「スロバキア、ダヌビアナ美術館とその魅力」~ 中欧・東欧の芸術 ~

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今日は、スロバキアにある、ダヌビアナ美術館DANUBIANA Meulensteen Art Museum)の展示コーディネーター、レンカ・クルチュマーロバー(Lenka Krčmárová)氏をお招きし、ダヌビアナ美術館とスロバキアの現代アートの紹介をしてもらおうと思います。

共産主義体制が終わってすぐ後の1990年、この美術館の前身となるギャラリーができ、その後、写真にもあるような、ドナウ川の上の素晴らしいロケーションに当美術館が建てられました。

今日はよろしくお願いします。 

私の名前はレンカ・クルチュマーロバーです。ダヌビアナ美術館の展示キュレーターとして活動しています。同時に自身、ブラチスラヴァ大学で美学を専攻しています。現在、現代アートの企画を通して、様々なアーティストと関わり企画をつくっています。企画展示を年間4−5回程開き、私は過去に約55回程の展示に携わっています。

今回はこの美術館をバーチャルではありますが、この美しい施設の紹介、スロバキアの芸術や歴史でついてお話しできればと思います。

ダヌビアナ美術館はスロヴァキアの首都、ブラチスラヴァから約20キロ離れたとことにあります。中心地から離れたところに設立したのは意図的で、話は90年代の二人の話に遡ります。 

写真はファウンダーで館長のヴィンセント・ポラコビッチ(Vincent Polakovič)です。彼の名前はヴィンセントであることから、子供の頃からオランダ人画家のヴィンセント・ヴァンコが大好きだった彼は、ゴッホの没後100年の年に合わせ、90年代の雰囲気を映し出したスロバキアの「黄色い家」を作ろうと思いました。昔からアート振興をしたかった彼は、革命後、スロバキアで最初の現代アートのプライベートギャラリーを、彼の出身地、ポラコビッチに開きました。 

ギャラリーを開いたヴィンセントは弁護士としても働いていましたが、1994年に彼は、美術館にとって次に重要な人物、オランダ人起業家でアートコレクターのヘラード・ムーレンステーン(Gerard Meulensteen)に出逢います。 

 そして彼らは、スロバキアに現代アートをより持ち込もうと2000年にプライベートギャラリー(美術館)を設立しました。つまり外国人によって、スロバキア初となる個人投資家運営の美術館、ということになります。

2000年度の、初めて展覧会のオープニング時の写真です。

施設内の常設展示は、ファウンダー兼コレクターののムーレンステーンがオランダ出身ですので1950年から2000年に活躍したオランダ人とスロバキア人の作家を中心とした展示となりました。

2014年の美術館にとってもう一つの重要な年となりました。美術館を拡張工事をしたことと、美術館をスロバキア共和国の文化省の共同管轄として、非営利団体として譲渡、州に帰属する組織を設立したことです。

美術館の歴史と建築はとりあえず以上にしまして、それでは内部の常設展示を見ていきましょう。主要なコレクション達は、コレクターのムーレンステーンの作品群、美術館、プライベートコレクションの3つので構成されています。

写真にあるのは世界的に有名なアーティスト、アンディ・ウォーホルのキャンベルスープの作品です。多分あまり一般的には知られていませんが、アンディウォーホルの両親はスロバキア東部の出身です。

こちらのスロバキアの作家を中心とした作品は常設展示です。

Mária Švarbová, Igor Piačka , Milan Lukáč, Jan Kelemen, Rudolf Sikora, Milan Paštéka, Viera Kraicová, Kristína Mésároš, Alena Adamíková , Daniel Bidelnica, Ivan Pavle

を、徐々に一人ずつ紹介していこうと思います。 

美術館のエントランスに入るとまず目にするのは、スロバキアの現代アーティスト、Alena Adamíková 、Michal Černušák Jana Farmanová です。コレクターののムーレンステーンのテイストが反映されている部屋だと思います。

Michal Černušákの作品は、2枚で構成される5メートルくらいの非常に巨大な絵キャンバスに絵を描くことでも知られています。タイトルはCorpo-Ratioと皮肉な名前でタイトル付されています。彼は、マスメディアとグローバルな世界、操作と権力などを批判するかのように世界をポップカルチャー的に表現します。 

写真の左から、Milan PaštékaViera KraicováRudolf Uher, Alojz KlimoVladimír Kompánek Laco TerenDaniel Brunovskýの作品が見られます。これらの作家に通じてリンクされているトピックは、「正常化体制」(Era of Normalization)です。

スロバキアの正常化の時代”とは、1971年から1989年の間、政府または政権が、“以前のような普通に戻す”というコンセプトの元、古典的に回帰させるために、逆戻りさせるという考えのもと、例えば、アーティストたちの展示会や制作表現は限られたものとして管理されていました。勝手に公共の場所で展示することなどは許されず、もし許可されたとしても、それにはいくつかのルールがありました。

スロバキア語で「Normalizácia」、この時代の多くはアーティストたちは、生き残るために、非常に異なる種類のアート、例えば彫刻からイラストの公開や本や仕事、ポスターやグラフィックまったく異なるレベルをデザインしたりする作家もいました。

次は、Hannes MlenekPierre AlechinskyRafi EitanMiguel Ybáñez 、などの、外国人アーティスト達による作品の紹介です。

Josef Jankovič は、正常化体制を最も象徴するアーティストといえ、美術館のコレクションの中でも重要な作品郡と言えます。彼は私たちの美術館にもとても貢献してくれた作家です。

作品タイトル「左と右」にあるように、政党の左派、右派を、両手に例え、皮肉を込めたメッセージが伝えられています。作成年は1992年で、スロバキア共和国ができる前年という年です。 

ヨセフ・ヤンコビッチは、正常化時代に苦しんでいるアーティストとして、キュレーターであり、スロバキア国立美術館の館長でもあるKatarína Bajcurováは、「ヤンコビッチは、不条理な状況から既に30年以上が経過しましたが、未だ未解決の問題(トラウマ)がある」と述べます。ちなみに、ヤンコビッチは「犠牲者の警告はは記念碑的なものだ」とメッセージを残しています。 

美術館の屋上や屋外にも、ヤンコビッチのパブリックアートがあります。しかしコンセプトは、政府や支配者からの圧力や閉塞感など、意味深く伝わる作品です。

 Rudolf Sikoraは国際的な作家で、第二次世界大戦中にとても挑発的な制作をしていた、マラビッチという作家に多大な影響を受けています。彫刻から平面まで多様な仕事をし、正常化体制時代にとても活動的な作家で、またヤンコビッチとも深い友好関係を持っていました。彼のテーマを引用すると、「私たちの行為はモンスター的で攻撃的に、ダイナミックにスペースを占有する闘争的な対立や衝突です。文明の衝突は、大義名分のもと、攻撃や殺人が繰り返されます。もし、神がいるのなら、それを分断するべきではない。」と言います。

シーコラは、EL LISSITZKYという、ロシアの構成主義 アーティストと一緒に仕事をしながら、常に現場に疑問を攻撃的に問いただす作品を共作しています。 

美術館の二人の野外作品は、協奏するかのように展示されています。

スロバキアアーティスト、Svetozár Ilavskýは、とても鮮やかでカラフルな作家です。彼は元映画館のスタジオをアトリエとしていて、彼の住む西部スロバキアに多くの家禽があったことから、作品の中でその家畜達を結びつけたり、プレオナズム(pleonasm)技法という、ランダムな単語をまとめて、突然そこから作品を生み出すような、非常に奇妙な技法からも作られています。

Rudolf Fila はスロバキアの高等教育を受けた大学教授でもあり、20世紀のスロバキアを代表する画家です。教師でもエッセイストでもあったフィラは、1950~70年代にかけ、情的な抽象絵画を制作しました。

Rudolf Filaの妻は修復師で、彼らは時にコラボレーションもしています。

手法として、誰か他人のスケッチや絵の上に、線による再描画をしています。

 Kiro Urdinも、とても美しい作品をつくる作家の一人です。1996~1997年頃のプロジェクト「プラネタリウム」では、非常に大きな、長さ8メートルの巨大なキャンバス一枚に描かれています。プロジェクトはムーレンステーン氏や他の方達にも支えられて成し遂げられました。キロはマケドニアのアーティストで、この長いキャンバスを抱え、世界中を旅することをアイデアの起点としていました。1996~1997年に、正に彼は世界中に旅をし、その場所の文化や人からインスピレーションを受けこれが創られました。 

フランス人写真家、Gerard Rancinanの作品「ビューティフルワールド」です。ご覧のとおり、ハリウッド、宗教、政治、アーティストなど、20世紀の多くの有名人とダヴィンチの、「最後の晩餐」のパロディー作品です。彼は、戦後、自分のスタイルを画一し、一目でわかるような批判と、ちょっとしたポップな手法が撮られています。

スロバキアには「誰もが裏に汚れを抱えている」と言う格言があります。人間はは聖人でもなく、間違いを起こしてしまう生き物です。

毛沢東のポケット部分には「I love freedom」と印刷されていたり、スターリンが座っている白い椅子には「危険マーク」が貼られてあったりと、ディテールを見れば見るほどこの一枚の写真には様々な伏線が貼られています。

Sam Francis はアメリカ人アーティストで、抽象表現主義者の第二世代と言えます。ダヌビアナ美術館にあるこの作品は、6mを超える大きさで、彼の様々な色使いや、スタイルの遍歴があった中の最新のスタイルでしょう。作品は1988年のものです。サンフランシスは80年代から90年代の間に巨大作品を多く制作しました。

彼の芸術的スタイルの発展は、フランス近代絵画の影響を受けたアジア人文化と、土、水、空気そして火の要素を中心と据える、禅仏教に影響を受けたといわれています。

作品に内在する痛みと、そのメディウムをコントロールする彼の作品は、非常に意図的である宇宙的の感覚を想起させます。

アメリカ人作家のJim Dineは、二つのミロのヴィーナスの彫像をモチーフにしたトルソをつくりました。ダインは、色々なテクニックと、その応用、ポップアートの手法と反復が施されているポストモダンを代表する作品です。

スロバキア人の象徴主義的表現をする Vladimír Kompánekです。文化、歴史、そしてスロバキアの民間伝や伝統行事に詳しく、キリスト教のクリスマス以前の魔除けやカーニバルなどの祭りなどをモチーフにします。

ベルギーのアーティスト、Billio Nic のカラフルな彫刻は、美術館の駐車場から見える、シンボリックなアイコンとして、美術館の野外彫刻展に花を添えています。

左側のフランス彫刻のArman は、この「ヘルメスとボノス」と呼ばれる彫刻で見てもわかるように、彫刻物体が再構成もしくはスライスされているように見える手法で知られています彫刻作家です。 

そしてムーレンステーンもお気に入りの作家、オランダ人作家の、 Karel Appelを見てみましょう。第二次世界大戦以降の芸術史においてもとても重要な人物です。

アぺルは、「コブラ運動」の重要メンバーでした。第二次世界大戦後から反発したカウンターのコンセプトがあり、や彫刻の可能性と定義、そのプロセスや制作方法はどうするかなどを問うことが彼らの創造性の源にありました。

コブラのルールは、「ルールはない」こと。遊びや探検、実験から生まれる創造性を重視しました。2つ目のルールは、前衛的なコブラグループ的な、「古典的モダニズムの拒否」です。魔法的で神秘的なことからインスピレーションを受けたり、カル・アペルについては、子供の絵と、自閉症(アールブリュット)的なもの、オートマティズなどに興味を持ちました。

彼の絵は絵の具がとても分厚く塗られ(インパスト)、また、色彩がとても豊富です。

皆さんも彼の映像 Reality of Karel Appel で彼のドキュメント映像をご覧ください。この60−70年代は、アクションペンティングなど、アーティストとそのパフォーマンスが絵画の結果と同じくらい重要、見られるようになった時でもあります。それは作家の無意識やプロセスやその変化などにも着目したことでもあると思います。それはコブラが重要視した、視覚的に見せることより、その内面を浮き彫りにする思想にも基づいています。 

このような立体物なども制作されています。

コブラ達の制作は、12人で一つの作品を作ったり、バイクにインクを乗せて走ってキャンバスに散らしたりなど、実験的アートを50年代の芸術は可能にしていきました。

少し時間軸を遡ります。Naum Gaboの作品は、ダヌビアナ美術館では一番早い時代に創られた芸術作品の一つです。

ガボはユダヤ系ロシア人の構成主義者、または前衛主義者アーティスト、そしてキネティックアートの先駆者でもあります。

建設的な制作をする彫刻家ですが、彼は画家でもあり、それ以前は医学、自然科学などを勉強していたことから、その影響が見てとれるかもしれません。

古典芸術を否定し、彼は常にもっと新たな語りを探検するべく、彫刻の空間を発明するため立体を再構成、彫塑していきました。

さて、2012年の現代アートに移ります。日本の芸術性(?)に関係する“縛り”(Japanese boudage)と有名ブランド(Brand)のロゴなどに覆われて縛られた作品を制作したKatarina Galovič Gáspár の作品です。この作品は以前、ショッピングセンターに展示したという、なんともアイロニカルなことだったでしょう。 

次も、日本文化が好きな、Ján Ťapákのインフィニティレディーです。神秘的で古典的な人体彫刻を制作する彼の作品は美術館のコレクションの中でもとても美しいロケーションに展示されています。

国際的に活躍したスロバキア出身の女性彫刻家、Erna Masarovičováです。彼女はジュエリー制作や、硬貨メダルのデザインなど、金属関係でとても経験と業界を跨いで活躍していました。彼女のような作家は正に“正常化時代”を生きた作家で、表現手法と内容を変化せざる得なかった事実があります。それは作家として生き延びる方法でもありました。

エルナが亡くなった後、彫刻家でもある娘は、スロバキアで彫刻シンポジウム(International Sculpture Symposium SEM)を開催するようになり、クラシックであったり政治思想が強い保守的な公共彫刻が多いスロバキアに、新しい風を吹かした存在となりました。彫刻シンポジウム(=アートキャンプ)は、何週間か、作家たちは一つの場所に滞在し、毎年のテーマに沿いながらも、各々の作品を制作するプログラムです。

Karl Prantlは、先ほどの話にあった国際彫刻シンポジウムの世界的先駆者で、1958年にオーストリアのサンマガリッテンでヨーロッパ初となる彫刻シンポジウムを開催しました。

当時の東西を分断したアイロンカーテンに風穴を開けるように、彫刻と国際文化交流を可能にした長期滞在制作は、後のアーティスト・イン・レジデンスなどの前身ともなります。

1965年にはスロバキアで開催した彫刻シンポジウムにRudolf Uhel、ブラチスラバのスラビーンにも彫刻がある、スロバキア人の重要作家と共に展覧会を行いました。

その後、カール・プランテルのおかげもあり、1965年に初めてのスロバキアでの国際彫刻シンポジウムが始まりました。 

さらに彫刻を紹介します。Milan Lukačは、キッチン用品や工場のスクラップ品など、あらゆるジャンクの金属部品を集めてオブジェクトをつくります。 

そういった意味では、次のL’ubo Mikleも環境芸術における材料の選定においてはマスターと言えます。作品タイトルもビジュアルも抽象的で神秘的なものをつくります。

皆さんも周知の通り、2020年のパンデミック時は酷い期間でした。私たちの美術館においては、7カ月もの間、一切の入場料などの収入がなく、2000平方メートル以上の施設を管理、維持することはあまりに大変でした。ミクレは、そこで、写真右の“KUVITプロジェクト”は彫刻というより、「コンテナプロジェクト」を発明しました。 

基本的にコンテナプロジェクトは移動可能です。すべてはロックダウンにより厳しく管理される時でしたので、公共でのプロジェクトへの申請手続きなども大変でした。コンテナは全部で6つあり各コンテナにテーマがあります。それぞれの箱に入り口があり、見える景色も違うというような、自由を象徴したいという作家のコンセプトがあります。 

首都のブラチスラバの中心地に設置し、人々が来てここでゆっくりしたりお茶を楽しめるような状況が設計されています。 

私だけではなく、皆の心が内向きで疲弊していたパンデミックの大変な時期に、彼が残した功績や社会へ如何にコミットして表現を拡張するか、という挑戦には私は今での強く心に残っています。

オーストリアの巨匠、Hermann Nitschです。彼がここで行った展示は当時、入場者が、“自身でリスクを背負って入場する”というほどの刺激度が高い展示を行いました。彼はアクショニズムとして、動物の血と赤いインクを裸の体に塗ったりするパフォーマンスとして、過去には警察に告発されたりもしています。

インタビューでは何度も「なぜ血を用いるのか」という問いに、「人間は祭壇の生贄、食することから日々の戦争や犯罪に至るまで、血液と常に共にある。パフォーマンスと音楽

などを通して、私たちは一緒に何らかの問題を乗り越えることができのでは」と“悲劇のショー”について答えています。

2016年のことですが、オランダ出身のベラトリックス女王陛下が来られ、Joan MiroとCobraの展示会のオープンをしました。 

展示された作品に、ミロの織物タペストリーの作品はとても珍しいものもあります。

ミロとコブラの展示の同時開催です。ミロはコブラの一員としてカテゴリーされたことはありませんが、展示のコンビネーションはとても良く機能しました。 

ガラス作家のPalo Macho と写真家のTana Hojstričováのコラボレーション展示です。自然光が入るサイトペシフィックインスタレーションは、生きているコラージュのように、ガラスの中に写真が入った魔法のような空間になっています。こちらの展示もパンデミックと重なり、とても大変な思い出が蘇ってきます。

チェコ人アーティストのDavid Hanvaldは、グラフィック、イラスト、ビジュアルアート、空間インスタレーションを横断する作家です。大きな空間も、彼のインスタレーションでちょうどよく見える空間となりました。この立方体を壁への展示が大変でした。

Ondrej Rudanskýはスロバキアでの評価よりアメリカで人気を博しています。

立体、映像、平面などさまざまな表現方法で、エキゾチックに何千もの人間をモチーフにしています。非常に繊細で触ってはいけない作品なのですが、この美術館で展示した時も、来場者がどうしても触ってしまうような作品で、そこでのジレンマがあったことを覚えています。 

Tomáš Žemla の絵画は非常に繊細で、キャンバスに近づくとわかる、何万もの線によって、ランドスケープが描かれています。彼は一日8時間の制作をして1カ月程かかる緻密な手作業の作品です。彼のようなクラシカルな手仕事を、現代のコンテンポラリーアート美術館で見せることは重要だと考えています。

Viktor Frešoもとても重要な作家です。スマイル君などのアイコンを使ったり、キャッチーで非常に覚えやすいオブジェクトを提示します。この展示会の「ファミリーヴィンテージ」という、お互い出会ったことがない自身の血筋の家族メンバーとの、オマージュ合同家族写真を発表しています。 

家族メンバーは皆、芸術関係の知られている作家たちで、彼らを各々にイジったコンセプトになります。祖父の写真をフォトショップでポスターを作って、直筆のサインをしたり、祖母が大切にしていたヘアーピンの拡大オブジェをつくったりなどをしました。

芸術家家族の栄光にスポットを与えるとだけではなく、闇やプライベートの部分、例えば家族同士で仲が良くなかった事などを見せることもポイントです。

左写真は楽器職人であり、ミュージックバンドをしていた父が残した製作中などの品々を使い、父とのスタジオを再現しています。センチメンタルにもなりえるものですが、同時にフレッショは、どんなものからも、それをモチーフやコンセプトにして作品を創れるということを意味しています。

Mária Švarbová は今、最も注目されている写真家です。“スイミングプールの写真”に代表される彼女ですが、ダヌビアナ美術館で彼女の展示をし、それは異常に成功する展示となりました。最終日には1000人が来るほどの好評なものとなりました。

まだ、30代の彼女は、絵画など修復技術を学んだ後、独学で写真を学びました。

彼女のスタイルは、写真から見てわかるように、パステルカラー、プール、反射、彼女を空想するもの、シンメトリーの繰り返し、パターンの組み合わせ、共産主義時代を彷彿させるモチーフなど、とても独自でそして美しい写真をつくります。

彼女の“スイミングの写真家”的イメージを払拭するためにも、他のポートレートなども沢山展示してくれました。私たちは彼女の作品を多く所有していることを誇りに思っています。 

2022年の個展の展示状況です。施設全体が統一された、美術館と写真作品の共鳴した空間となっています。

シュバルボバーの写真のスタイルは、例えば水泳選手の人数やポーズなど、「繰り返し」が非常に強いので、それはある意味、共産主義時代のダンスや体操などで大人数が寸分の狂いなく同じ動きをする、チェコスロバキア共産時代のSpartakiada(スパルタキアーダ、それを借用したスタイルとも見れます。 

Jano Vasilkoの展示は、遊び心のある展示方法で、幾何学模様の絵画を得意とした作家です。彼のアバンギャルド性が混じった現代アートはとても興味深いです。

これは、私がキュレーションした、ピシャニーという町にある、図書館とコラボレーションした展示です。イラストレーションもアートの一部ですから、私がこの図書館の方と出会い、そしてこの黄色い箱とのイメージが重なり、このイラストを中心に展示させてもらうオファーをしました。

この頃はコロナウイルスのパンデミック時期で、スロバキアでは何故だか、ステイホーム時代に流行ったのは”自家製パンづくり”でした。私たちは、イラストレーター、絵本作家であるMaria Neradovaに、子羊の主人公が、近所にイースト菌を借りに行く、というお話をつくりました。

小さなヤギ君のストーリーは、最後に訪れた人が酵母を譲ってくれ、無事にパンを作ることができハッピーエンド、という内容です。

何度もパンデミックの話が出てしまいますが、本当にあの時は大変でしたので、このようなプロジェクトを無事遂行できて本当に嬉しく思っています。学校や保育園の子どもたちも沢山美術館に来てくれ、この絵本を一緒に読んだりり、人と直接関われる喜びを感じた深い思いがこの展示にはあります

スロバキアのグラフィックデザイナー、Zoli Salamonのポスターやイラストもとても好評となる展示でした。

最後に紹介するのは、アイルランドの写真家  Edward Quinnのピカソを撮った写真です。

エドワード・クインは、パブロの生前の写真を沢山撮っています。彼はピカソと、とても親しい関係にあり多くの時間を過ごしていました。この写真は私たちのコレクションとして展示されています。

これにて、かなり長くなりましたが今回のレクチャーを終わりにしたいと思います。

沢山のスロバキアのアーティストを中心に、内容の濃い幅広いアートの魅力、そしてスロバキアの歴史、政治なども教えてもらえたことに感謝します。ありがとうございました。

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