ヨーロッパの芸術祭 「欧州文化首都 Kaunas 2022」(リトアニア)ー都市のアイデンティティー

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Image source: Ecoc News

欧州連合によって1985年から行われているヨーロッパの文化事業、欧州文化首都。毎年ヨーロッパの2~3都市が選出され、それぞれの都市やそこに住む人々に深く根ざしたイベントが一年に渡って行われています。前回の記事では欧州文化首都の概要、文化産業による都市へのアプローチ、今後の開催都市に着目して紹介しました。

今回は、2022年の開催都市の一つ、「Kaunas 2022」を特集します。バルト三国リトアニアの第二の都市、カウナスで行われているこのイベント。期間中に開催されるフェスティバルの数は40、展示会は60を超え、またステージイベントとコンサートはそれぞれ250以上にのぼります。欧州文化首都は毎年、それぞれの開催都市に即したプログラムが企画されていますが、カウナスではどのような歴史的・社会政治学的背景が反映されているのでしょうか。

Kaunas 2022 のテーマは?

Kaunas 2022のテーマは「テンポラリー(一時的)からコンテンポラリー(現代的)へ(Temporary to Contemporary)」です。都市の生まれ変わりを目指した現代都市としての神話の創造が思い描かれています。そしてこの「都市の神話」は、すべての住民によって生み出されるものだといいます。

Kaunas 2022では、「カウナスの神話三部作(The Myth of Kaunas Trilogy)」と題して、開幕・中間期・閉幕のタイミングで3つのメインステージが企画されています。このアイデアの原作者でありスクリプトライターのリティス・ゼンカウスカス氏(*1)はこう語っています。

カウナスの神話三部作は、欧州文化首都の旅路となる3つのメインイベントです。私たちが何者なのかを知り、それを受け入れ、そのままの形で私たち自身と共存すること。それは、ひとりの人生における3つのステージにもよく似た旅でしょう。

この神話三部作は、混乱を表す第一部「The Confusion 」、川の合流点を意味する第二部「The Confluence 」、 そして協約を誓う第三部「The Contract 」に分かれています。それでは、Kaunas 2022の目指す現代都市とはどのようなものなのでしょうか。ここからはカウナスの歴史的背景から考察していきましょう。

マイノリティの記憶と「リトアニアらしさ」

Kaunas 2022のテーマの背景には、二つの世界大戦から今日までの歴史が深く関わっています。カウナスは二つの世界大戦の間(戦間期)、首都のビリニュスがポーランドに支配されたことから一時的(テンポラリー)な首都となりました。こうして他国からの支配への対抗の印として、「最もリトアニアらしい都市」としてのカウナスというステレオタイプが構築されていきました。その後、リトアニアは第二次世界大戦をきっかけにソ連に編入されてから1990年代に独立を回復するまで、50年にも及ぶ被支配の歴史をたどることとなります。そのプロセスの中で、「リトアニアらしさ」から非マジョリティの多民族的記憶は排除され、都市のイメージが単一化されていったのです。

Chiune Sugihara: man of conscience | The Japan Times
Image source: Japan Times

リトアニアの近代史について馴染みがなくても、杉原千畝の「命のビザ」ついて耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。実はこの杉原も、Kaunas 2022にとって重要な存在となっているのです。第二次対戦中、ナチスドイツによるホロコーストによってリトアニアにいたユダヤ人も危機的状況下に置かれていた当時、日本領事館領事代理としてカウナスに赴任していたのが杉原です。杉原はビザを発給することで、彼らがヨーロッパで激しさを増すユダヤ人迫害から逃れられるよう手配をしたのです。

筆者がカウナスの杉原ハウスを訪れた際に学芸員の方とお話したところ、杉原千畝とユダヤ人に関する記憶は、リトアニアの「歴史」として一般の市民に広く浸透しているわけではないことを聞きました。つまり社会が持つ過去への視線は、誰が権力を持ち、どのように「歴史」としての記憶が選別されてきたのかという問題と深く関わっているのです。また、あるコミュニティの中で非マジョリティの多民族的記憶が消失している例は多く見受けられ、現在もそれぞれの社会が異なるコンテクストで直面している問題だと捉えることができるでしょう。

今も続く「最もリトアニアらしい都市」というコミュニティ観に対して、Kaunas 2022は忘れられた多民族性を表象する場となっています。文化芸術事業によって、カウナスをより包括的な現代(コンテンポラリー)都市として刷新していくことが試みられているのです。

地域密着型プログラム「Memory Office」

Kaunas 2022 memory program will build bridges between different cultures,  religions and languages - EN.DELFI
Image source: Delfi

先述のような背景から、Kaunas 2022では現代都市としての新たなアイデンティティを創造することを目的とした8つのプロジェクトが行われています。中でも全体の中核を担っているのが「Memory Office」です。プロジェクトを運営するチーム Atminties Vietos (*2) は次のように話しています。

「Memory Office」というプログラムの目的は、カウナスの都市部や周縁の町にある多民族的記憶を呼び起こし、豊かな歴史を想起させ、自己と居住地への誇りを促進することです。(…)過去を振り返りながら、問いかけることが重要なのです。過去のストーリーから私たちは何を学ぶことができるのか。私たちにインスピレーションを与えられるものとは何か。そしてなによりも、私たちが未来に望むのはどのような都市だろうか、と。

このプロジェクトでは、これまで「歴史」からは排除されてきた個人のストーリーから、リトアニアのコミュニティ観を問い直すことが目指されています。「Memory Office」は2つのプログラムに分けることができます。

その1つは2019年から始まった「City Telling Festival」で、地域密着型の企画がカウナスの都市や周辺の町で行われます。フェスティバルでは、ストーリーテラーたち(学芸員、演劇関係やその他のアーティスト、歴史愛好家、ローカルコミュニティのアクティビストなど)が忘れられた記憶を呼び起こす多種多様なイベントが企画されています。

2つ目は「カウナスのエスニック・コミュニティへのインタビュープロジェクト」です。このプロジェクトでは、様々なバックグラウンドを持つ個人の過去の記憶をたどり、そのストーリーをオンライン上で共有しています。インタビューではそれぞれの視点から、家族のルーツや戦争が個人に与えた影響、その後の生活などが語られています。これらを通して、リトアニアの「歴史」という言葉では捉えきれていない多民族的記憶とは何を指しているのかを具体的に知ることができるでしょう。実際のインタビューや写真などは、こちらのページからチェックしてみてください。

まとめ

ここまで欧州文化首都 Kaunas 2022 が、どのように都市と関わっているのかを紹介してきました。欧州文化首都は、開催期間のみでなく長期的な目線でコミュニティ形成に携わっています。芸術文化事業によって都市を刷新する試みは、どのようなコミュニティの未来を思い描くのかという都市のアイデンティティの問題に向き合っています。それは一朝一夕には答えの出ない問いであり、それぞれの個人が他者と共に考えなければならないものです。

「カウナスの神話三部作」で混乱と合流を経て、最後を飾るのは共存を誓う「Contract」です。

都市はどのような過去を持っているのか。そして、芸術文化産業は都市コミュニティの未来にどう関わることができるのか。これを機に、皆さんの住んでいる場所でも考えを巡らせてみてはいかがでしょうか。

*1 : “The Contemporary Myth of Kaunas Trilogy – A Journey to A New City Identity,” Kaunas 2022, https://kaunas2022.eu/en/2021/11/19/the-contemporary-myth-of-kaunas-trilogy-a-journey-to-a-new-city-identity/.

*2 : “Kaunas 2022: Memory Office,” Atminties Vietos, https://www.atmintiesvietos.lt/en/kaunas-2/kaunas-2022-memory-office/.

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