チェコとメタルボタン〜250年の歴史と魅力をわかりやすく解説〜

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 チェコ共和国には注目するべき沢山の伝統工芸とその文化があります。その中でもボタン工芸と言うと、現代ではガラスボタンや糸ボタンを思い描く人が多いかと思いますが、今回は現在まであまり知られることのないチェコの「メタルボタン」(金属製のボタン)とその歴史について紐解いていきましょう。

 チェコのメタルボタンがまず初めに歴史に登場するのは1770年頃、チェコとドイツの国境地帯で最初の錫製のボタンが作られたと記録が残っています。約250年前に最初のメタルボタンの始まったのです。今で言うチェコ人と共にたくさんのドイツ人も居住していたこの地で、最初の錫製ボタンの制作者はペトロヴィッツ在住のクリスティアン・ヒエケという人物でした。後、1783年にウィンクラー兄弟によって最初のボタン製作工房が設立されます。当時、彼らはこのボタン製造業が、後に世界的に有名になるとは想像もしていませんでした。

世界中を彩る北ボヘミアのメタルボタン

 制作の場はペトロヴィッツから徐々に現在のボヘミア地方にあったティサー(ドイツ名Tyssa)に移され、ここから本格的なチェコのメタルボタンの歴史が始まります。プラハ、ベルリン、パリ、そしてミラノ。19世紀初頭にはすでに、これらの都市の至る所でティサーの装飾ボタンを見ることができました。その頃からヨーロッパ中で、ボヘミアのメタルボタンはチェコの貴族階級やパリのサロンなど、品質とセンスを重んじる人々の間で定評を得ることになります。また、最初の工房で修行した弟子達は徐々に熟練の職人へと成長し、彼らによってボヘミアのボタンはヨーロッパ中に広がっていくことになります。

19世紀末には、68もの小規模な工房で、800人ほどの職人が既に素晴らしいボタンを製造していた記録が残っていますが、これらの工房の多くは家族経営で運営されていました。

徐々に製造は近代化され、ボタンの種類も拡大しました。メタル製以外の一般的なボタンに加え、現在の雛形となるカフスボタン、カラーボタン、チェストボタンなどが人気でした。

戦争の到来

 ティサー製のボタンが人気を博していた頃です。なんとボヘミアのメタルボタンは全てのヨーロッパの軍隊に採用され、それだけに留まらず、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエの近衛隊の制服にまで採用されました。しかし戦争がすべての人の平穏を奪うことになります。

第一次世界大戦は、市場の縮小と失業をもたらしました。しかしボヘミアのボタンメーカーは何とかその厳しい経済状況に対応しようと努力します。そしてティサーでの製造は手袋用ボタンやヘアピン、フック、サスペンダー用の金具、ネジ、傘の部品等、製品の種類は多岐にわたりました。

第二次世界大戦が始まり生産はさらなる痛ましい打撃を受けます。1938年には生産停止に追い込まれ、戦後を乗り越えるのは大変困難なものでした。生産工程の深刻な損壊、材料の不足・・・ドイツ系の所有者から、国が生産の管理を引き継ぐことになります。

1945年末までに、当時あった15社が生産を再開し、北チェコ、ティサーにほど近いジュエリーとガラスの町ヤブロネツからジュエリーやガラス職人もティサーへやってきました。また当時、世界中に250以上ものボタンメーカーがあり、そのうち数十カ国のメーカーがティサーのボタンとその高い技術に興味を示していたと言われています。

コヒノール(KOH-I-NOOR)時代- 大戦後の国営企業体制

 第2次大戦後数年の年月を経て、個々の企業は中央国家委員会のもとに徐々に合併され始めることになります。その内の幾つかは姿を消し、残りは1950年に新たに設立されたコヒノール・デェチーン社 (KOH-I-NOOR Děčín) に併合されます。ティサーはボタン製作だけに留まらず、ヤブロネツ・ナド・ニソウで作られていた、制服に使用される金属パーツや金属チェーンなども製造する様になりました。

当時、ティサー製のボタンには世界中から大きな関心が寄せられました。ティサーの工場は、ヨーロッパでも数少ないモードの為のボタンと透かし細工(針金細工に似た、プレートの向こうが透けて見える所謂フィリグリーという細工)を専門としていて、ここからドイツ、イギリス、アメリカだけでなく、日本やサウジアラビアへと波及していきました。

 チェコスロヴァキア共和国、共産主義時代の国営企業・コヒノール・デェチーン社の元、1993年までティサー製品を購入する事ができました。1991年から1993年の民営化後、工場は再び幾つかの会社に分割され、一部の会社は姿を消しましたが、伝統を引き継ぐ部門が新しい民主主義の世の中で現在のTYSSA METAL社として継続することになります。そしてチェコの最北端・シュルクノフという街、それもかつて劇場だった美しい建物の中で、現在でもメタルボタンの製造が続いています。

2023年現在も変わらず手仕事とその伝統

 最初の錫製のボタンから250年、では21世紀の北ボヘミアのメタルボタン製造の現場で、実際に何が変わったしょうか。

生産を加速し、錆や劣化防止のための表面処理の範囲を拡大し、さらに健康安全面で厳しいEUの基準をクリアする様、製品全体のをクオリティーが上がりましたが、その他は以前と変わらず、チェコ産の原料使用し、チェコの人々の紡ぐ手作業はずっと変わりません。もし手に1920年製のメタルボタンと今年製造されたメタルボタンを持っていても、100年の差に気づくことはないでしょう。チェコの美しいメタルボタンは、何世代も前から作られてきた同じ姿勢で製造されているからです。

製造のプロセス

 日本でも長く続く伝統産業を見ると、製造の根幹部分は昔と変わらず、人の手とその技術がものづくりの基礎となっていることが多いものですが、メタルボタン製造を見てもそのプロセスは昔とほとんど変わるところがありません。机上にてまずはボタンデザインを製作し、その押し型作りから始まります。

こちらはかつての国営企業コヒノール時代に作られたデザインの設計図です。

 こちらはボタン用の押し型ではありませんが、このように彫り師である職人さんが手作業でボタンになる錫のプレートに模様をつける押し型を製作しています。熟練した技が必要なとても細かな作業です。それにより世界中へ数十万個のボタンを生み出せる凹型(母型)が出来上がります。母型を確認をした後、さらに凸型(父型)を製作します。

ちなみにこちらは大変古いメタルボタンの押し型です。TYSSA METAL社では100年以上古い型も数多く所蔵しています。

糸巻きのようになっているのは、錫の帯です。このメタルの帯へボタンのモチーフを鋳造していきます。押し型(凸型と凹型)の間に金属を差し込み、型の模様をそちらへプレスします。この作業には自動プレス機、または圧縮プレス機を使用します。細部の加工には小さな補助プレス機を使用して仕上げていきます。

こちらは鋳造して打ち抜かれたメタルボタンの上部です。必ず凸型(母型)と凹型(父型)が薄い金属プレートにこのような繊細な模様を打ち出します。繊細な彫りであればあるほど、繊細な模様が可能になることから、この型ひとつとってもボヘミアの職人の高度な技術を見ることが出来ます。

ボタンの上半分と下半分を継ぎ合わせるプレス機でパーツを合わせ、やっとメタルボタンの形が整います。ですがこの後も長い工程が待っています。まずは脱脂を行い、次に亜鉛メッキ槽で表面処理を施します。一部のボタンは手作業で色付けや金彩を施すこともあります。またはメタルボタンは特殊な研磨剤を使って仕上げています。表面をマット加工にしたり、ざらざらした目でも手触りでも楽しめる質感に加工します。そして最後に亜鉛メッキの安定性を保ち摩耗防止のための塗り直しを行い、そこでやっと完成ということになります。

それぞれの工程で、人の手が細部を図り、感じ、目で確認し、作業が続きます。完成したメタルボタンただ眺めるだけからは、想像も出来ないほど数多くのプロセスを経て製造されています。そしてまさに最後の工程は出荷前の品質チェック。完全に手と目で行う作業です。この工程ばかりはどんなに精度の良い機械にも、人の感覚に勝ることはありません。

世代がつなぐもの

 多くの世代を超えて、今に続くメタルボタン作り。他のどんな伝統工芸品でも同じように、たくさんの人の手が関わっています。ボヘミアのメタルボタンの世界で言うと、デザイナー、型の彫り師、プレス職人、またメッキ職人、さらにボタンとなる錫のプレートを組み立てる人、検品を行う人・・・。華麗で美しいボタンの中には、人々が生み出す地道な作業の結晶が詰まっています。

北ボヘミアはチェコでも貧しいとされる地方です。毎日朝早くから(地方では朝4時前から操業が始まる工場は珍しくなりません。)高い集中力と神経を使い、いわば毎日同じ作業の繰り返しです。そして高い技術があるにもかかわらず、平均して収入は決して高いとは言えません。また後継者の問題もチェコの伝統工芸の世界が抱える共通した問題です。それでも職人達は自分が担う仕事が、全体としてどれだけの重さを持っているかを意識的にも無意識的にも知っています。長い長い製造の歴史の中で、人の手が学び、教え、習得し、次の世代へ伝えてきたのは技術だけではありません。物に宿る不思議な力が、それに関わる職人達の背中を押し、また手に取る人を魅了します。

・まとめ

 チェコ人は黄金の手を持つ民族という諺があります。またグラフィックデザインの世界でも、その多様さを世界に示してきたように、チェコ人のデザインに対する能力の高さは歴史に裏打ちされる定評があります。映画ポスター、錚々たるグラフィックデザイナーが担当してきたチェコの切手デザインやチェコ絵本のイラストレーターなど、日本のチェコファンなら今更説明には及びません。そしてメタルボタンの世界でも同じことが言えます。たかがボタン、されどボタン・・・数センチの中に込められた遊び心、心意気、年月を経たメッセージは、様々な職人達の地道な作業工程に裏打ちされ、250年もの間世界に届けられています。

現在チェコではTYSSA METAL社が唯一のメタルボタンを製造する会社です。販売や購入にご興味のある方は下記お問い合わせ頂けますと、日本語で詳しい資料をご提供いたします。

TYSSA METAL社ホームページ
お問合せ:contact@babovka.com

寄稿執筆してくれたアンティークショップ「Babovka」(バーボフカ)ではメタルボタンをはじめ、様々なキッチュなアンティークをご紹介しています。

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