「ハンガリーの文化背景とアート&デザイン」中央・東ヨーロッパのアート – 芸術と社会 ⑤ –

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はじめに

 中欧、東欧のアートの歴史や魅力を各分野のプロフェッショナルに紹介してもらう企画「 芸術と社会 」。今回は講師はハンガリーの首都、ブダペストでデザイナーデジタル陶芸家、大学教授のLublóy Zoltán (ルブロイ・ゾルタン)さんをお招きました。

ヨーロッパの中央に位置するハンガリーは、日本とは対照的に海がなく、7カ国もの国々(ウクライナ、スロバキア、ルーマニア、オーストリア、スロベニア、クロアチア、セルビア)に囲まれている内陸国です。興味深いことに、ハンガリーは欧州の中心に位置しながら、他の欧州諸国とは言語や、国民性が形成された歴史が異なっているようで、ヨーロッパの中でも一際異質な国として知られています。このように、ヨーロッパ大陸にはたくさんの国々や地域が独自の個性、各々のアイデンティティーを持っていることは、欧州を知るポイントであると思います。このようなことも含め、今回デザイナーとして活動して、ブダペスト応用美術大学(Moholy-Nagy University of Art and Design)にて15年の教育現場に関わるルブロイさんから色々なお話を聞ければと思います。それでは早速行ってみましょう。

古代

起源は3世紀まで遡ります。歴史の中で、アッティラ(Attila)フン族の王として登場しています。現在のロシア・東欧・ドイツを結ぶ大帝国を築き上げ、現在のハンガリーの地に定住しました。

地理的に適した場所に定住したフン族たちは、鉄などの金属を加工し、武器だけではなくジュエリーや生活用品など、様々なものをつくり上げていきました。

小さい食器やジュエリーはゴールドでもつくられおり、装飾などの細工は、高い技術とデザインスキルを兼ね揃えています。

ハンガリーは様々な部族や人種が歴史の中で複合的に重なり合って成立しているユニークな国で、今では複合的な多様性を持った人たちがこの地に住んでいます。キリスト教がこの地に来る以前と以後も同じように、部族を率いるリーダー達の指揮の下にコミュニティーが形成されていました。

その後、徐々にその文化の違いが重なり、一つの方向性を見せていきます。それと同時にアジア色が薄れていき、西洋的になっていきました。生活面では、山々に囲まれている地形もあり、農業が栄えていきました。

ハンガリーの人、自然

パンノニア平原にマジャール族が定住し、1896年には1000年が経ちました。その意味ではハンガリーはヨーロッパでも最も古くからある国となっています。

この長い月日の間、ローマ帝国から、ロシアから、トルコからの侵略などの争いが何度もありました。それにより様々な文化や宗教がこの地を往来し、よく言えば多くのインプットがあったのです。

ハンガリーの自然は平原だけではなく、バラトン湖をメインに湖が多い場所として、ローマ帝国時代から現在まで保養地としても親しまれています。最近発掘されたローマ人が残した宝飾はセラドの宝として知られています。

首都のブダペストは、川を挟んでブダとペシュト側に元々は別れていて、それが一つになり現在のブダペストになっています。中世以降に栄えたこの地には、多くの温泉が湧き出ていて、ブダペストは温泉の街としても有名です。

次に、有名なハンガリー人といえば Béla Lugosiです。彼は最初のドラキュラのモデルになっています。この時代のハンガリーはもう少し大きなサイズの国土(当時は現在より30%は大きかった)で、現在はルーマニアであるトランシルバニア地方になっています。

ハンガリーの発明

時に、“違う世界から来た人間”とも言われるほど、ハンガリー人は色々なものを調べたり、問題解決の方法がユニークだったり、違うものを生み出したりするのが好きです。

最近ノーベル賞を受賞したカリコー・カタリン(Karikó Katalin, 1955-)は、コロナウイルスについて深く研究し、mRNAワクチン開発に大きく貢献した人物です。

「ビタミンC」が錠剤用などに精製されるための分析が、ハンガリーのセント=ジェルジ・アルベルト(Szentgyörgyi Albert, 1893-1986)博士にされたことはなかなか知られていないでしょう。ハンガリーは野菜のパプリカで有名なのですが、博士はパプリカからもビタミンCを抽出することに成功した人物です。

次は「ボールペン」です。ボールペンはハンガリーのジャーナリスト、ビーロー・ラースロー(Bíró László József, 1899-1985) によって発明されたものです。

ルービックキューブもなんと発明したルビク・エルネー(Rubik Ernő, 1944-の名前にちなんで、ルービックのキューブという名前になったのです。

これも先ほどお伝えしたように、これらの発明するアイデアや「考え方」が面白く、ただのおもちゃや遊びに留まらない創造性が垣間見れます。このルービックさんも私が働くブダペスト応用美術大学(Moholy-Nagy University of Art and Design)の出身でこの発明のインプットはその時にされたものでしょう。

19世紀以降のハンガリーアート&デザイン

20世紀はそれ以前とは違い、多くの人が都心で住むことを求めるようになりました。

彼らはオーナメントデザインや、装飾が施された豪華な家に住むようになり、芸術の装飾美術を通して社会の中での成功を見せるようになってきました。

多くの人がフランスのパリでアールヌーボー分離派=セセッション(Sezession)の美的感覚を輸入するようになり、新しいトピック、新しいシンボルを取り入れ、社会に大きな変革を与えていくきっかけとなりました。

ロース・ミクサ(Róth Miksa, 1865-1944)はガラスアーティストで、写真は彼がつくったガラスモザイクの作品です。この時代は、クラフトマンシップとその技術がとても大事なな時代です。さらに、デザイナーと画家の差が今ほど遠くなく、画家でありデザイナーとして、デコレーションやアブジェクト、テキスタイルデザインはデザイナーでも美術家でも、ある才能と技術がある職人たちが行っており、今ほど仕事の式分けがなかったのです。

画家、リップル・ローナイ・ヨージェフ(Rippl-Rónai József 1861-1927)は、フランスで勉強し、文化やスタイルをハンガリーに輸入し、自分のアイデンティティーらしく消化しています。この時代は誰しもが芸術品を購入できるわけではなかった時代です。ハンガリーのお金持ちの人たちは、フランスから帰ってきた彼にセラミックの食器などをデザインさせたのです。彼はハンガリーのこの時代では最も有名な芸術家で、現在でもオークションなどで高額で落札されています。

19世紀後半のこの時代は分離派の影響もあり、新しいものを作る時代となっていきました。オールドファッションのアート&デザイン、そしてライフスタイルやルーツはハンガリースタイルを形成していきます。デザインの多くはフォークアート(民族的アート&クラフト)から、アイデアが取り入れられていきました。

この時代のもう一つの大きな変革は、ハンガリーを代表する建築家、パルトス・ギューラ(Pártos Gyula, 1845-1916)レヒネル・エデン(Lechner Ödön, 1845-1914)によってデザインされたこの応用芸術美術館にも代表されるように、美術館や博物館が絵画や彫刻、オブジェクトなどをコレクションをし始めたということです。つまり、都会的生活などを芸術がサポートしていくようになったのです。

現在修理中ですが、美術館の外観と内観の興味深いデザインです。

こちらも面白いデザインで、セラミックや絵画など、マテリアルがミックスされた建築デザインです。また、フォークアートとアジアの影響が混ざって新しいスタイルを築いています。それが現在はベストのハンガリーデザインだと知られています。このような家はハンガリー中で見ることができます。

この時代、ハイソサエティーの人達には「カフェ文化」が人気で、装飾性の高いカフェやサロンが多く登場し始めました。ソーシャルライフはとても彼らにとって重要で、あまりお金がないアーティストやジャーナリストもこういう場所に挙って集まり、情報交換をしたり、議論や談義を交わしていたのです。こういった場所は現在は旅行者用のカフェとなっています。

Art Colony: Nagybánya

ブダペストのような都会のゴミゴミした場所に住みたくないアーテイスト達には、「アートコロニー」(芸術村)という運動が起こるようになりました。 ここでは彫刻や画家達がその制作に没頭できる空間として注目され、またこの社会から離れて芸術に集中する“態度や姿勢” がモダンになったのです。特に有名なのが、トランシルバニア地方にある、ナギバーニャ(Nagybánya)です。写真左のジファー・サンドル(Ziffer Sándor, 1880-1962)の絵は、とてもカラフルでニュースタイルです。また、新しいことは、それまで画家は家の中で絵を描くことが多かったのですが、彼らは外へ行き、野外の太陽の光の下で絵を描くという態度もその運動の一つでした。

19世紀後半から20世紀初頭は、作家にとって大きな試行錯誤があった時代でもあります。学校で学ぶアカデミックな描き方と、それに対して新しい今までにないものを描こうという間にあり、見えるものと感じるものを、違う表現で表すようになったのです。

アカデミックでコンサバティブな色使いではなく、カラフルなもの、影の色をショッキングな色にしてみるなど、フランスの印象派から抽象表現主義への移行はハンガリーにもあったようです。

Art Colony: Gödöllő

ゴドルーという場所に、もう一つの大きなアートコロニー(芸術村)があります。

写真左のコロシュフォイ・アラダール(Kőrösfői Kriesch Aladár, 1863-1920に見られるように、もっとナチュラルな感じで、よりハンガリーの土着ルーツを探るようなテーマが描かれていきました。モダンのハンガリーとは何かということを芸術を通して思考、追求し、伝統や民族工芸の美学から影響を受けた作品が多く登場しました。

写真、真中は、クリムトのような絵ですが、これがハンガリーの背景を感じられるアール・ヌーヴォー時代の絵画です。写真右の絵のように、絵画にエモーションが感じられるような、美徳を投影する絵画も増えていきました。

City life of Budapest

20世紀から、アール・デコがブダベストの都会の生活の中で彩るようになっていきました。なぜなら世間の人々は、電気、車、電話などたくさんのものが訪れ、今までの世界観とは違う、全く新しい時代、モダニズムが来ることに気づいたからです。

写真機が出来たことも含め、アーティスト達は抽象的な表現を始め、見たままではない絵画を表現し始めました。

ボルトニーク・サンドル(Bortnyik Sándor, 1893-1976)は、当時登場したばかりのモーターバイクのモチーフ、時代背景やその絵画手法など、モダニスト絵画として代表的な例でしょう。古い映画にあるような、エキセントリックでとても強いビビットなものが増えてきます。

バスヤニー・ギューラ(Batthyany Gyula, 1887-1959は、社会が急速に強く大きく変化している様を、アイロニカルに排他的に描いています。これらの絵画は、その時代を表す移し鏡としてのアーカイブかも知れません。

この様なハイソサエティーのライフスタイル、そして絵画のダイナミズムは、第一次対戦が訪れるまで続いていきました。

コズマ・ラヨシュ(Kozma Lajos, 1884-1948)は、写真の本のハンコや椅子などのデザインなどをしました。エクス・リブリス(Ex Libris)という蔵書票もしくは書票は、自分の集めた本の見返し部分に自作のスタンプや小紙片を押して所有することで、この時代はそれが文化的なものになり流行しました。

抽象絵画とデ・ステイル運動はフィルモス・フサール(Huszár Vilmos, 1884-1960)にも影響を与えます。このスケートをしているようなデザインは、彼がポーランドに研修に行き、そこから水平、垂直線の単純性を追求するデ・ステイル運動(De Stijl)の流れをハンガリーに輸入したことから始まっています。

バウハウス運動もハンガリーにやってきました。機能性にこそ重視したデザインです。

60年代はオプティカルイリュージョンを利用したポップアート運動が到来ですヴィクトル・ヴァザルリ(Victor Vasarely, 1906-1997)はハンガリーのとても有名な画家で、フランスで活動していました。

この当時、ハングリーなアーティストの多くはフランスへ活動の場を移した時代でした。

現在も健在なマウワー・ドラ(Mauer Dóra, 1937-)はハンガリーで著名な女性作家で、2年前はテート・モダンで個展を行いました。とても強い形とアプローチで現代画家としてとても興味深いです。

ヘンツェ・タマース(Hencze Tamás, 1938-2018)は書道的に絵画方法を行います。一般的絵画の筆を用いず、ハンドジェスチャーのようにブラシをカラフルに使い、全ては絵画になると言わんばかりです。写真右もプティカルイリュージョンを応用しています。

マルタ・パン(Marta Pan, 1923-2008)の彫刻は、新しい形を追求した抽象的な表現です。彼は変異な形と、形のボリューム、空間との関係や響き合いを追求した制作をしています。

マルセル・ブロイヤー(Breuer Marcell, 1902-1981)のプロダクトデザインは、ハンガリー内外で有名です。

2000年以降のアート&デザイン

2022年のベネチアビエンナーレに出展したKeresztes Zsófiaモザイク技法で、この年のビエンナーレでトップ10に選ばれました。

2000年以前にはなかったようなトピックが増えていきました。

コンセプト、マテリアル、テーマ性はさらに多様になっていきます。

自分のバックグラウンドが大きく反映された、ファイゲルトネー・ドゥーダス・アンドレア(Fajgertné Dudás Andrea)の作品は、女性の性、避妊など、フェミニズム的なテーマを多く取り上げています。現代アートはテーマこそ重要になってきています。

多様な作家やその背景がある中、”ジプシーアート”もハンガリーでは見られます。ハンガリーにはジプシー(ロマとも呼ばれ、社会的には差別的に見られている背景がある)の表現方法は少し異なっています。彼女は最近亡くなってしまいましたが往年の作品は、オマラ(Omara)が感じたままを表現する世界観で、ある意味コンセプトがないような、こういうものもムーブメントとしてフューチャーされてきました。

メルコビッツ・タマース(Melkovics Tamás, 1987-)の彫刻は、セレミックで作られたパーツで分けられる作品などもあります。

ハンガリーはガラスでも有名で、ルカーシ・ラーツロ(Lukácsi László, 1961-)は、研磨された鋳造ガラスの彫刻で有名な作家です。

Codolaniのインテリアです。

Sixayの家具や、の現代セラミックになります。

面白い考え方のモダンジュエリー、アートジュエリーを創作するロリンツ・レカ(Lőrincz Réka)です。作家は、ジュエリーになり得る可能性について常にチャレンジする作品を制作しています。

ファッションの世界も若手のデザイナー達が活動的です。

ナヌシュカ(Nanuska)というブランドは、ニューヨークやロンドンでショーをしたり、ブダペストでブティックを持っています。

インデペンデントギャラリー達も健在です。ファウル・ジョフィー(Faur Zsófia)は、自分のギャラリーで若手作家に展示の機会を与えています。美術館などが巨匠や少しオールドファッションのアート作家を取り扱っていることに対して、近年20年で、たくさんのプライベートギャラリーがオープンしました。新しい才能を発掘し、世界へ売り出しています。

写真上は、ギャラリーでのホルヴァース・ユディット(Horváth Lóczi Judit)の展示の一部です。

MOME

では次に、私が教授として教鞭を執る、ブダペスト応用美術大学(Moholy-Nagy University of Art and Design)について簡単に紹介しようと思います。

建築やデザイン、工芸などにフォーカスしている大学で、新校舎の環境はとても快適です。

ファッション学科もあり、2024年から英語で入学試験と授業が受けられる科ができ、海外からの学生がより入学しやすくなり、さらに国際的になります。

Zoltan Lubloy DLA

それではルブロイ・ゾルタン(Lubloy Zoltan )の作品について紹介できればと思います。

博士論文はデジタルセラミックについて研究しました。写真左はフランクフルトで展示した花瓶、右は6000千個売れている、ベストセラーである塩コショウ入れです。

日本のモールの店頭にも並ぶはずだったのですが、日本の輸入での手間があり結局できませんでした。

私は古くからあるセラミックを、いかに新しいアプローチと形で現代デザインにできるかについてこだわっています。

デジタルプリントしたものをセラミックにする手法や、新しいテクノロジー、CNCなどを使います。セラミックはクラフトマンシップが重要ですが、同時にデジタルデザイン力が重要です。

写真左は博士課程時の作品で、デジタルプリントに不器用に接着をして、接着剤とデジタルオブジェの対比を見せる作品でした。デジタル技術は正確すぎで人間味がないので、わざと壊し、バランスをとってくっつける、ハンドメイドとデジタルメイドの両方のアプローチを目指しました。

写真右は、私が最近好きな「サーカス」をモチーフにしたもので、猿が自転車に乗っている様です。ハンガリーサーカス博物館のコレクションになっています。

時に作家らしい制作やデザインだけではなく、写真のように、オーダーがあったりしてデザインなどを担当したりしています。

外国の会社のオーダーや見本市に出展したり、セラミックについての本を著名なイジーペッツ書いたりなどもします。

それでは、時間の関係上、とても短くにしかまとめられませんでしたが、これにてレクチャーを終わります。

ハンガリーのアートとデザインなど、皆さんが興味を持ってくれると幸いです。もし、ブダペストに来た際はぜひ気軽に大学に遊びに来てください。

Zoltán Lublóy (ゾルタン・ルブロイ)

陶芸家、デザイナー、大学教授

ハンガリーの首都、ブダペストの大学、Moholy-Nagy University of Art and Design

にて教鞭をとりながら、セラミックデザインスタジオを運営している。

Q&A

Q1: 建物の屋根の色について教えてください。

A1:応用美術館の屋根ですね。ハンガリーのフォークアートのアイデアは掴んだのですが、そのままキープし続けたというより、他のものにトランスフォームしてミックスしたと思います。とても面白い変革で、ハンガリー設立1000年の新ハンガリーアイデンティティー世代の19世紀のことです。その時代に新しいハンガリーの要素を創っていき、屋根にはそれが反映されていると思います。

Q2:ハンガリーという国の成り立ちから様々なお話しをしてくださいましたが、先 生の作品や、ご自身の、ハンガリーの地と強く結び付きを持っていたり、影響 を受けていると思われますか?また、もし影響を受けているとすれば、どのような 影響を受けていると考えるのか、教えていただけれは幸いです。 

A2:どこかに住んでいると、もちろん周囲の環境が反映されて、最初は意識しなくても、常にある種のインプットが入っているので、影響を受けていると思います。私の心に入る部分のほとんどはだと思いますハンガリーでは常にベストを尽くし、新しい物や芸術を学び、創造する必要があり、非常に競争の激しい国です。ハンガリーでもう一つ共通しているのは、問題を解決するために常にさまざまな方法を模索することであり、これが私のアートにうまく組み込まれている部分でもあると思います。

Q3:Zoltan Lubloyさんが学生に指導する際に意識していることはなんですか?

A3:芸術を教えることはインタラクティブなものであるため、お互いに耳を傾けることが非常に重要だと思います。方向性を示す必要がありますが、生徒の話を聞く必要もあります。 時にはより多くの自由を与え、時にはあまり自由を与えません。ジムのコーチのように、彼らを目標に向かって後押しする必要があります。

Q4: 私がハンガリーを訪れて感じたことなのですが、ハンガリーと日本と比べて芸 術がより身近にあり親しみやすいものとして扱われているように感じたのですが、 Zoltan Lubloyさんから見て、芸術はハンガリーの人々にとってどのような意味、役割を果たしていると思いますか。

A4:人口はそれほど大きくないので、親しみやすい雰囲気がそこから生まれています。より優れた学校にいる人は、芸術分野の変化を理解でき、新しい方向性についてさらに迅速に議論することができます。時々、社会の大くはあまり気にしませんが、このバブルの中で私たちは新しいアイデアや芸術の印象を非常に熱心に見ています。

Q5:日本では見られないような女性器や出産などを扱う作品があって衝撃を受けたの ですが、ハンガリーにおけるフェミニズムアートの受容について、その現地点を教 えていただければ幸いです。 

A5:近年ますます注目を集めているため、ここハンガリーでもこの話題は興味深いです。ヨーロッパでは長い間男性ばかりが画家でしたが、ここ数十年で女性が画家になることも認められるようになりました。 

ところで、私の講義では多くの女性アーティストを紹介しましたが、ほとんどの場合、彼らは芸術の中でフェミニズムを使用していませんでした。今、若い世代では、彼らは変化を示し、変化をもたらすことを本当に好み、フェミニストアーティストのような地位を確立しています。時には抗議活動が行われ、女性として、アーティストとして、権利や個人の地位を守る戦士として自分自身を表現するためにアートを使用することもあります。時代の変化や面白い動きが起きています。

Q6:芸術品としての作品作りではなく、消費者の元へ届けるための作品作りとの違いを 聞いてみたいです。 また、普段どのようなことに気を遣って生活し、インスピレーションを受けているのでしょうか。 

A6:私にとって最大のインスピレーションは、旅行、日常生活の中での人々とその動き、彼らがどのように生活しているのか、彼らが何を必要としているのか、彼らが本当に要求しているものは何なのか、私の目標は何なのか、どんなことに興味があるのか、ということだと思います。私にとって、それはテクニックから来ることもあれば、素材から来ることもありますが、興味深くてもあまり普及していない新しいテーマを見つけることもあります。色とパターンの構成も出発点として適しています。

Q7:ハンガリーの温泉と日本とが異なると話していましたが、ここが異なるなどが具体 的にあったら知りたいです。

A7:端的に日本とハンガリーの温泉を比較すると、

1:日本の温泉の方がずっと安く入浴できます。

2:ハンガリーの温泉の多くは家族やカップルが行くような男女兼用で水着着用、場所によっては男女混浴で水着なしの裸の場所があります。

3:お湯自体がぬるく、プールに行く感じで長居できます。

4:トルコ風浴場も人気です。

5:日本の方が臭いや質など効能がずっと高いと思います。

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