写真引用:モルドバ国立美術館
本日は、モルドバ国立美術館のAna Eremia(アナ・エレミア)氏をお迎えし、「モルドバ国立美術館の芸術遺産」(The Artistic Heritage of the National Art Museum of Moldova) というテーマでお話しいただきます。

以下、Eremia氏)
モルドバ国立美術館広報・展示部門の責任者、Ana Eremia(アナ・エレミア)です。よろしくお願いします。
モルドバ国立美術館では、展示、ガイドツアー、アーカイブ、所蔵、教育に携わる事業を行っています。今日は所蔵作品とそれに纏わるモルドバの国定文化遺産や歴史に関係させながらお話ししていこうと思います。

今回のレクチャーでは、3つの部分に構成しています。
1:モルドバ共和国の社会文化的背景の紹介
2:モルドバ国立美術館に関する情報
3:モルドバの美術史を巡るバーチャルツアー
これらのコンテクストから、モルドバ共和国の芸術史を映し出していければと思います。
目次
Introduction

まずは、歴史的背景を知るためにもモルドバの社会・文化状況を理解しなければならないでしょう。

モルドバは、東ヨーロッパに位置する、ルーマニアとウクライナの間にある国で、首都キシナウで、公用語はルーマニア語です。主な宗教はキリスト教 の東方正教で、人口は、およそ250万人と小さな国です。

モルドバは小国ながら、魅力的でとても美しい国です。多くの 美しい風景や様々な森林、川や丘もあり、この地域はとても豊かな土壌があり、 モルドバは農業国として栄えている美しい自然保護区です。主要な作物、生産物として、ワインが有名です。そのため農村観光も発展しています。また、たくさんの修道院があり、特に写真にある、中世から残る「Orheiul Vechi」は有名です。
地政学的観点ですと、モルドバは西洋世界と、東部の旧ソ連世界からの影響があり、政治的にも二分化されています。残念ながら、ヨーロッパで最も低賃金の国で、我々国民は、より良い未来のために奮闘しています。
History of Moldova

この地域の歴史についてです。
古代にはククテニ文化という、現在のウクライナとルーマニアとモルドバが一つの領土でした。その後、DACIA(ダチア)となりますが、後にローマ人にこの地域は征服されます。そしてそれは、ローマの文化と言語がダチア文化と混ざり、ルーマニア人と言語が生まれます。
中世の時代、ルーマニアとモルドバは3つの地域があり、ウォラキア、モルドバ、トランシルバニアに分かれていました。地図にある黒海に流れる2つの川の間が、モルドバの領土となりました。
その後1812年、ロシア帝国とオスマン帝国の戦争により、モルドバ地域のベッサラビアがロシア帝国に併合されます。そして、1918年にがルーマニアに併合されました。
1940年、ベッサラビア地域がソビエト連邦に編入されました。そして近年の、1991年のソ連崩壊により、モルドバ共和国は独立を獲得しました。
About the National Art Museum of Moldova

それでは、美術館についてご紹介していきます。モルドバ国立美術館は、1939年に市立ピナコテカ(絵画間)を前身として設立されました。

しかし、1941年に 第二次世界大戦が始まり出した時、美術館のコレクションは、まずティラスポリ、そして現在のウクライナのハルキフに避難することになったのですが、その後なんと、跡形もなく失われてしまいました。
そのため、第二次世界大戦の終結後、 ソ連当局の元、 美術館は基本的にゼロから、新しいコレクションと共に再建を開始しました。再建にあたり、最初のコレクションは、さまざまなプライベートコレクターやアーティストからの作品の寄贈や寄付、ルーマニアのブカレストの文科省から支援を受けることができました。彼らによってモルドバ、ルーマニアの作家の作品が収集されていきました。
第二次世界大戦後、ロシアのモスクワ、サンクトペテルブルグの博物館の公式キャンペーンとして、ソ連の属国へ芸術品が送られるようになりました。

1901年に建てられたモルドバ国立美術館の建築は、当初は女子高として作られ、戦後はモルドバ共産主義政権の政府機関の建物として使われました。そして1989年、建物は博物館に移転したのですが、その時すでに多くの修理を必要としており、さらに翌年に起きた大きな地震でさらに被害が大きくなり美術館は閉館に追い込まれましたが建物の半分ずつ修復していきました。
1990年の地震以降、25年間の閉の末、2003年から復元と再編の強化した設計プロジェクトが始まりました。2016年、ルーマニア政府の経済的支援により、復元が無事終わりました。 当時の様々な建築様式も復刻され、モルドバがギリシャ、ロシア帝国、オスマン帝国、西ヨーロッパ双方の影響を受けていることがわかります。同時に火災安全、 換気、温度など様々なセキュリティ面なども充実しました。2021年には建物が改装され、展示スペースの拡張など現在の完成はここで迎えることができました。

国立美術館は、19世紀に建設された2つの建物も所有しています。ハーサハウスとクリグマン・ハウスと呼ばれる、 ネオクラシックスタイルとバロックスタイルの建物で、双方の美術館から近い距離にあります。

美術館はカウシェニの聖母マリア生神女就寝教会も所有しています。1763年に制作された、モルドバ共和国独自のフレスコ画が描かれています。

写真左が修復前、右が修復後になります。
美術館には修復部門があります。美術館の国有コレクションは約4万件あり、絵画、版画、彫刻など修復、維持する必要性が常にあります。
Religious art

コレクションの中で、「宗教芸術」をみていきましょう。モルドバは東方正教ですので、これらのアイテムは正教会より寄贈されたものです。

これらは儀式に使われるアイコンです。ソビエト連合の共産主義の1960年代には多くの境界が閉鎖されたのをきっかけに美術館が所有する運びとなりました。
16−17世紀につくられた木版テンペラ画『聖母ホデゲトリア』と『全能のキリスト』は作者不詳ですが、絵画のこと、教会で長期の展示に耐えうるための技術や知識などを兼ね揃えた人物で、勿論宗教についての造詣が深いことは確かでしょう。16世紀以前の作品は今日までほとんど残っておらず、これは非常に貴重なものになります。

このイコンで覆われた壁、イコノスタシス(聖障) は、正教会では一般人が入れる場所にはありません。写真にみられるのは18世紀につくられたイコノスタシスの断片で、左からキリストの磔刑、復活、主の昇天がテンペラ画で描かれています。

1812年までは、ベッサラビアの領土とモルダビアの残りの地域の図像に違いはありませんでした。その後の数世紀は、素朴な図像と中央および東ヨーロッパのバロックの要素との共生を表しています。この時代までは作者は基本不明、もしくは絵画に記載するこ とはありませんでした。イコノグラファー達は教会に属す絵師であり、個人名を残すことはエゴイストにあたるものでした。

19 世紀には、図像学と芸術技法の使用にいくつかの変化が見られ、中世のアイコン芸術から現代の世俗的な芸術への移行を表しています。画家の名前も登場するようになります。また、過去のイコノグラフィーを参照したものも多くなります。こちらはGherasimの写真左『Jesus Christ Pantocrator』(全能のキリスト)と写真右『Nativity of the Virgin』(聖母マリアの降誕)になります。

次の素晴らしいイコノグラファーはIon Iavorskyの左『Jesus Christ Pantocrator』(全能のキリスト)と、右「嘆願」するイコンです。
Bessarabian Art

Bessarabian Art(ベサラビア アート)の部門にいきましょう。ベサラビア美術(Bessarabian Art)とは、東ヨーロッパのベッサラビア地域(現在のモルドバ周辺)で発展した、土着の伝統とヨーロッパの様式が融合した地域美術です。
Modern art

モルドバのモダンアートは19世紀に発展しました。ベッサラビアでは美術作品を収集する精神が芽生え始めました。モルドバの芸術アカデミーは、19世紀後半からであり、当時の芸術収集はこの地域以外の場所から集められました。この絵の作家、Vladimir Ocushkoは、19世紀末に最初のデッサン学校が設立し、1919年に美術学校となりました。
この時代はロシアのリアリスティックな絵画に影響されていた時代です。
この写真の画像もそうですが、artivive というアプリで気軽にダウンロードをして画像を使用できますのでみなさんにおすすめします。

Vladimir Ocushkoの後に美術大学を引き継いだのは彫刻家、Alexandru Plămădeală(1888-1940)です。写真左は彼のポートレートで、右はモルドバの軍事指導者『The Monument of Stephen the Great』で、キシナウのシンボル的存在となっています。
“欧米”ではモダンアートが流行っていく中、モルドバはアカデミックあるいは写実主義的な傾向がますます顕著になり、イコンの伝統的な象徴言語は、作品の物語性に取って代わられました。これは1918年までロシア帝国に支配されていたことから、ロシアの写実主義の影響も感じられます。

戦間期には、ベッサラビアの多くの芸術家がヨーロッパの最も権威のある芸術教育機関で学びました。Pavel Shilingovskiもその一人で、彼は画家としてだけではなく、コレクターとしても知られており、多くの作品を当美術館に寄贈しています。

欧州の様々な国で滞在や制作をできるような時代になり、女流画家のEugenia Maleshevski (1868-1942)は、写真左のような写実的な絵画から、右のアール・ヌーヴォー様式も描いています。

戦時中の重要な作家の一人として、Auguste Baillayre (1879-1961)は、ジョージア生まれのフランス人で、後にアムステルダムで勉強し、ロシアに滞在中に出会ったベッサラビア出身の女性と結婚し、その後モルドバに多く滞在しました。その後、美術大学とモルドバ国立美術館の館長となりました。

次の重要な作家は、Dimitrie Sevastianov (1908-1956)です。色構成、絵画マナーなど、イタリア留学経験がある彼の1936年の油絵ですが、戦後には大きく変容していきます。写真右は、Moisei Gamburdの絵画はリアリズムであり、絵画内の人物は疲れていたり働いていたりと、あまり笑顔などのポーズをしている作品はありません。

左側は、アロニアスク・バイエル (Aroniascu-Bayehr) で、August Bayehrの妻になります。右側のElizabeth Ivanovski (1910-2006)は、多くのヨーロッパ諸国、ベルギー、ドイツ、スペイン、 フランスに勉強しにいき、その知見を自国に持ち帰った人物です。

こちらは絵画はVladimir DonchevとBoris Nesvedovです。戦時中の時代には、芸術スタイルがリアリスティックな表現から近代的なものに移行していきました。
Post-war and contemporary art

「Post-war and contemporary art」のチャプターに行きます。第二次大戦後、戦後のコンテンポラリーアートは、ソ連の政権下におけるモルドバのベサラビアアートとして捉えることができます。

20 世紀後半には、社会主義国家の政治的利益に奉仕する必要のある「社会主義リアリズム」が押し付けられました。人物像などがわかりやすい形で表現され、その表現の意図がはっきりとするべきであり、さらに人民に対する教育的側面を求められました。そのような意味でも、自然の風景などが多く見られ、作家に対して抽象的表現やアバンギャルドな表現は慎むような空気感がありました。なぜならそれらは、外見だけで中身がない「フォーマリズムとも」見做されたからです。その他の主要な要素は、労働者を讃頌するようなテーマであったり、共産主義政権下で明るい未来があるようなテーマや現在のテクノロジーの発展を応援するような作品がが良しとされました。もちろん、政権を批判するべきではなく、むしろ政党のリーダーたちの肖像画や銅像などが増えていきました。こういった圧力の中で、その方向に行かないと、コミッションワークは勿論、展示会などにも参加できませんし、“アーティストユニオン”からも除外されてしまいます。
モルドバ国立美術館の館長でもあったVladimir Ocushkoの息子であるRostislav Ocushko (1897-1966)の作品『The Dubăsari Hydroelectric Plant』は、この時代の典型的絵画といえます。顔が見えない、つまり個人を特定しない労働者が、テクノロジーやパワーの象徴とも言えるダムで作業をしている風景です。

Moisei Gamburd (1903-1954)の『The Liquidation of Illiteracy』は、政府のコミッションワークとして予算ありきの制作であったり、Dimitrie Sevastianov (1908-1956)の『Harness Marker』は、戦前の彼の画風から変貌したやりくちが見て取れます。

モルドバの芸術として、今までとは違う例外もあります。例えば、Antoine Irisse (1903-1957)はモルドバの出身ですが、パリに移住と活動をし、ピカソ、ユトリロ、シャガール、デュフィといった著名な芸術家たちと共に展覧会に参加しました。特にヘンリ・マティスとの出会いは、 彼に大きな影響を与えました。また、 フォーヴィスム芸術運動の代表者でもありました。この絵では、人物とプロポーション、不在の光と影の関係など、ダイナミックな色彩の色、エネルギーが感じられる作品です。さておき、このような作風は、当時のソ連下のモルドバでは許されなかったということです。
“フルシチョフの雪どけ”(1950年代半ばから1960年代半ば)により、検閲が優しい時代があり、多くの芸術家が共産主義イデオロギーによって押し付けられた芸術言語から離れ、新しい方向へと進みました。

こちらのDavid Aurel(1934-1984), の絵です。 これを代表した特徴は、サイズ的にかなり大きな絵であり、 非常にモルドバを代表するクルミの木が描かれています。木陰で昼寝をする様、モチーフに描かれる袋や衣裳など典型的なモルドバの光景です。Aurel David は多様な緑をよく使う作家です。

モルドバで最も偉大な画家と称されるMihail Grecu(1916-1998)です。ブカレストで絵画を学び、戦時中にカザフスタンに避難し、そこでミハイ・グレクは古典派画家を勉強しました。

しかし、そのスタイルは時代の異なる影響で変化し、一部の関係者から批判的な評価も受けていますが、それも含めてMihai Grecuの重要な作品の一つに挙げられます。

こちらの『Autmn Day』は、より表現主義的の傾向で、こちらも典型的なモルドバの秋の描写をしています。モルドバの田舎ではほとんどの家庭でワインのための葡萄がつくられており、伝統的な衣裳を纏った農家の人々がおしゃべりをし、画面にはカラフルな秋の紅葉がうかがえます。

Mihai Grecuは新しい技術などを試行錯誤していますが、晩年には伝統的で民族的なシンボリズムな表現をしています。また有名な詩を自身の作品に参照したりと、時代とともに様々な変化を遂げています。
写真左は、小麦畑の向こうに黒土の畑が広がっていて、これは同時に死後の隠喩でもあり ます。写真右は自身の金婚をテーマにしています。この時代はバルカン地域やロシアの民俗学から援用されたインスピレーションとなっています。

70年代には抽象的表現も多く見られます。モルドバでは戦後すぐに芸術家に対しての検閲が強くありましたが、その後は緩やかになり、Mihai Grecuは、具象的表現や人物像から、表現主義、シンボリズム、抽象的な現代芸術的な表現を模索し、国を代表する重要な作家になっていきました。

次の重要な画家、Igor Vieru (1923-1988)の主な特徴は、自然と人生に対する印象を作品に反映させる手法を用いました。木々、果実の収穫、植樹は60年代から70年代にかけてのテーマで、その中で私たちの人生を比喩的に表現しています。彼は著名なルーマニアの本の挿絵も手掛けています。

彼のスタイルは詩的なものから、精神世界を表現するものなど、自身の原風景や民族的なモチーフと掛け合わせて独自の世界を構築していきました。

Igor Vieruのその他の風景画です。

こちらはシンボリックな人物がいるもので、写真左は、隔離された円の中に安心した二人と豊かにりんごがなっています。意図的か否かモデルには聖人の光背があるように見えます。こちらもフォークアート様式を参照しているようです。写真右は、先ほど申し上げたように、本のイラストの仕事です。

Valentina Rusu-Ciobanu(1920-2021)は、モルドバで最も重要な女流画家の一人です。ちなみに彼女は101歳まで生きておられました。

戦時中にルーマニアで勉強し、その後ソ連下のモルドバで制作活動しました。当時は政府から印象派的表現を批判されましたが、後に認められ、評価されていきます。

後に彼女の作風の変化のみならず、テーマやコンセプトも変化していきます。1970年代から1980年代にかけての作品では、彼女は私生活の価値をテーマにし、パステル調の霧のかかった風景の詩情、写実的なスタイルで描かれた静物画の魅力に焦点を当てました。非常に細かい絵画で、とても小さな筆のストロークに気をつけて表現されています。
また残された新聞やタバコ、触れられていない朝食から醸し出されるナラティブや、食事の「生物」、人物の「ポートレート」、ルネサンス絵画にあるような背景では「ランドスケープ」の要素を入れ、ジャンルレスな絵画を展開しています。

写真右は、映画監督であるEmil Loteanuで、顔は少しグロテスクに仮面のように描かれています。写真左は、著名な絵画や芸術史から引用したコラージュ的なものです。

バレンティナにおいては、自然風景や伝統的や精神的な絵画というより、形而上学的要素などが感じられます。

左側の美術館館長でもあったMihail Petric (1922-2005)、女性作家のAna Baranovici (1906-2002)もモルドバの美術史には重要です。

左のEleonora Romanescu (1926 – 2019)、彼女の装飾的カラーの風景画を多く描いています。彼女はモルドバで最初のイコン絵画の修復史でもあります。右のDimitrie Peicev (1943-2023)は、モルドバとルーマニアのホラ (民俗舞踊)の状況をより抽象的に描いています。

二人の女性作家、Ada Zevin (1918-2005)とElena Bontea (b. 1933)は、伝統的な象徴やモチーフを用い、また描写としても、アクセサリーにあるようなドットを背景に用いたりと個性が際立ちます。

Andrei Sârbu (1950-2000)は、Mihai Grecuの学生であった現代の作家で、グレクの弟子のように、多技術や多素材を混ぜるなど、多くの実験を行いました。1970年代、ポップアートから様々な技法と影響を受けながらも、抽象絵画に興味を示しましたた。黄色のオブジェは花梨をモチーフにしています。

80年代、彼の仕事は、叙情的で知性主義的な抽象絵画の言語へと進化を遂げ、そこには具象的・文学的モチーフへの言及が垣間見えます。その後、彼は絵画外のあらゆる言及を排除し、純粋で非具象的な絵画のメタ言語を模索するようになりました。制作年を見て分かる通り、当時はまだ共産主義体制であったのにも関わらず、内容は寛容に受け入れられ、すでにポストモダンスタイルに移行していることが見てとれます。実はこの年はモルドバにとって重要で、それまではキリル文字を使っていたモルドバはルーマニアのアルファベットを使用することになったのです。これはソ連からの独立も意味しています。これにてソビエト時代が終わりになります。

自由化に伴い、表現の自由が手に入りました。しかし、1990年代には、経済の崩壊、生活水準の低下といった社会的危機も同時に噴出していきます。また、国境の開放により、他国、特にルーマニア出身のアーティストとの関係が拡大しました。
こちらは現代アーティストSimion Zamșa (b. 1958)です。モルドバの現代アートスタイルは、抽象や表現主義、シュールレアリズムなどいくつかの様式を掛け合わせたものがポストモダンとなっています。

1990年には、The Fantom (Phantom) Groupが誕生しました。画家でありグラフィック・アーティストでもあるVictor Kuzmenkoに率いられたこのグループは、画家のVladimir PalamarciucやIvan Kavteaなどで構成されました。ファントムは、集団として何かを達成するだけでなく、発展の方向性に対する意識を高めようとした最初のグループでした。特徴としては、非具象芸術への傾向であり、キャンバスの中心的な課題は純粋な形態、身振りの表現力、そしてテクスチャーでした。その後ファントムは1993年に解散しました。上の抽象絵画はVladimir Palamarciucによるものです。

Phantomメンバーでありリーダーであった、Victor Kuzmenko (b. 1948)は、コンセプチャルとスピリチュアルの世界観でグラフィックアート的な作品を展開しました。

メンバーのIvan Kavtea (b. 1949)は、特に風景や人物を抽象と具象の境界線を追及するかのような作風です。メンターでもあったVictor Kuzmenkoにより、彼はこの表現に到達したようです。その他ファントムグループのメンバーはいますが、とりあえずはこの3人の紹介のみにしておきます。

この時期には、10人のメンバー数を示すグループ名「Zece」も登場しました。
このグループのメンバーの中には、Andrei Sârbu, Tudor Zbârnea, Dumitru Bolboceanu, Iurie Platonなどがいました。写真にあるのはVasile Moșanu(b.1955)の作品です。

左はDumitru Bolboceanu (b. 1960)、右はTudor Zbârnea (b. 1955)です。

左はIlie Cojocaru (b. 1950)、右はAndrei Mudrea (1954-2022)です。

メンバーの一人、Iurie Platonは陶芸による装飾的な彫刻なども制作します。これにて「Zece」の一部のメンバーの作品紹介を終わります。

左はFlorina Breazu, 『Beautiful Every Time X』2021で、右はGhedanie Jalbaの『The Little Horse』2001です。

左はMihai Țărușの『Self-portrait』で、右がVeaceslav Fisticanu『Chaos-Order』です。
以上が、かなり簡略したものではありますが、モルドバの絵画の全体像になります。
Graphic art

それでは、グラフィックアートにおけるモルドバの重要な作品をお見せします。今日は時間があまりありませんので、説明などは省き、簡単にお見せしていきます。

左はTheodor Kiriacoff、右はElizabeth Ivanovskyです。

左は本の挿絵でもあるEmil Childescuと、右は詩人のポートレートで、Aurel Davidの最も有名な作品です。

左はGheorghe Vrabieと、右はEudochia Zavturの作品です。

左はIon Sfeclaと、右はGhenadie Zacovの作品です。

左のStefan Tuhariと、 右側にIsai Carmuです。モルドバのグラフィックアートは比較的若いと言えるので、エッチングやリトグラフのような数世紀前のものはあまり残っておりません。
Sculpture

彫刻作品のほとんどはソビエト時代に制作されたもので、国家からの委託が重要な役割を果たしました。
当時は肖像彫刻画がメインであり、戦間期のモダニズム、社会主義リアリズムにおける自然主義とドキュメンタリー主義、60年代はより装飾的であり、70年代はアイコニックで統制的なものであり、80年代には、それは もっとロマンチック、そして最終的には多様なポストモダニズムへと、様々な段階を経てきました。
作家は肖像彫刻に他の要素を組み込むこと、空間の構成、そして さまざまな材料や異なる技術を使いこなしていきました。

印象派的なNichifor Colun(1881-1951) と、妻の肖像彫刻をつくっているAlexandru Plamadela(1888-1940)です。

Claudia Cobizev(1905-1995)の肖像と、Lazar Dubinovski (1910-1982)の人物キャラクターは、強力で木々を丸ごと折りたたえることができるといフィクションをテーマにしています。

Alezandra Picunov(1928-2002)は、画家のMihai Grecuのポートレートを制作していますが、スカーフが台座代りとなっています。 Brunhida Epelbaum-Marcenco (1927-2014)は、彫刻にカラーや装飾を施す独自性を持っています。

十字架に横たわるようなIon Zderclu (1957~)の『The Dying Man』と、モルドバの最も重要な彫刻家、Tudor Cataraga(1956-2010)の『Revelation』です。
Decorative art

左はMihai Grecuの娘、Tamara Grecu-Peicev(1943~)と古典彫刻からファンタジー的な作風に転向したSerghei Ciocolov(1982-1977)です。
こちらでモルドバの作家、ナショナルアート部門を終わりにしていきましょう。
Universal Art

次は国際的アートの部門に移ります。ルネサンス後期から始めましょう。

イタリアやオランダからの16世紀の絵画になります。

左の絵は、 聖アレクサンドリアのカトリック、Bernardino Luini(c.1480-1532)の絵画で、彼は レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子でもあります。 右側は、Frans Franken(1581-1642)の十字架を背負うシーンです。

左はバロック絵画でヘロデとサロメで、 右はPietro Libero (1613-1687)のバシュバ(Bathsheba)で、どちらも聖書のシーンです。

次の風景はオランダのAert van der Neer(1603-1677)によるもので、実は彼が “夜の風景”を描いたパイオニアです。 右側は絵画 はAndrea Sacchi(1599-1661)です。

牛との風景画をは、ポーランドのSimon van der Does(1653-1717) で、右側はドイツ人のCristian Berenty(1658-1722)です。

17世紀に入っていきます。 右はフランスの神話のシーンで、左側はヴェネツィア風景でdedutaと呼ばれるパノラマの景色です。

ドイツのロマンティズム絵画になります。左はWihelm Meyerheim(1815-1882)で、右はFriedrich Durck(1809-1884)です。

右はフランスのPaaul Grolleron(1848-1901)の最高傑作の一つで、左はJojann Hamza(1850-1927)です。

以前に話したロシアの組織的な運動により、ロシアから寄贈された有名画家達の名作です。左はOrest Kiperensky(1782-1836)で、右はPavel Fedotov(1815-1852)です。

左は海辺の絵画で著名なIvan Aivazovsky(1817-1900)で、右もロシアで風景画で有名なIvan Shishkin(1832-1898)です。

国際的アーティストのコレクションとして、左のRembrandt、右のDurerの版画も所蔵しています。

最後に約400点ある日本の版画のコレクションの一部もお見せします。こちらは鳥居清長の作品になります。

江戸百景や東海道の版画で知られる歌川 広重や、

女性の美を描く、楊洲も所蔵しています。

歌川国芳のコレクションも充実しています。これらは私達のユニバーサルコレクションの中でも重要なセクションになります。
私たちの美術館では、 常設展示会と年に3−4回の企画展を行なっています。美術館のコレクションや他からのレンタルで、古典や現代アート、古典やグループ展など、また幅広いジャンルの展示を精力的に行なっています。
Exhibitions

若手作家の展示も積極的に行なっています。

せっかくなのでご紹介すると、モルドバの日本大使館とコラボレーションで、去年は日本の観光協会のポスター展を行いました。四週間の展示で、毎週、四季をイメージして4回に分けて違う作品を展示しました。また生花も毎週新しいものを展示してもらいました。

以上で今回の講義を終わりにしたいと思います。

是非、モルドバ国立美術館のウェブサイトで新着情報やその他の展示内容をチェックしてみてください。もしくは、モルドバに来られる際は、是非美術館を訪れてみてください。


