「デザインでクリエイティブにサバイバル」 中央・東ヨーロッパのアート –芸術と社会–

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INTRO

様々なアート分野のスペシャリストに、ヨーロッパアートの現状や魅力を紹介してもらう企画、今回はベルリンを拠点とするデザインスタジオ1000K のクリエイティブディレクター、デザイナー、ドイツ出身のヘニング・ソッぺ(Henning Soppe)さんにインタビューをお願いしました。

ヘニングさんは、ドイツから欧州へ生活圏を広げ、その後アジアを拠点に10年活動。近年はベルリンを拠点にし、グラフィック、3Dモーションデザイナー、クリエイティブディレクターとして活動しています。

この映像は彼の仕事の一部をハイライトとしてまとめたものです。

社会や時代の流れだけではなく、メディアやテクノロジーが急速に変化する昨今、常に最先端のハイセンスと技術を持ち合わせて継続していくことは大変なことでしょう。さらには、数あるデザインスタジオのデザイナーと経営者がしのぎを削る中、その両方を持ち合わせて自己経営をし、さらにはコマーシャル性とクリエイティブ性を持ち、何より継続的に仕事を手に入れてサバイバルしていくことは並大抵のことではないはずです。 

今日は、デザイナーとしてフリーランス、雇用、会社設立など様々なスタンスで、欧州やアジアなど国際的に15年以上のキャリアを持つヘニングさんに、今までの基軸と仕事とライフスタンスについて話してもらいました。

それでは以下、クリエーターとしてドイツと世界をサバイバルするソッペさんの現在に至るまでの話をまとめたアーカイブです。この記事は、日本大学芸術学部、 芸術総合講座Ⅴ、「芸術と社会」の、「 中央・東ヨーロッパのアート – 芸術と社会 ④ –」での内容を編集したものになります。

HENNING

*A) = アートサバイブログ

*H) = ヘニング・ソッぺ

A)自己紹介をお願いします。

H) ヘニング・ソッぺ(Henning Soppe)です。現在、モーションデザイン(オブジェクトに動き“モーション”をデザイン)とエクスペリエンスデザイン(問題訴求と課題解決デザイン)の世界でクリエイティブディレクターをしています。

A)デザイナーとしての仕事のスタンスなどを教えてください。

H) “Design as profession is my vessel to explore, Visual communication is human and universal”

私は多くの国に行き、多くの社会環境の中で働く機会に恵まれました。デザインは世界中の至る所にあり、ビジュアルコミュニケーションを使って製品を販売したりマーケティングを行なったりします。ですから、素晴らしいことはプロダクトは変わらなくても、それを取り巻く文化的側面は変化しているので、つまりどこの世界にもデザインはあり、仕事はある程度ならどこにいてもできるのです。

A)出身地や生い立ちについて教えてください。

H)私は境界性多動性(ADHD)気味な子どもで、両親はたくさんの絵を描かせて私を静かにさせるというような幼少期を過ごしました。年代的に私は、 X 世代(1960~1974年生)とミレニアル世代(1980年から1995年)の間のマイクロ世代に属しています。

13歳の頃にスケートボードを始め、ヒップホップ、パンク、ハードコア、グランジにハマっていました。VHSレコーダー、ターンテーブル、カセットテープなどアナログ世代として育ち、18、19歳の2000年頃にデジタル時代が始まりました。

メッセンジャー、ICQ、Napster、LimeWireなど、日常生活にデジタルアセットが当たり前になりました。つまり、アナログ的な子供時代を経て、デジタル的な大人になったのです。

A)ヘニングさんのキャリアを時間軸で色々教えてほしいです。

H)では、クリエイターのアイデンティティーとして、様々な国や場所、仕事とのスタンス、キャリアの方向などを変えてきたことを時系列でお話しします。

EDUCATION

まずは「教育」についてのチャプターです。バックグラウンドとして、高校や大学時の経験の影響は大きく関わっています。私はドイツの北部の小さな町の出身で、高校の美術の授業を専攻するにはあまりに人が少ないようなところでした。ですので、17歳の時に近くの大きな町に引っ越しました。デザイン系の高校を2000年に卒業しました。その後、300キロ離れたより大きな街、ケルンに引越しました。当時まだドイツには兵役制度、つまり軍隊か民間の社会活動のどちらかを2年しなければいけない中、私は路上生活者、麻薬中毒者などと一緒にボランティアをする社会福祉の仕事をすることにしました。

それから2年間、Carharttというファッションブランドで働きながら、スケートボードやストリートカルチャーによりのめり込んでいきました。

その後2003年から2005年、オランダのマーストリヒトにある大学(The Academy of Visual Arts Maastricht, Netherlands)で、ビジュアルコミュニケーションの学科でグラフィックデザインと映像を専攻しました。2005年~2007年、チェコ共和国のプラハ応用美術工芸大学(VSUP) (The Academy of Arts, Architecture and Design in Prague, Czech Republic)に留学しグラフィックとタイポグラフィーを学びました。

私にとって、形や機能を大切にしたバウハウス(BAUHAUS)はドイツ人にとってのパンとビールと同じくらい染み込んで影響している戦後の考え方だと思います。

第二次対戦後のヨーロッパでは、装飾美術が終焉を迎えると同時にさまざまな社会変化がありました。そこでフィットしたのがバウハウスで、デザインのあらゆる分野に適用される原則と美学を確立しました。

オランダにいたこともあり、モンドリアンのようDe Stijl(オランダを拠点とする「デ・ステイル運動」は、幾何学的な形や原色などの基本的な視覚要素を中心とした、抽象的でシンプルな美学)も好きです。チェコ留学や東ベルリン時代のイメージか、ソ連時代の観念的が要素があるカンディンスキーやモンドリアン、その時代の革命やプロパガンダなども面白い影響を自分に与えています。それらを、バウハウスがコアにある展開で、この文脈が私自身の教育文化的背景にあると意識しています。

その後、私はヨーロッパ、アメリカ、東アジアなど、いくつかの興味深い国の環境で、留学、インターン、仕事を経験する機会に恵まれました。これは自身がデザイナーが持つ特徴と特権があったからです。デジタルメディアの特性と、自身の一般的な興味や性格、そして能力的にも、どんな海外に行っても仕事ができる意識をするようになったことも大きく関係しています。

ヨーロッパより外に出てみようと思い、ニューヨークのインターンを考えました。スタジオをイエローページで普通に探し、6通目の連絡でマッチングしました。ニューヨークでのインターンでは、夫婦のデザイナー事務所で、インターンは彼一人。すぐにリアルの現場に投げ出されました。とても興味深い時間でした。

大学では既にAfter EffectsやCinema4D、そして実際に使えるソフトフェアの基礎的授業を受けていたのですが、しかし現場や実際ではそれが少し違ったんです。全てのレイアウトはAfter Effectsで行います。Photoshop、Cinema、Illustrator、Adobe Suiteはアセットの作成するためだけに使用していて、After Effects内でアニメーション化するために必要なものを構築するため、というやり方なのです。アニメーション化されていなくても、After Effectsのデザイン、レイアウト、合成はソフトウェアの設定方法によりはるかに上手く機能します。何年経った今現在でも、After Effectsは大きな道具として毎日使っています。

理由は、使い慣れているからですが、ほとんどのことは大体これでできます。2つ目の理由は、画面上でデザインの作業を行うのが最もパワフルだと思います。

これがアメリカでの初の仕事です。レイアウトからアニメーションいする方法を教えてもらいました。ストリートカルチャーが好きな自分にとっては、MTVの仕事ができたことはとても光栄で、今振り返るとこの時のチャンスや経験が、その後のキャリアの扉を開いたと思っています。

アフターエフェクトの素晴らしいところは、

1:データ上のすべては変形や変更が可能で(Everything stays modifiable)フォトショやイラレのレイヤーデータを一緒に圧縮する必要がありますが、アフターエフェクトの良いところは、150のレイヤーの積層が可能で、いつでも一部のレイヤーを編集したり、全て可変状態のままでいけます。

2:デザインの構築方法にはいくつか制限と可能性があり、それにはビジュアル言語が付属しており、それを直ぐに使用したいビジュアル言語にアニメーションができます。

3:キーフレームの間に偶発的に期待してなかったことが入るように導くことができ、そこからインスピレーションを受けて面白い表現がつくりやすい。

HELLO PARIS

インターンが終わり、無事に大学を卒業する際に、ありがたいことに自分の大学ともう一つの団体から2つの賞を受賞しました。その受賞した賞金で、パリに4か月滞在し、ひたすらスケートボードをしながら現地のカルチャーを、クリエイティブな要素として吸収していました。

やがてお金も尽き、ベルリンに行き、フリーランスで仕事を始めました。

FREELANCE BEGINNER

その後20代後半から完全に独立したフリーランスとしてのデザインの仕事を始めました。プロのフリーランスを始める前と、そしてその後数年仕事をした経験から学んだ教訓は以下のようなものでした。

:仕事を引き寄せるポートフォリオを作成する(Creating a portfolio that attracts jobs)など、どうやったら見てもらえるか、仕事をゲットできるかを常に考えて行動。

:ネットワークを構築し、再び仕事のチャンスをゲットできるよう、あらゆる努力をする。(Building a network and doing everything to get booked again)

フリーランスになってから人との友好関係や繋がりが重要であることを強く知りました。様々なスタジオやプロデューサーなど自身の業界の中にいる人達と人脈を築き、そうすることで仕事がある時にオファーがかかるのです。

:自分のやりたいこと、面白いと思える仕事を見つけることです。(Find work that you want to do or that you find interesting )

特定の目標、特定のスタイルなどやりたいことがわかっていないと、このようなニッチな職種は難しく、結果マーケティングやSNS、チュートリアルビデオ作りなどに一生懸命になるだけで終わってしまいます。 

:自営業でのお金や収入は常に不定期なので慣れること(Handle money as it comes irregular.)

時に支払いが仕事の後、半年後なんてこともあります。時に3ヶ月間働き続けることも、逆に仕事が数ヶ月ないこともあり得ます。ですので常に自分のお金管理が重要です。

: 仕事がありすぎてもストレス、仕事がないことでもストレス( You are stressed by work and you are stressed by not having work) 

有難いことに次の仕事予約が入ると10時間、15時間と働いているのでとてもストレスが溜まります。逆に仕事がないとストレスが溜まり、お金がいつまで続くのか怖くなります。

LOVE

A)ヘニングさんはアジアに長く居ましたが色々と教えてください。

H)ホーチミン、上海で仕事をしていました。では次は、アジアンチャプターです。

アートやデザインなどの仕事と並行して、人として生きる上で「想い、プライベート、夢、モチベーション、愛する人」など、気持ちが何より重要です。仕事外で、人としてのいかに充実や成長するかは結果仕事のパフォーマンスに大きく関わります。

ファッションデザイナーのフランスベトナム人のパートナーが当時いたので、彼女がベトナムのホーチミンで仕事を見つけた時に、自分も行くことに決めました。3ヶ月の滞在のつもりが結局3年半滞在することになりました。

ベトナムのような新興経済国に、私のようなドイツの大学で高等教育を受け、西洋のカルチャーをよく知っていて、様々なコネクションを持っている“社会的および教育的先進国”から来たデザイナーはなかなかいません。私は、正直なところ多くの優遇される特権を持っていた感があり、仕事を見つけることは全く問題ありませんでした。また、異国でフリーランスから雇用者になったことも新しい経験です。

1年目はベトナムのアーティストエージェンシーのブランディングでOSTミュージックビデオなどの制作をしていました。自分一人だけが外国人であることから、いつも特別扱いをされました。例えば言語の問題から、クリエイティブなプロセスで疎外されていました。

2年目は広告会社です。多くの刺激や学びがありましたが、仕事漬けの日々が続きました大手のクライアントが多く、ポートフォリオにはいいですが、広告業界は非常に階層的です。

以下の主な特徴が、2年間でも大変で時に好きになれなかったポイントです。

:終わりのない夜勤。週末など関係なく、夜中2時3時でもコンセプトを考えたり、デザインの提案をしたりしていました。日曜の朝に上司が入ってきて一瞬のボツを喰らい、10時間以内に新しいものを提出するように指示されたりもします。

:労働環境が残酷で、基本的にはアポが立て続けに入っており、パフォーマンスをする虚無感に駆られていました。

: 広告を作成している商品に自分が共感できないものが頻繁にある。ウイスキー、携帯、歯磨き粉、、、自分が今までやってきた興味があるものともっと繋がりを持ってやりたかったのです。

自分のデザインが社会に出ることは本当に嬉しいし光栄なことです。現実の世界に自分がつくったものが浸透していくことはかけがえのないものでしたが、私には向いていなかったんです。

その後3年目は、デンマークのエージェンシー、カラークラブ(The Color Club)で、コペンハーゲンと連携しながら3Dアニメーションの仕事ができました。「Yeah 1」や、それが評価され、 ベトナム国営テレビ「VTV6」の仕事などもできました。

OPPORTUNITY

3年ベトナムで過ごした後、広告テレビの以外にモーションの仕事があまりできなそうだと感じていました。ホーチミンでモーションデザインやクリエーターの知り合いもほとんどいなく孤独を感じていました。ヨーロッパの地元の同業者はとてもいい仕事をしていることから焦りを感じ、環境を変えようと思いました。

日々の生活や仕事の中で、何かの流れやキッカケのチャンスが時に現れます。これを意識的に繋げていくことが重要です。

そこで、Linkedinやヘッドハンターで上海の体験型デザインスタジオから内定を受け、3週間のインターンの後、給料とアパートの契約と共に上海に引っ越したのです。

上海は私にとって、エキサイティングな時間でした。

:放送局や広告業界の16x9のスクリーンではなく、ライブコミュニケーションの世界に足を踏み入れたことです。

: 大型スクリーンでの作業です。大きいサイズでは96mものスクリーンです。全く違うクリエイティブプロセスを学びました。

: インタラクティブ インスタレーションとリアルタイム 3D に関する知識を取得し始めました。インタラクティブなインスタレーションでは、リアルタイムの3Dや、その他触れたことがない技術的部分の知識を得ることができました。

: ベトナムにいた私からすると2300万人の人口を持つ上海の雰囲気は、未来のような進んだ業界だと感じました。

ヨーロッパから来た私にとっても、上海やメガ都市は本当にクレイジーで興味深い都市でした。

大手のハイブランドの大規模なライブショーやオープニングなど相当な緊張感と興奮がありました。もちろん異常な仕事量、力関係、尋常ではないプレッシャーがありました。

SELF FULLFILLMENT

自己実現、自分のキャリアや能力で実際に何をしたいのか、どんな道に進みたいのか、ということです。

上海でのとてもやりがいのある仕事とかなりの給料をもらっていましたが、2年後、私は中国での経験を終わらせることにしました。

仕事の量が尋常ではなかったからです。私は週に 80 ~90 時間働き、年間 35 便以上の国内線に乗っていました。私生活的には健康的ではなく、燃え尽き症候群になり、インソムニアになり、精神的にも崩れて来ました。

この経験から語れることは、

:結局は「ただの仕事」です。もちろん、今でも私は自分がやっていることにとても感情移入していますし、自分の仕事が大好きだし、素晴らしい結果を常に出したいと思ってはいますし、誇りに思えることをやりたいです。素晴らしい仕事をするためだけに全てを投げ込むべきではありません。デザイン仕事はお金とクライアント、その願いが込められています。しかしでも「JOB」なんです。

行動をシンプルにすことが有益です。一歩下がって自分がやっていることを見つめ直し、お金をいつも狙うのではなく、休暇をとり、自分が何をしているか再考することが必要です。

一般社会生活は、仕事とのバランスをとるため、仕事とは関係ない友達、人生を根底から視野があることが重要です。 

ハングリーであること。デザインの世界もテクノロジーも進化を続け、新しいプラグイン、トレンド、デザイン言語が出てきます。大衆文化がトレンドに乗っているため、そのような時にハングリーであり常に勉強し続けることは本当に難しいです。そのトップに留まるためには、疲れても気分が悪くてもやらなければいけません。

展示会に行く。他の人が何をしているか、アートがどこにあり向かっているのか。インスピレーションを得て、参考資料をへて、自分にどう肥やしになるのかについて、より広い視野を持つことです。 

A)上海での印象深いお話ありがとうございます。その後ヨーロッパに帰ってきたのですね

H疲れ切り、留学していたチェコのプラハに戻って定住しました。プラハには友達がいるし、いい環境がある。ドイツの半額くらいの生活費で暮らせました。燃え尽き症候群から抜け出しワークライフバランスや自分がやりたいことを考え直すのに最適な洞窟のような感じでした。

2014年からフリーランス生活に戻りました。

チェコのプラハに身を置きながら、時に中国からのオファーを受け、ドイツにもたまに戻る生活を2−3年続けました。中国でレクサスやランボルギーニなどの高級車のデザインの仕事、ドイツではYouTubeやインフォグラフィックなどデジタルの仕事をし、チェコで比較的安いライフスタイルを確立しました。2014−17年当時はライブコミュニケーションやブロードキャストだけではなく、自分の好きなデザインやアートディレクションを様々な分野で実行できるようになったからです。

2017年からドイツのBe Reelというエージェンシーに登録して働きました。ドイツの選挙のためのGoogleの仕事、 YouTube、UKのブランドスタジをなど様々なやりがいのある仕事をしました。何点も良い点がありました。

:フリーランス時代の最小限でスポットの期間の仕事をします。外部委託は労働力的生産のみのオーダーで、共に考えたりなどができないのです。しかし雇用されると、社内チームに初めの構想段階から参加でき、 最初からプロジェクトに取り組むことができそれが喜びでした。

:次に、所属している代理店の知名度は個人の名声にもつながります。名前で仕事が繋がっていくからです。

:そして、長期間にわたってチームで働くと産業全体を把握でき視野が広がります。どのように創造性やスキルが変化していくかもわかります。 

: 代理店の中枢部と一緒にいることにより、知らなかったコツをたくさん知ることができます。ワークフロー、予算、コネクション、話の進め方などセオリーにないことが沢山あります。どうクライアントと接したり交渉するかなども、ここから学んだと思います。

5:最後に、お金のプレッシャーから解放されます。給料の安心があることで、クリエイティブに集中ができたからです。

2018年、会社の再編などの都合で、会社がベルリン支社を締めることになったのです。NYに派遣され、1ヶ月いたのですが、アメリカの生活スタイルは昔の頃とあまり変わっておらず相変わらず仕事はハードで街はうるさく、好きになれませんでした。

ヨーロッパでの環境がフィットしていたので、再度フリーランス生活に戻りました。

MONEY

人生の原動力、お金のチャプターです。

その後、現在のスタジオ「1000K」でのパートナー、オリバーに出会いました。当時、お互いにまだフリーランス同士で、ちょうどパンデミックの3ヶ月前くらいでした。当時二人で、大手のクライアントと契約を結んだ時で、双方に6万ユーロ程の契約金の半分のサインをしていたことから、自身で数人の外部デザイナーを雇い、その時確か4000ユーロくらいの借金をしていたと思います。そして、ご存じの通りロックダウンになり多くの仕事はキャンセル。クライアントからカバーされるお金は自分が雇っているデザイナーに渡して終わりました。イギリスのクライアントなので、VAT(消費税的なもの)はなく、しかしここでの個人事業主はVATを払わなくてはいけなかったのです。結果、パンデミックにより大きく仕事や収入のフローが崩れ、それを機に会社を設立した方がいい、という答えになったのです。

ともあれ、こういう経緯で1000K Berlinが誕生したのです。

スタジオ設立に伴い、新たなタスクが色々ありました。

価格設定。案件の値段、1日の売り上げ、どのように価格設定していいかなど考えることは沢山あります。ですが、フリーランサーより会社として仕事を受ける方がずっと簡単ではありました。

会計、記帳、税申告、これにも時間がかかることは皆さんも容易に想像がつくと思います。

: 結果に対しては個人的に責任を負います。 フリーランスでは失敗しても次に仕事が来ないだけです。しかし会社を失敗し潰すことはから社会的信用も含め、立ち直るのはとても大変です。つまり失敗のプランBはありません

PRIVILEGE

仕事やキャリアのある場所で何をすべきか、どの道に進みたいかを選択できる「特権」についてです。

会社に入るではなく、会社をつくるということは、自分で重要なパートナーや経営者を選べることです。

現在の共同経営者は、私に自由と好きな専門職に集中させてくれるからです。パートナーは営業や契約などの交渉に、私はデザインとクリエイティブディレクターに、という役割分担がとてもフィットしています。自分は人に見られる側にいないのでネットが高速であればどこでも、いつでも、パジャマでも仕事ができます。ですので、過去3年は自分はブラジルとポルトガルに多くいて、そこから仕事をしていました。それまでは打ち合わせもリアル面会が当たり前でしたが、コロナになってから誰もそれも気にしなくなったこともよかった点です。

良いパートナーを見つけることはとても重要です。ネットワークがキーで、あなたを100%理解できる言葉を話し、あなたのクリエイティブな方向性や視点を共有できるパートナーです。

同時に、あなたとは違うアセットを持っていることです。営業と制作も違うアセットになりますが、同じデザイナーでも3Dシュミレーション、カメラワーク、グラフィック、など様々な得意分野が違います。一人が全てのジャンルでプロで通用するアセットに特化していることはオリンピックの全種目で競い合うようなものです。

自分はアートディレクション、デザインディレクターとして、コンセプトを作成する。そして各ジャンルの専門家に仕事をふり、それを最後に統合して仕事を完成させる、というのが私たちの現在のワークフローです。

現在、スタジオのオーナーの視点から仕事について言えることは、

テクノロジーと社会環境はゲームチェンジャーです。パンデミック、人工知能、テクノロジーやオンライン社会の発展を通じてワークフローがどのように変化しているかなどとても早く流動的です。

多様性はやはり鍵です。様々な種類の人間にいることは重要です。もし同じようなバックグラウンドを持つドイツの白人男達ばかりが同じオフィスにいたとしたら、視点も考え方も同じようになってしまいます。

需要や社会の波に柔軟に乗れること。自分達は最小限の人数で構成をしているので、仕事が沢山きたら外部に発注し、パンデミックのような社会問題がまた起きて仕事の需要が減少すれば出資を抑えられる。自分達の会社は自由が利き、時代の中で社会と仕事の波に乗りやすいのです。

4:怠けてはいけません。自分の会社、全てを選んで仕事で自由があることは特権です。が、しかし集中力を維持する必要があります。会社をダイナミックに運営し、成長させるためには継続する必要があります。

5:仕事がすべてを語ります。堅実にいい仕事をすればクライアントはまた戻ってきます。いい仕事をする目と手とその意志があれば大丈夫です。営業力は大切ですが、トークだけ上手くて仕事が平凡なことは同業者が見ればわかります。

WHY BERLIN?

A)プロの目線と経験があるからこお話しやアドバイス、ありがとうございました。ところで、様々な遍歴を経て、現在はベルリンが一番良いということでしょうか。

H)ベルリンは今は一番適していると思っています。カルチャーシーンは大きいし、常に沢山の仕事があります。まだまだ聞いたことがないデザインスタジオがあったり、アメリカやヨーロッパのスタジオ例えばPSYOPTHE MILLなどがベルリンに移転してきたりしています。彼らは大きなパイプラインで運営される企業で、ビッグネームのために巨大な仕事をしています。つまり、彼らが作る内容は相当クオリティーが高いです。またベルリンに社会がさらに投資の可能性をしているということです。

ベルリンは400万人の都市ですが、色々な才能がここに集まってきているし、アートシーンや文化的に非常に関連性があり、マーケットもプレイヤーも多く、とてもエキサイティングに切磋琢磨できます。多様性があり、若い人も多い。私は好きな場所です。

同時に私たちは、ベルリンでライブコミュニケーション分野でニッチなマーケットを見つけました。

大手企業は大規模なプロモーショキャンペーンを実施し、大掛かりな3Dモーションデザイン環境を構築し出しています。私たちとクライアントは、この一夜のイベントのために数ヶ月の間、全てにおいて入念な打ち合わせをするので、クライアントはまた戻ってきます。毎年、例えば何月はユニバーサミュージック、ファッションショー、フェスティバル、ジュエリーアワード、ゲームショーなどイベントがあります。これによって、とりあえずは通念を通して安定した仕事が得られるのです。

WHAT’S NEXT

やはり次に来るのはAIでしょう。AI は私たちのタスクを置き換える存在になりますが、全てだとは思っていません。

現在私はスケッチ、Midjourney やDallEなどを多用し、ムードボードなどのビジュアルコンセプトを作っています。その時にたまに使用しますが、AIの場合は予想もしていない画像が生成されて現れてき面白いアクセントになっています。また、基本的な編集、合成、編集、デザインの最適化もワンクリックで行います。また、リアルタイムトレーシングはUnrealとUnityを考えると、大きなゲームチェンジャーでしょう。

バーチャル系のドームプロダクションでは、現在全て巨大なLEDドームのスタジオで撮影されています。グリーンスクリーンではなく、俳優に緑を塗り、降り注ぐLEDの光に合わせようとします。現在、カメラやストリーミングで見られる場所に統合、拡張された3Dアセットを用意してほしいと要望がきています。トラッキングにはまだ多くのエラーがありますが、3、4年で大規模なものになると思います。3Dモデルの自動生成は現在、NVIDIAは人工知能に取り組んでおり、基本的には欲しいシーンのスケッチしプロントとアニメーターとしての私が簡単なスケッチからパイポリ3Dモデルを作成します。去年はまだテクノロジーが追いついていなくギミックのようなものでしたがこれも2、3年の間に大きなゲームチェンジを迎えます。最近、Unreal Engineではもうこれを実現しています。例えば砂漠があり、オアシスを配置したい場合は地面に形状を作成すると完璧な3Dのオアシスが作成されます。このようなことで私のワークフローもそれに伴う美学も大きく変化しています。

Web3、ARも興味深いです。現在ローカライズされた拡張現実の仕事も行っていて、ロケーションベースのNFTもやっています。例えばニューヨークのNFTミートアップで、招待状を持ってその場所にいるときのみの限定盤トークンや、月面着陸トークンなど、ビジネスというより遊び場のようなものでもあります。NFTの波がどこまで来るかわかりませんが、ARは確実に私たちの世界に来ると思います。グーグルはマップで電車のチケットなどもARに基づいてトークン化された購入を行うことになります。リアルタイムでローポリでデータが少なく一般化されていくでしょう。

私にとってライブコミュニケーションのスタジオ、クリエイティブディレクターとして、大画面のフォーマット、イベントなどの技術的な橋渡しなどもしていかなければならないので、テクノロジーが変われば様々なものが変わります。ですから、40代、50代のこの産業にいる人たちが、次の10年間をどのように過ごすのか興味深いところです。ラジオからテレビ、テレビからインターネット、インターネットからリアルタイムへ。つまりインターネット3.0時代は、更に私たちは流動的に適応していかなければいけないエキサイティングな時代になります。

DANKE / ARIGATO

A)今日は、ヘニング・ソッペさんにデザイナーとして、クリエイティブな仕事に携わるプロとして様々なことを教えてもらいました。また、個人の20年の時間を短くまとめて表面ではありますが知ることができ、とても有意義な時間だと思います。

柔軟に世界中に仕事をしに行き、デザイン、3Dモーションデザイナーとしての経験から学んだこと、現在と近未来の業界のシーンについてなど、リアルで貴重なお話でした。スキルのビルドアップに繋がるプロのアドバイスなども沢山あったと思います。

聴講した学生にとっても、学校卒業後に様々な雇用体系で仕事と自分の人生をサバイバルしていく何かの手がかりたインスピレーションになったかと思います。

今日はお忙しいところありがとうございました。

レクチャー講師:ヘニング・ソッぺ(Henning Soppe) 

デザイナー、クリエイティブディレクター(ベルリン、ドイツ)

デザインスタジオ1000K henning@1000k.berlin 

Q&A

Q1:VHSからAIまで、20年の間に様々なテクノロジーが変化して技術や美的センスも変わっていった、ということでしたが、そのことについてもう少し何かコメントをください。

A1:フローに乗ることです。時代の流れ、新しい技術開発、使うソフト技術に従い適応していくことを余儀なくされています。それにより私の視覚言語も変化します。それにより数年前ではできなかったような、新しいデザインの可能性のドアを開けてくれます。

Q2:あなたの美意識やセンス、創造性やデザインのモチーフは、テクノロジーの変化にどのように伴うものですか?

A2:相当なものです。例えば先日2ヶ月かけてSTINGのビジュアルを制作した時、最終的にはアーティストが「いらない」の一言で仕事が無駄になった時がありました。

ですので、今年は別のソフトを使ってVJソフトをリニアプロダクションとして使いました。その仕事を簡素化するためにAI技術を使用しました。逆にわざとAI生成ぽい雰囲気を意図的に、しかし抽象的に使いました。そのため、全体の美学、見た目と雰囲気はAIでしたが、ショーのトピック、アーティストやミュージックビデオに完璧にフィットしました。このような偶然のアクシデントにより、AIの外観を視覚言語として使用できることは今ではわかっています。

Q3:インタビューの中でも「偶然性と新しい発見」について話をしてくれました。これを意識的に引き起こすことは可能でしょうか。

A3:いつもムードボードを持っていて、ストーリーボードを発展させます。企業であれば表示必須のコンテンツ、ブランドカラー、などのタイプがあります。ですので、魔法部分は、ライフコミュニケーションのスタイルガイドを再発明して、新しい、しかしブランドにすることです。フレームスタイルを作り、絵コンテを作り、そしてどうすればどうアニメにするか、視覚言語にするかなど、AからBに行ける道を考え始めるのです。

そこで直接的な方法ではなく、色々遊び(Play around)始めます。例えば画像に奥行きを与えてみたり、陰影を与えて遊んだりしてみます。その制作過程でブランドの美学、ストーリー、つくりかたにどう合うかを試行錯誤します。このプロセスで色々と触ったり、動作するかわからないプラグインを使用したり、など色々遊んでみるのです。そこで、時にどういうわけか何かが起こったりします。

どこかでバランスの黄金比ができていたり、美しいフレームの細部が出てきたりします。その過程で発見した素晴らしいものを再構築していくのです。

Q4:クライアントがいる限りは、常に彼らに新しい発見をした時に採用できるか許可や承認が必要ですよね?そこで彼らにそういうセンスがない、とかありませんか?

A4:そこがコミュニケーションの秘密であって、自分がやりたい アイデアを売り込むときの魔法になります。クライアントは守りたいイメージやガイドライン、コーポレートアイデンティティーを持っていて、その上でクリエイティブなプロフェッショナルにアプローチしてきます。その場合、コミュニケーションを行い、デザインを構築し、それを実現していきます。大手はクライアントに細かく管理させたり上司に報告義務があったりと大変コンサバでトリッキーです。プロとしてビジョンや知識に心配させずに納得させ、なるべく干渉させないで安心して仕事をすることです。

Q5:色々なトリックやコツなどをBe Reelの会社時代に知ったとのことでしたがどんなものですか?

A5:はい。更には会社単体の中でも、その中の財務の視点から、マーケティング側の人間から、コミュニケーション部の観点からなど、同じ仕事に携わる他の部署の視点から、プロジェクトに対しての様々な意見を取り入れます。もしくは他の会社とのキャンペーンから学んだこと、その仕事の背景から知ることもあります。

自分はクリエイティブの人間なので、デザイナーの芸術的視点を通して物事を見ています。しかし、その中でも技術的な人間、他にも例えばUXデザイナーだとか、私と違うアプローチで視点を持っています。ですので、彼らのアイデアに耳を傾けることも必要です。これらを通してクリエイティブな自身の視点に全く新しい視点、新しい言葉が与えられ、デザインを前進させてくれます。

Q6:雇用されている時の経験、フリーランスでの体験、様々なキャリアの幅が今のヘニングさんには役に立っているのですね。

A6:フリーランス数年、社内で数年と働きました。フリーランサーでは時間の制約やNDAの秘密保持があることに対して、会社に入ると規模感が違い、社内では戦略、計画に深く関与することができます。

Q7:雇用されていて疲れた、飽きたと言っていましたよね、それは仕事のしすぎだったと。もし会社でもう少し仕事時間が少なく、ワークライフバランスが良ければ、もっと長く働いていたと思いますか?

A7:最後の一社のワークライフバランスは倫理観があり問題はなかったです。ドイツでは一日8時間労働のルールがあるので、会社はアジアでの仕事環境の様に、残業を強いることはありませんでした。アジアでは基本的には常にぎりぎりの締切の状態にあり、期待されているからこそパフォーマンスを過剰に発揮できます。しかし、ここではワークライフバランスが健全でなければならず、そうすることで心が自由になり、より良いアイデアが浮かび、仕事の質が上がります。代理店にもよりますが、近年は従業員のウェルビーンぐ(健康と自由な時間を優先)する職場環境が増えました。例えば、ベルギーでは午後18時以降や週末にスタッフにメールをすることは違法になっています。だから私も同じことをしていて夕方以降電話には出ません。だからこそ自分の時間が神聖なものになるのです。これが結構社会では普通になってきて、敬意さえ払われるようになってきました。次世代のZ世代が今、市場に登場しています。彼らにとっての重要点は「上司に所有されていない」という立場や権利です。自分の人生と時間、「仕事は仕事」ということです。

Q8:アジアとヨーロッパを比べたときに、そのワーキングバランスは同じに近づいていますか?

A8:ここ数年アジアで働いていないのでわからないですが、2015~16年の私が働いていた時と比較すると、数国では相当働いていました。夜通しのマンパワー作業という感じの中国での仕事に対して、こちらではもう少し構造化、計画化されています。またアジアでは時間ぎりぎりの中でマックスになるべく多く搾り取るものを求めています。それにより時に非現実的に求めすぎることがあります。知識がないというのと、プロデューサーと社内各部門の意思疎通や理解、アイデアと現実との大きなギャップがあります。

ヨーロッパは質の高い仕事をするために、どれだけかかるかという意識が大きいと感じています。中国ではクリエイティブよりキーアカウントが優先もしくはヒエラルキーの上にいて、ドイツではそれが逆です。

Q9:それでは、アジアの人たちはヨーロッパのようなワークスタイルにしたら、全てが良くなると思いますか?

A9:良し悪しではなく、違うアプローチの仕方なのです。デザインスタイルも違う発展をしたでしょう。質より量、という感じは悪くありません。しかし課せられたプレッシャーはいいと思いません。こちらで週休三日制度で生産量も給料も同じです。アメリカではどうかわかりませんが、こちらでは生産性の時代から、個人の幸福感にシフトしていると思います。良し悪しではありません。

Q10:日本の学生には、それでもやっぱり外国で働くことを薦めますよね?

A10:わかりませんが、ヨーロッパ人の自分個人的にはアメリカやアジアで経験を積んで本当に良かったと思います。デザインやアートの世界で何が起こっているのかについて、自分の知っている小さな世界、社会構造、文化構造の中から外に目を向けることは素晴らしいことだと思います。

大陸を横断は必須ではないと思いますが、近くの国に様子を見にいくだけでもいいと思います。日本だったら例えばソウル、ジャカルタ、シンガポールや香港、台湾だってすぐ近くで簡単に行けます。

彼らは似たようなことをしていますが、全く違った文化背景を持ってアートやデザインに対してアプローチしています。

別に引っ越したり、生活したり働くことが絶対いいとは言っていません。もちろん、そういう経験ができることは素晴らしいことですが、全員ができるわけではないし、個人個人、生活と環境はそれぞれでしょう。ですが、せめても他の国のデザインシーンで何が起こっているのかなどオンラインで調べることはすぐできます。

Q11:日本の「デザインシーン」について、どう思いますか?

A11:実は先日まで、日本で展示、パフォーマンス、カルチャーの今を見るために、3週間滞在していました。

その中で感じたのは、部分的には近未来だと思いました。欧州では使われていない技術があります。例えば、ファサードの湾曲したLEDスクリーンなど、遠近法を利用して建物の角をデザインに利用するなどはまだドイツにはありません。日本のデザイナーがこの手の屋外デジタルデザインでどのように遊んでいるかを見れてとても嬉しいです。

私がよく見つけたのは、70年、80年代のノスタルジック風な未来的ビジュアルです。

あと新しいテクノロジーがあるから使う、という道具ありきが先行

している表現です。私が観たライゾマティクスの公演では、床の幾何学的な要素にプロジェクションパッピングが沢山使われていて、デジタルテクノロジーらしいベタベタな表現が安直だと思います。新しい道具は使ってみたけど現実的なレベルにいくとまだ没入的なライブ感は不可能です。ですが、美的センスやモノの見方、物事の動きなど日本的だと思います。ドイツよりも少し風変わりで遊び心があると思います。

他にも世界情勢のニュースを見ていてもコメンテーターが見せるパネルのデザインが、子ども用かと思うような国旗や各国の大統領の似顔絵的があり、ゲームか幼稚な表現かとも思いました。なぜこんなにもミニマム化された可愛いグラフィックの様なものが?と考えました。しかし同時に、それが彼らがインフォグラフィックの読み方なのだとも気付かされました。複雑な情報を単純化するスタイルです。とても興味深く見ていました。繰り返しになりますが、どちらがいい悪いでなく、ビジュアルコミュニケーションがどう学ばれ、文化がどう見ているかなのです。

Q12:海外から見た日本のアニメ産業はどう見えますか?

A12:残念ながら、私は日本のアニメ業界については全く知りません。 私はスタジオジブリ、AKIRA、北斗の拳、攻殻機動隊、美少女戦士セーラームーン、アタックN°1、ハイジくらいしか知りません。

Q13:ヨーロッパとアジアを比べてクリエーターの給料の違いはありますか?

A13:はい、正直言うと、私の場合はいつも“西洋”の給料を受け取っていました。これが地元の契約よりも4倍の給料だったことは知っています。現地デザイナーでも専門職は私と同じレベルの給料が支払われていたたとこは聞いています。

Q14:何かを生み出し続けることが楽しいと思いながらも、同時に自分も心を削っている ような気もします。最近悩むことが多いのですが、そういったことはありません か?もしあるなら、どうやってそれを乗り越えているか教えていただきたいです。

A14:心を削っているいうことが何を意味するのかわかりませんが、 つくる楽しみや満足感がなくなってことがある時があるのはわかります。 私もその気持ちをも時にありますが、しかしそれは創造の段階にすぎないことであることを保証します。

また、通常とは異なるスタイルやテクニック、まったく異なるものを探求することもお勧めします。 普段の習慣を壊すような小さな習慣を行動してみたり、クリエイティブな仕事に取り組む前に一度落ち着いて俯瞰して見ることもいいと思います。

閉塞感やインスピレーションがなくなったと感じたときにピラティス、ヨガ、縄跳びなどの軽いトレーニングを 30 ~ 45 分間行うなども個人的にはいいと思います。

また、リック・ルービン著「The Creative Way」という本を読むことをお勧めします。この本ではまさにこれらの世界とその取り組み方について探求し、説明しています。

Q15:学生のうちに経験しておいて方がいいことを教えてください。

A15:個人個人違いはありますが、できる限り教授や他の学生から多くの知識を吸収することをお勧めします。 自分の振り返ってみると、大学時代は自分のために働き、学ぶという課題があったことが最高でした。

時間を割いて、自分の個人的な成長に集中してください。 大学を卒業して働き始めると、あまり時間がありません。

Q16:スランプを経験したことはありますか。あれば、それをどのように克服しているか教えていただきたいです。

A16:あります。 スランプに耐えるだけでは解決にはならないと思います。意識的にスランプを乗り越える必要があります。 落ち込んでいる原因を特定し、考えられる対策を分析します。

沢山の小さなステップが、時間が経つにつれて大きな進歩に繋がります。 また、習慣を変えたり、映画を観たり、展覧会を観たり、本を読んでインスピレーションを得てください。

知覚から視点への変化。 人生や生きることに対する個人的な認識はあなた自身にありますが、それを一つの視点として認識し、状況をより広い視野で見ることで、新たな洞察が生まれます。

チャーリー・チャップリンはかつて「人生は、クローズアップで見ればドラマだが、ワイドアングルで見れば喜劇である」と言いました。

Q16:就職活動中で自分が何をしたいのかがわからなくなってきており、悩んでおりま す。 ヘニングさんが多種多様なキャリアを積みながら、現在まで業界で成長し続けられ た理由や迷った時に軸にしていることなど、お伺いしたいです。

A16:時々、自分の直感に従い、自分の強みは何なのか、仕事において個人的に前進させてくれるのは何なのか、また、まだわかっていないが学びたいことは何なのかを確認してください。 そうすれば、仕事を選択する際にいくつかの選択肢が得られるはずです。

まだ確信が持てないときは、何かを試してみることを恐れないでください。もしそれが自分に向いていないとしても、少なくともそれを知ることができ、自由に別の道に進むことができます。

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