、場所を活性化することで社会を活性化するというアーティストの主な役割でもあるかもしれません。 

ところで、アート市場とアートの歴史は別物である可能性があります。ピカソやマルセル・デュシャンについて考えてみると、マルセル・デュシャンはコンセプチュアルアートや、今あるものについて考える可能性を生み出してくれました。しかし両者のアート市場のパフォーマンスを比較すると、ピカソの作品は数百万ドルで取引されるのに対し、デュシャンの作品は、数千ユーロで取引されることがあります。両者どちらも重要で意義がある活動をしましたが、これは先程述べた別物である可能性があるとこを意味します。ちなみに、私は理想主義的で、デュシャンは彼自身が楽しんでものを創る人だと思う理由で彼を好みます。ともあれ、もしあなたが、美術館レベルで成功したキャリアを持ち、多くの非営利団体があなたに協力し始めたとしても、必ずしもあなたの作品が数百万ドルで取引されるとは限らないということを心に留めておかなければなりません。制作活動の中で、自分が何を達成したいのかを知ることもとても興味深いことです。

上の作品はハンガリーのアートシーンで最も成功している画家の一人と言える József CSATÓです。写真右の作品から伝えたい私のメッセージは、作品を別の角度から認識することです。これは、すべての学生へのヒントにもなり得ると思っていますが、自宅部屋など、実際に作品が飾られるだろう場所を想定してみることです。制作過程においても、100%確信が持てない作品でも、100%確信が持てる作品でも、それを実際に置いて、それと共に生活してその感覚や感触を実験してみてください。スタジオでは何かに満足できますが、作品を持ち出すと突然その幻影が失われることがあります。この環境や状況を変えて客観的に、そして日常生活で体験することは本当に重要だと思います。もちろん、自分の作品を買いたい人が、自分の作品とともに自分自身をどのように感じるか、このような考えを持つかと想像することもとても重要だと思うからです。

すべてのものにはエネルギーがあり、こうしたオブジェクトやアート作品には非常に高いレベルのエネルギーがあります。良いこともあれば悪いこともあります。あなたにとって良いものが私にとっては悪いこともありますが、とにかく体験してみてください。こうしたことを心に留めておくのは本当にいいことだと思います。なぜなら、あなたにとっての家は、日常生活における磁場とも呼べる最も重要なものであるからです。

次の左の作品もオリンピックについてです。日々の仕事をしながら、そして生活の中で、私たちはさまざまな状況に直面し、そこからインスピレーションを受けることができます。

これは、ハンガリーのアーティスト、現在はトルコに拠点を置いているOttó Szabó Robotto の作品です。2016年に、オリンピックを観戦しながら描いた小さな絵をロボ・オリンピックというシリーズにしました。ボクシングから卓球、プールなど、あらゆるスポーツやジャンルを描き、大成功を収めたシリーズです。身の回りにある日常のものをインスピレーションに使うことができます。

彼は鉄を使ってロボットのような作品を制作しますが、写真右は機能的なアートとも言えるでしょう。 

アートアワードの受賞や、アーティスト・イン・レジデンシーなど、キャリアの初期段階では重要だと思います。なぜなら、これらは比較的少額の資金で、現代アートの分野にいる人々から専門的なフィードバックを得ることができる場所だからです。たとえ自分がアート界のこれらにそぐわないと思っても応募してください。そうすれば、人々はあなたを見ることができます。日本からでもハンガリーかでも、メール一つで見てもらえます。通常、誰か重要な人に連絡を取りたいと思っても、連絡を取るのは難しいでしょう。しかし、このような賞やレジデンシーを利用することは、自分を宣伝するためには非常に良いツールだと思います。写真にあるのは、Ádám Ulbertのインスタレーションです。20022年あたりのこの前のエディションだったと思います。彼はLudwig Museumでエスター・アート賞のメイン賞を獲得しました。これはお金だけでなく、ネットワークでもアーティストとしてのキャリアに本当に役立っています。

次は媒体についてです。これは Gideon Horvathによる蜂蝋による彫刻です。現在、彼は東ヨーロッパ地域の現代美術の分野で最も実験的かつ勤勉なアーティストの一人と言えます。彼は現在多くの展覧会を開催しています。

彫刻は非常に有機的な媒体で、彼の彫刻は100%自然のものを使って構築します。内側は木、外側は紙、外側はすべて100%蜜蝋です。材料への知識やこだわりは、アート作品を作るときにも非常に重要だと思います。特に立体や彫刻の場合は、この点に注意する必要があります。キュレーターやコレクターではなく、「美術館が購入する」ためのポイントだということを忘れないでください。美術館にとって重要なポイントは、これが何であるか、素材は何であるか、どのように修復するか、どのように保管するかを検討するポイントです。

作品制作を始めるときは、100年レベルの持続可能なスパンで考える必要があります。

もちろん、ポップアップショーや1日のショーなどのコンセプト次第で随時変わります。

次は、ベネチアビエンナーレでも2回展示されるなど国を代表する作家の一人、Imre BUKTAという年配の世代のアーティストです。彼は現在70代ですが、ハンガリー文化をビジュアルアート化することにおいて、最も有望なアーティストの一人だと思います。農村や農業との繋がりも深く、表現において信頼性を感じます。制作は、写真、アサンブラージュ、ガラスや油絵など広く深くキャリアがあります。サムという田舎の小さな村に住んでいながら、彼は毎年、若者向けのサマーキャンプやレジデンスを行っていて、コミュニティの構築や若者への恩返しにも熱心です。 

これはRéka Lőrinczの作品です。彼女は私のパートナーで、ロングハンドスタンドを共同経営しています。ギャラリーのオーナーでもありますが、自身の作家活動も行っています。と私たちのギャラリーは彼女をギャラリーアーティストとはしていなく、彼女はハンガリーの別の重要なギャラリKisterem に代表されています。彼女はまた、ジュエリーやジュエリー彫刻も作っています。ジュエリーとは、体に付ける小さな彫刻のことで、人間の最も原始時代から表現されたオブジェの1つです。現代アートのやり取りや議論の中で、Ted NotenHelen Britton のような作家達や、現代ジュエリーの分野が、もっと現代アートの議論の一部にあるべきだと思います。ともあれ、レカの場合は、ビデオ彫刻やインスタレーションも作っています。写真の作品は、イケアバッグに自分をフィットさせる方法や、どこにでも持ち運ばなければならないような身体の扱い方についてで、とても興味深いい作品です。 

これはペルーのアーティスト、Nicolás Lamas の2022年に私がオーガナイズした展示会です。アーティストは、常に販売するオブジェクトを作成するようにプレッシャーをかけられるわけではなく、演技やパフォーマンス、雰囲気や環境を実現する表現もできます。スタンドとフライヤーキラーライト、スモークマックマシンなどの要素を使うことで、自然や通常のものとは異なる何かを再構築や再現ができるのです。この方法は、私たちは同じことをしていて、同じアイデアを扱っても、異なる設定ではすべてが異なり、キュレーターやアーティストが様々な設定を作り出し社会に伝えています。 

これは私がこれまでで最も好きなアート作品の1つです。これはスロバキアのアーティスト、Roman Ondákの作品で、宇宙を測定するというものです。基本的には、博物館に白いキューブのスペースがあり、部屋で、1人か2人の警備員がいて、あなたのところに行くように言われ、参加したい場合は隣に立つだけです。壁に線を引いて名前を書きます。頭のてっぺんに線を引いて、名前とそこにいた日付を書きます。基本的に壁にグラデーションがかかっていて、そこにいた人々のさまざまな良いこと悪いことが書かれています。これは美術館で体験できる人との関わり、刺激的なものや心温まる状況を体感できる機会になります。

スタジオ訪問はアーティスト、ギャラリスト双方にとって重要な1つだと思います。私にとってはがキュレーションや評論の観点からこのような実践的なトレーニングを楽しませてもらっています。アーティストが新しいことに気づき、試していることを近くで見られることが本当に好きなのです。 

これは、現在のハンガリーアート業界の状況に関するもう1つのことです。最近の文化的、政治的な風潮から、現代​​美術館や現代アートの施設はそれほど必要ではないような政策がとられてきていると言えます。現場で目にすることは、少なくとも5~10の現代アートを扱う施設が、この10年間で閉鎖されたことです。もちろん、これはとても残念なことですが、一方で、私はインディペンデントキュレーターで、政府や州の資金に頼っていないので、常にこれに直面しています。

そのため、このような時期には、業界全体が生き残るためのアートサバイブ戦略、アーカイブや技術をより高いレベルで磨くことが必要とされています。人生には、このようなことに直面しなければならない時期や時期が必ずあると思いますが、皆それぞれに自分に合ったサバイバルツールを作ることができることを信じています。 

私は火や炎の大ファンですが、これはJÁNOS SUGÁRの素晴らしい作品です。彼は現在ハンガリーで最も重要なアーティストの1人であり、ブダペスト美術大学、インターメディア学部の創設メンバーの1人です。彼はブダペストの芸術のアカデミー賞受賞者で、カッセルのドクメンタに2回参加しています。カナダとルクセンブルクのカジノでも実現したプロジェクトがありました。この写真は、美術館内で実際に焚き火をするスケッチです。基本的は、岩の床なので、ミュージアムの真ん中で火を起こす準備が整っています。このアイデアは、火を起こして、火の横に薪を置くというものでした。そして、火が消えたら展示会は終了です。

鑑賞者が火に燃料を注ぐまで、美術館と展示会は開催されています。これは、「観客のいない芸術は存在しない」、というマルセル・デュシャンの言葉を体現していると思います。

彼はいつも、現代アートは何かがわからない状態から何かがわかる状態への道だと言っています。これは本当にシンプルですが、アートというのは、様々な質問やアイデアにたどり着くことで、このトピックについて何も知らない、このアーティストについて何も知らない、ということ自体に気づくことができるのです。そして、自分は無知ではなく、ただ助けやイニシアチブが必要なだけなのです。これが現代アートが存在する理由であり、これからもずっと存在し続けることを願っています。なぜなら、現代アートはコミュニケーション体験を生み出すことができるからです。

写真家のEVA SZOMBATは私のギャラリーで、過去7年間共に働いています。前回、一緒にプロジェクトを作ったその本のは「I want orgasm not roses」というタイトルで、写真界でも、そしてどこでもセクシュアリティと女性のセクシュアリティに関するホットな話題でしょう。女性のセクシュアリティに関する本やハンドブックは、プロジェクトとして実行できる良い例でもあり、美術史においても非常に重要な役割を果たしています。

これはアーティストのAnna Perachです。彼女はパフォーマンスアーティストですが、カスタム作品も作っています。この種のテキスタイル彫刻は持続可能である一方で、パフォーマンスの衣装として使用できる二重性も、非常に興味深いものです。作家はさまざまなものを組み合わせることもできますが、彼女は驚くほどうまくやっています。ぜひ彼女について調べてみることをお勧めします。

これは私がオマーン旅行をした際、11人のアーティストにA4サイズの紙に、どんな願い事でもいいからと、事前に書いてもらったものをオマーンで印刷し、たまたま出会った家にエキシビジョンを作って残しました。これは「願いの家」のようなもので、人々が願いを見つけてそれを叶えたり、自分の願いをかなえたりできるといいなと思っています。 

これはPéter GALLOVの作品です。さまざまな生き物やモノに興味を持っていて擬人化的に絵を描きます。日本の文化にも興味を持っていると言え、小さな絵を制作する実用的でプロフェッショナルなやり方は本当に素晴らしいと思います。1つの小さな絵が完成するまでに1、2か月かかることもあり、日本人の姿勢と非常によく似ています。 

写真左は、チェコのアーティストJulie Béna です。彼女はプラハを拠点に活動しています。レトロなレースを使った作品は、伝統的な技法を使って自分のアイデアを現代の世界に翻訳し、実現する非常に良い例です。

写真右は、ブダペスト在住のルーマニアアーティスト、Botond KERESZTESI による扇子のデザインは、結婚式でこのように展示されました。

写真左のZsófia Keresztes は、2022年のヴェネツィアビエンナーレのハンガリー館で展示した素晴らしい作家です。

写真右は、Andrej Dúbravskýです。アンドレは、私にとって若い世代の中でも最も重要なスロバキアの画家です。彼は、スロバキアの小さな村で一年の半分をたくさんの動物と美しい庭で過ごしながら絵を描くことに集中し、残りの半分をニューヨークで過ごしネットワーキングや活動をしています。本当に素晴らしいです。彼のソーシャルメディアを通じて彼の声を広めることにとても卓越しています。 

最後は作家や作品とは違う側面を少しお見せします。この場所は、2014年に始めた建物の屋上を活用した展示スペースです。ここでアート作品に囲まれて、様々なコミュニティーを作れる楽しめる場所です。  

すべてのアーティストと機関へのもう一つの旅とヒントは、最高の“アーテンダー”(アートハンドラー)を見つけることでしょう。業界で協力してくれる全ての人(アーテンダー)は、私たちの制作活動に重要な役割を果たしてくれます。スタジオで作品を仕上げたら、それは終わりではなく始まりです。それはあなたが仕立てたボートを水に置いたようなものです。つまり、それが作られた後、その作品の世話をする必要があります。誰があなたの作品を運送し、どのようにそれを扱って人に見せるか、どのようにそれを世界に影響があるものとしてもたらすかには周りの手助けが必要です。ですから、あなたの活動に適した人々を見つけて、そして彼らを尊重することが本当に重要だと思います。キュレーターやライター、美術館の守護者でさえ、もしくはあなたの目に見えないところの人さえ、重要なアーテンダーとしてのキープレーヤーだからです。

次の写真は当時私が作ったTシャツです。有名なアーティストのBALDESSARI、WURM、KIEFE、ULAY、FUKUIの名前のシャツです。ウライと福井祐介はブダペストを拠点に活動しています。福井はブダペストで30年以上過ごし、ハンガリー人アーティストになった日本人アーティストです。このシャツでさえそうですが、私たちは自分の周りのあらゆるものを使って自分を表現することができます。お金がなくても、ペンがなくても、手や心の中に自分が望むメッセージを表現するためのものがすべてあります。私はすべてがキャンバスであり、何でもできると思っています。問題は、自分をどう表現したいか、本当に表現したいかどうかだけです。だから、機会をどう生かすかは常にあなたの選択です。

また、記録の重要性についてもです。カメラをどこにでも持って行き、心に残る写真をすべて撮るようにしてください。もちろん、最も重要な写真は心に留めておくことができますが、時にはポケットにカメラを入れて記録しておくのも良いでしょう。これも重要です。

また、パーティーなどに積極的に行くべきです。パーティーは人々が集まる場所であり、大勢で集まって踊ったり飲んだりしながら、色々な人と繋がりやすいと環境です。ですから、すべてのアートフェアやイベント、展示会のオープニングは、大きなパーティーや大きなディナーがあるのです。スタジオから出て人々と会い、人々と話し、人々と楽しむことも非常に重要です。 

最後に、「Long term handstand」(長期逆立ち)の名にちなんで、ギャラリーが参加するアートプログラムなどではいつも行っている、私の願掛けや儀式の1つです。この逆立ちが、全てのものを乗り越えるのに役立っています。

以上です、ありがとうございました。

Q&A

Q1:ありがとうございました。それぞれの作品についてたくさんの素敵な話を聞かせてくれて、本当に楽しかったです。そして、その時間、経験や空間、作品から教えてくれる人生の教訓的な考えやヒントも本当に良かったです。感想と質問は、あなたが要点やコンセプトを教えてくれて作品を観ると、私が感じるインスピレーションは、そうでない場合よりもはるかに優れています。それは一種の魔法でありながら、皮肉なことに、話がないと、どういうわけか聴衆の印象が失われてしまいます。つまり、作品の解説や説明したりすることの価値は何でしょうか。

A1:そうです、それは魔法のようなもので、私たちは私たちが囲まれているものを体験するためにここにいます。しかしもちろん、アーティストやアートなしでは話せません。つまり、これはコラボレーションでもあります。このチームワークが夢を実現します。アーティストやキュレーター、そして参加者全員が一緒にこのような考えを共有したり感じたり必要があります。

Q2:たくさんの興味深いアーティストを知っているペトルさんも、作品制作をするのですか?

A2:いいえ、私はアートを創りません。アートを創ることは本当に真剣なことですし、一流の作家になるには20年くらいの膨大な時間が必要です。また、作家のみならず行為やメディア、材料に対しても失礼になりたくありません。

Q3:ご存知の通り、私たちアーティストにライセンスはありません。では、プロのクリエイター、アーティストの創造性の境界線は何でしょうか。

A3:私は境界線的なものを信じていません。あらゆるものが受け入れられる可能性があり、私にとって好きではないものがあなたにとって好きであるように、一部の人にとっては一種の文化が生み出される可能性があるからです。あらゆるものにフォロワーが存在しているので、敬意を払う必要があり、あなたが何を言っても、存在しているものは、とにかく存在しているということです。プロジェクトでも展示会でも、たった一人の人でも来て楽しんでもらえれば、それだけの価値があるということです。また、状況や可能性は何かによって異なりますが、最も重要なのは、あなたがこれをやっているということは、単に利己的な行為ではないということです。私はただそれが好きで、自分にとって良いことだからやっているのではなく、他の人にも良いことだと信じるようにしています。だから、彼らも楽しんで振る舞っているように見えます。

Q4:ピーターさんの中で、作家の制作やギャラリーの展示で「実験や研究」という言葉をよく聞いたと思います。実験とは、実験した後に何らかの結果を得ることを意味しますが、作品完了後や展示後に何らかの結果が得られましたか?また、なぜそれを何度も行うのですか?

A4:いい質問です。でも、人生含め、こういうものは本当に難しい問題だと思います。なぜなら、何が価値があって何が価値がないかはわかりません。ビジネスをしているなら、最終的には価値があったかどうか、お金を稼いだかどうかがわかります。しかし、最大の質問は、人生をどのように愛したか、どのように経験したか、それが最後にどうなるかです。しかし、誰にもどうなるかはわかりません。だから、唯一のこと、それは生活やアートと営むことを楽しむことです。

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