【アート思考 後編】これから日本社会は縄文化する!? アート思考の実践者が語る、未来予想図

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中編では、柴田“shiba” 雄一郎さん(下記敬称略)の人生に焦点をあて、いかにして、彼はアート思考の実践者となったのかその奇想天外な人生のストーリーを紐解いていった。今回の記事では、柴田さんが語るこれからの世界の展望をお届けする。

世界はHXの時代へ

ーこれまで、アート思考と柴田さんの人生のストーリーを伺ってきましたが、これから柴田さんがどういった未来を見据えているのか、教えていただけますでしょうか。

柴田

私自身の未来に関してというよりも、これからの世界がどうなっていくのかということに関するお話ですが、いま、世の中ではDX(デジタルトランスフォーメーション)が取り沙汰されていますが、DXは単にデジタル化による効率化だけでなく、その先にあるデジタルとフィジカル(経験)の拡張を意味しています。メタバースやミラーワールドという物理世界がデジタル世界に移行する過渡期だと感じています。その先にはHX(ヒューマントランスフォーメーション)の時代が来ると思っています。

ーHX(ヒューマントランスフォーメーション)初めて聞きました。一体、どういった考え方なのでしょうか。

柴田

HXは、簡単に言うと、精神と物理的なテクノロジーが融合しアナログとデジタルの境界がなくなっていくことでアート(表現)・スピリチュアル(精神)・デジタル(人造物質)といったものが融合していくことです。その世界では、アニメの「攻殻機動隊」や「ブレードランナー」の様な人間と機械の間のようなハイブリッドな人が出てきたりするでしょう。SFの様な話ですが、すでに自分の存在をAIと融合させている人も出てきています。イギリスのロボット科学者であるピーター・スコット-モーガン博士は難病で余命2年を宣告された事で自ら「AIと融合」し、サイボーグとして生きることを決意しました。(NEO HUMAN ネオ・ヒューマン: 究極の自由を得る未来   ピーター・スコット-モーガン

まずは近い将来、キーボードの様な入力デバイスがなくなってパソコンの入力などなしでも脳から直接オペレーションをするのが当たり前の世の中になっていくと思います。私は、こういった世界に人類が移行するためにどういった社会構造や個人になったらいいかを考えています。シンギュラリティーという言葉を聞いたことがあると思いますが、AIが人の仕事を奪うとか、さらにはAIが人類を滅ぼす「ターミネーター」の様な世界をイメージする人もいますが、そうならないためにも。アートは重要な鍵になってきます。アルスエレクトロニカの総合芸術監督 ゲルフリート・シュトッカー氏にお話をうかがう機会があってAIとテクノロジーの関係について「アートは根本的に人とは何かについて探求してきました。アートとテクノロジーは元は一緒なんです。アートとテクノロジーはもっと初期の段階から対話をすべきです。テクノロジーがどんどん人間に近くなっていく中で、AIは人間の核心に近い技術だと思います。だからこそエンジニアはもっとアーティストとコラボしていく必要があると考えています。そうする事で安心してテクノロジーが進化できる」と語ってくれました。

ーなるほど、お話を伺ってHXというのは、デカルトに代表されるような二元論的な思考からそれを脱した思考への移行なのだなとわかりました。そういった社会になるために、柴田さんは何が必要だと考えているのでしょうか。

柴田

デカルト的な二元論ではモノ(物質)とココロ(精神)でしたが、そこにアート表現を加えてみました。アートは物質と精神の間でそれを結びつける表現行為=フィジカルだと思うからです。私は、そういった世界に人間が向かうための入口がアート思考つまり自分軸で世界を捉え表現することであり、これは、最低限、人間がAIと共創するために必要な概念だと考えています。身体と心が一体となった、物理的境界を超えた心身一如の状態は心理学者のミハエル・チクセントミハイが提唱する「フロー」に近いと思います。フロー状態は”時を忘れるくらい、完全に集中して対象に入り込んでいる精神的な状態”を言います。この状態は、芸術家に限らずアスリートや冒険家などの何かを極めている人の多くが体感しているのですが、ここに到達した人は、心身が一体化して、身体が置き去りにされることがないため身体性と精神性が乖離することから生まれる不安がありません。私自身、バリで踊りをしている時や、トライアスロンのトレーニングで自分(心)と世界物質)の境界がなくなる体験をしたときに感じました。より高次元なところにいけば、心と体が二元論から分化していないレベルの状態になり得ると考えています。

アーティストは創作の結果、オブジェクトを作りますがオブジェクトの前には、何があったかというと、心(精神)の奥底に抽象的な概念があるだけで、それが結果としてオブジェクト(物質)化している訳でこれが表現(アート)という行為なのだと思います。つまり、精神という無形のものと物質という有形のものを結ぶコンセプトがアートなのかもしれない。 

なかなか、こういったことを論理的に説明するのは難しいですが何かを突き詰めた人は、最終的にオカルトにたどり着くと思います。オカルトというと恐怖映画を思い出す人がいるかと思いますが、そういうオカルトではなく理屈では説明できない世界や形而上学的な世界を意味します。物理学者や数学者がいう究極の世界は神秘的で人智を超えた世界であると言います。そのオカルト的な部分、神秘的なところにこそ本質があると私は考えています。その本質を発掘するためのアプローチが宗教や哲学や芸術が追い求めてきたことではないでしょうか。

ーアート思考の先に、身体と心が一体となった状態があるのですね。そして、それがオカルトのようなところなんですね…そういった状態を目指す、アプローチなどはあったりするのでしょうか。

柴田

そうですね。いきなり芸術家や超越的な物理学者や究極のアスリートになるのは無理なのでGoogleはじめ、大手企業も取り入れているマインドフルネスが入り口としてはいいのではないでしょうか。自分を客観的に見ることで、ざっくり言えば自分の内面と外面が乖離していることに気づき乖離しているなら、近づけばいいと認識することで身体と心に一体感が出てくる、、と解釈しています。これは座禅や瞑想からきていますが、無心になるなんて、悟りたいわけじゃないんですからもっとカジュアルな入口として考えたら良いと思います。そもそも、「無心にならなきゃ」なんて思わなくてもいいんです。そこに目的(しなければいけない)とか成果(こうあるべき)をもとめても意味がない。そう思う事自体が本質からずれてます。私は週に最低1回は銭湯で瞑想してます。理由はボーとできるから、「ととのう」から。個人的には老師の「無為自然」つまり、あるがままで良いと思います。おそらく日本の若い人の間でブームになっているサウナもそう言った意識からだと思います。

マインドフルネスは、身体と心に一体感をもたらす

縄文化していく日本社会

ーいまお話いただいたのはかなり大きいフレームの話でしたが、これから日本社会がどうなっていくかなど何か考えていらっしゃいますか。

柴田

世界的なレベルで資本主義の限界やポスト資本主義というキーワードが飛び交う様になってきました。これはコロナウィルスが蔓延する以前から言われていた事ですが、これからの経済成長が見込めないという事です。事実、景気循環に関する学説のひとつで、景気が約50年周期で循環するというコンドラチェフ長期波動説においても次の波が見込めるか疑問視されています。

コンドラチェフの波
(引用元:みんなのデザイン部 G-factory ゲンタロー, https://ameblo.jp/gentaro102/entry-12613816509.html)

世界的に見ても景気はここ40年ほぼ一定水準で波が起きそうな気配もありません。資本主義の原則は経済成長です。その限界が来たとすればそれは脱成長社会です。実はその社会の手本は縄文時代にあったと考えます。つまり、狩猟採取時代です。生活に必要な分だけの食料を狩猟でを得てそれを分かち合い、必要以上にニーズを満たす行動(労働)もない。セルジュ·ラトゥーシュの著書「脱成長」で脱成長社会は自己制御、分かち合い、贈与の精神、自立共生を基礎とする「節度ある豊かな社会」といっています。

世界の経済成長率 
(引用元:国土交通白書2020,https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/r01/hakusho/r02/html/n1117000.html

 そして、余暇の時間を存分に表現する時間に当てられたのではないか、生活とアートが共存し未分化であった環境下で縄文人は中世から近代への芸術以前の本質的な魂の表現を土偶や土器に残すことができたのではないか。合理性や利便性を超越した呪術(魔術)的ともいえる土器の造形にその片鱗を感じます。

現在まで縄文は、歴史の教科書にもほんの数ページしか掲載されていない、未開人の社会という印象でしたが、縄文には感謝による循環経済やシェアリングエコノミーが存在し、争いのない平和な社会の構造は、もしかすると自立分散型のヒエラルキーのないティール組織に近い多様性をもったコミュニティー社会であったのではないか?ということが想像されるのです。新しく社会を担っていくデジタルネイティブなZ世代は、シェアリングエコノミー、フェアトレードや地産地消、オーガニックなど「エシカル消費」への関心も高くなってきています。

最新のゲノム解析の結果、北海道のアイヌと沖縄に日本人の遺伝的なルーツがあった事がわかってきました。日本のアイデンティティーはここにあるのではないかと考えています。実は縄文に1万年続いたポスト資本主義のモデル社会があったのかもしれない。。こういった話を、縄文式アート思考という授業の中でしているのですが、話を聞いた、大学生とかは、その話にすごい共感できるといった感じでした。明治以降、日本が欧米追従の文化に染まり経済発展を成し遂げた現在だからこそ自分たちのオリジンである縄文に目を向ける事に意味があると思います。

詳しくはこちら【縄文式アート思考】

 縄文時代に日本人はシェアリングエコノミーやサブスクリプションに近いことを経験していた。
      (引用元:北海道·北東北の縄文遺跡群, https://jomon-japan.jp/learn/jomon-culture)

ーこれから、日本社会が縄文化していくというお話でしたがそういった社会への移行というのは、どのように起こってくるのでしょうか。

柴田

基本的には、こういったことは地方創生とも関わってくるのですが今後、日本は人口減少が急速に進み、税収が減る為、自治体が街を維持できなくなってきます。私がアートフェスティバルのプロデュースで関わった逗子市は10年で7億円税収が減っています。関東で鎌倉の隣の街でこの状態です。これからは市民が自立して街をデザインし、管理しなくてはいけなくなってきます。行政の財政が悪化した逗子市では行政主導で始めた逗子アートフェスティバルの予算が0になり市民主体でクラウドファンディングを始め、200万円くらい集めて、自分たちの手で街をデザインすることができるという実感をもつことができました。

逗子アートフェスティバル2018

ひとつの手法として、アート(表現)によって人の繋がりが生まれ、 自分たち自ら経済を作り、行政に頼らずに分かち合い、自立共生を基礎とするコミュニティーを中心に自ら街をデザインしていくということが起きないと持続可能性がなくなってしまうと思います。

これからは住民、自らが主導となり、街をデザインしていく。
 (引用元:逗子アートフェスティバル2019 https://zushi-art.com/old/?p=3276)

アート思考を社会実装する

ーありがとうございます。地域のコミュニティの運営を地域に住む自分たち自身で行うということに関しては30万部超えのベストセラーを記録した「新人世の資本論」で斎藤幸平さんがマルクスのコモンを引き合いに出して論じられていたことでもありました。先ほど、大学生に向けて授業をしているという話でしたが、9月から開講されるアカデミアの話をしていただいてもいいでしょうか。

柴田

はい。学生に向けた学びの場で私は高校生と大学生を対象にアート×デザイン思考の授業を担当します。今注目されているデザイン思考で上場したグッドパッチさんや、 チームラボ、ティール組織など次世代型の組織の実践者などゲスト講師も迎えます。他の講師の方にはビックバン以降の歴史を語る方や国際ジャーナリストの方なども登壇します。社会に出る前の時点でアート思考やデザイン思考、次世代方組織に触れておくのは大切だと思います。ただ、私がそこでアート思考をシェアしても、そういった思考を持つ人を受け入れる体制がいまの日本の企業には整っていないので、未来志向の企業にお声がけして講師をしてもらったりインターンを受け入れてもらう事でアート思考を社会実装することにも取り組んでいます。

大学生向けのアカデミアの詳細はこちら Stella Aura

アートを学ぶ人たちに向けて

ーただ、教えるだけでなく、受け入れる環境づくりまでサポートしていくのですね。素晴らしいです。最後に、このアートサバイブログの読者の中には美術系の学生も多くいるので、そういった方々に向けて、何か伝えたいことなどありますでしょうか。

柴田

そうですね。しっかりと社会に目を向けてその中で、自分と社会の接点を見つめ直して、それを社会に向けてプレゼンテーションできるかがどうかが大切なことだと思うので、それを実践していって欲しいなと思います。

ーありがとうございます。ここまで、長い時間、お話いただきありがとうございました

いかがだったろうか。 

これまで、全3回にわたって、アート思考の実践者柴田“shiba” 雄一郎さんのお話を伺ってきたが、締めくくりとなる今回は、余すことなく柴田さんが考えているこれからの世界の展望をお伝えした。これだけ、時代の変化が激しい中でも、アート思考を携えれば自分軸で生きることができ、さらに自分なりにこれからの世界がどうなっていくのかを思い描けるのだと感じさせてくれる回だった。

みなさんも、ぜひ、アート思考を携えて、自分軸で生き、自分なりにこれからの世界がどうなるかを思い描いてみてはどうだろうか。

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