「コソボの現代アートと独立芸術機関が必要不可欠な要因」

Articles in Japanese

目次

はじめに

 今日のゲストは、コソボ共和国の首都プリシュティナ(Prishtina)から、Galeria17を運営するFitore Isufi Shukriu(a.k.a  KOJA) 氏を招き、4時間に渡りコソボの現代アートと社会状況その他の社会活動を支援する活動について教えてもらいました。

Koja氏のGalleria 17の活動は、作品を展示するだけでなく、失われた歴史を記録や人々の記憶を次の世代に繋ぐ意図があります。たとえば、過去の展覧会 を再現したり、当時の写真や映像、アーティストへのインタビューを集めたりすることは、単なる美術活動ではなく、紛争の歴史や社会の変化を振り返る取り組みでもあるのです。政学的な状況や、政治とアートの関係について、必ずしも明るい話ばかりではないと思いますが、その中で、コソボの歴史的·政治的な背景を知りながら、現地のアート活動や文化機関の形成にどのような影響を与えてきたのかを少しでも知ることでできたらと思います。それではコヤ氏による、「コソボにおける、独立芸術機関が必要不可欠な要因」をテーマにレクチャーを初めていただきたいと思います。 

以下、Koja氏)

皆さん、こんにちは。本日はお招きいただき、ありがとうございます。コソボと日本は、地理的にも文化的にもかなり離れています。そのような二つの場所の経験を共有できることを、とてもうれしく思います。

こうした機会は、アートが人と人、そして異なる文化の間に橋を架けることができるのだと、改めて感じさせてくれます。

今日の講義を通して、お互いの経験を共有し、将来的にコソボと日本のアートコミュニティの間で、新たな協力関係が生まれることを願っています。

それでは、私が文化的な取り組みに関わるようになった経緯からお話しします。私は約20年にわたり、アートや文化に関する活動に携わってきました。

2000年代初頭、私はアーティストとして活発に活動していました。同時に、さまざまなプロジェクトを通じて海外を訪れる機会も得ました。

当時のコソボは政治的に孤立しており、海外へ移動することも必ずしも簡単ではありませんでした。

しかし、海外を訪れる機会が増えるにつれ、コソボに戻って活動する現代アーティストたちが、どのような環境で仕事をしているのかを、より深く理解するようになりました。

そして、アートの仕組みに何が欠けているのかに気づき始めたのです。

不足していたのは、活動を支えるインフラ、文化機関、そして安定した支援体制でした。

私は2021年から、Foundation 17のアートディレクターを務めています。

今日は、私たちの組織の経験を通じて、コソボにおける独立系文化機関の重要性についてお話しします。

特に取り上げたいのは、私たちが運営する「Galleria 17」です。これは、コソボの非常に特殊な状況やニーズに対応するために、独自の運営モデルを築いてきたプログラムです。

Foundation 17は、コソボの首都プリシュティナで2018年に財団として登録されました。コソボはヨーロッパ南東部に位置する、ヨーロッパで最も若い国の一つです。

私たちの使命は、文化的な活動を通じてコミュニティの力を引き出し、社会に前向きな変化を生み出すことです。

活動は主に三つの分野で構成されています。

  • アートと教育
  • 文化的なアクティビズム
  • 場所·空間づくり

Foundation 17では複数のプログラムを実施していますが、今日はその中でもGalleria 17に焦点を当てます。なぜ私たちはGalleria 17を立ち上げたのでしょうか。それを理解するには、コソボの背景を知る必要があります。長期にわたる政治的な移行期の影響で、私たちは脆弱なアートシステムを引き継ぐことになりました。

コソボの歴史的背景

コソボには複雑な歴史があります。この地は約1世紀にわたってオスマン帝国の一部であり、その後はユーゴスラビアの一部となりました。

1990年代にユーゴスラビアが解体すると、民族間の緊張が高まり、戦争へと発展しました。

1999年、NATOの軍事介入によって、セルビアによる暴力的な弾圧は終息に向かいました。その後、コソボは約10年間、国連の管理下に置かれました。

そして2008年、コソボは独立を宣言しました。

しかし、独立をめぐる政治的な問題は今も続いています。セルビアはコソボの独立を認めておらず、ほかにも独立を承認していない国があります。

そのため、コソボは地理的にはヨーロッパに位置していても、政治的·制度的には周辺に取り残されがちです。

文化活動への資金援助は不安定で、文化政策はまだ発展途上にあり、文化機関が長期的に活動を継続することも容易ではありません。

つまり、コソボでは移行期が一時的なものではなく、いつまでも続いているように感じられるのです。

独立から約20年が経過した今でも、私たちは独立後の移行期にあります。 

なぜ独立系の文化機関が必要なのか

ここで、一つの問いが生まれます。

既存の文化制度が十分に機能していないとき、どのような文化機関が生まれるのでしょうか。

多くのヨーロッパ諸国や先進国では、独立系のアートスペースは、既存の文化機関に対する代替的な存在として設立されます。

そこでは実験的な活動が行われ、既存の仕組みに疑問を投げかけ、美術館や公立ギャラリーを補完する役割を担っています。

では、コソボのように、そもそも文化システムそのものが不完全な場合はどうでしょうか。

アートの生態系を支える重要な要素が欠けている場合、何が起こるのでしょうか。

たとえば、コソボのアート市場は極めて小さく、ほとんど存在しないと言ってよいほどです。個人コレクターも非常に少数です。

文化活動への資金援助も不安定です。

戦争が終わった2000年代初頭以降、コソボのアーティストたちは驚くほど精力的に作品を制作してきました。しかし、その作品を支援し、記録し、保存するための仕組みは、それよりもはるかにゆっくりとしか発展してきませんでした。

コソボには1979年に設立された国立美術館があります。また、文化省に関する制度もありますが、文化を支える仕組みの発展は、ほかの先進国と比べると遅れてきました。

文化省のギャラリーは、戦争後の2000年に設立されました。

ほかにも、主に考古学と歴史を扱うコソボ博物館や、民族学博物館があります。しかし、現代美術を扱うスペースは非常に限られており、その多くはNGOによって運営されています。

コソボには、近現代美術を専門とする美術館がまだありません。

2年ほど前には、国レベルで美術館を設立するための取り組みが始まり、施設として使用する建物も選定されました。ビジュアル·アイデンティティも作成されたと記憶しています。

しかし、計画はゆっくりとしか進んでいません。

コソボはヨーロッパでも貧しい国の一つとされており、こうした停滞も問題をさらに難しくしています。 

そのような状況でGalleria 17を開設した私たちは、実験、対話、そして現代アートの実践に特化した、数少ない場所の一つとなりました。

制度が整うのを待っているだけでは、何も始まりません。

必要なものが存在しないのなら、自分たちでつくる。

これが、コソボで私たちが実践してきたことです。 

自動車整備工場からアートギャラリーへ

 コソボのアートシーンには、活気があり、批判的な視点を持つアーティストたちがいます。才能にあふれ、意欲的で、懸命に活動しています。

しかし、長期にわたる政治的な移行期の影響によって、彼らはさまざまな制度的な不足に直面してきました。

実験的な作品を発表する場所、対話の場、そして自分たちの活動を広く知ってもらうための機会が不足していたのです。 

そこで私たちは、自動車整備工場を改装して、独立したアートスペースをつくることにしました。

重要なのは、私たちが待つことを選ばなかったという点です。

公的な文化機関が整備されるのを待つのではなく、自分たちで行動することにしたのです。 

その建物は、1960年代に活躍した著名なモータースポーツ関係者が所有していたもので、1970年代にも活発に使われていました。

私たちの取り組みは、キューバ出身のアーティスト、タニア·ブルゲラが提唱する「Arte Útil(有用なアート)」という考え方にも通じるところがあります。

これは、アートを社会変革のための実践的な道具として捉える考え方です。 

この場所をギャラリーに変えるため、私たちは資金調達キャンペーンを実施しました。地域の人々からの信頼がなければ、実現することはできなかったでしょう。

キャンペーンは大きな成功を収めました。

音楽や食事を楽しむイベントを開き、約190~200人が参加しました。地域のアーティストたちも作品販売を自主的に企画し、売上の一部をギャラリーに寄付してくれました。

友人、アーティスト、文化関係者など、多くの人々が集まり、資金を出し合い、私たちの計画 を実現するために協力してくれました。

私たちは食事を用意し、参加者は交流を楽しみながら、資金面でも支援してくれました。

地域のアーティストたちが自発的に作品販売を企画し、その売上の一部をギャラリーに提供してくれたことも、非常に印象的でした。 

こうして私たちは、すでに存在していた建物を活用し、新しい文化機関をつくることができました。

新しい建物を建設するのではなく、既存の整備工場を改装することには、実用的な意味と象徴的な意味の両方がありました。

実用的な意味というのは、私たちには活動場所が必要で、待っている時間がなかったということです。

そして象徴的な意味というのは、インフラが存在しない場合でも、自分たちの手でそれを生み出せることを示した点にあります。

制度が自然に整うのを待つのではなく、自分たちで活動できる条件を築いていく。それが私たちの選択でした。 

Galleria 17が担う役割

 私たちは日々の活動を通じて、自分たちが感じていたさまざまな不足を補おうとしてきました。

具体的には、実験的な活動、リサーチ、議論、教育などの機会です。

Galleria 17は、アーティストが自分を表現し、対話し、新しい試みを行うための場所となりました。

私たちは、こうした機能を担う場所が非常に少ないことを認識していました。そのため、さまざまな面で責任を引き受けることにしたのです。 

2021年当時、パンデミック後のコソボには、現代美術を発表するための適切な場所がほとんどありませんでした。

以前は、国際的な商業ギャラリーが一つありましたが、当時は現代美術を扱う場所が不足していました。

NGOとして登録されている団体はありましたが、アーティストが作品を発表できるような、適切な専用スペースを持つ団体はほとんどありませんでした。

そのため、アートシーンでは、アーティストのスタジオなどを利用して、さまざまな活動を即興的に行っていました。

当時は「オープンスタジオ」という形式もあり、アーティストたちはそのような機会を通じて、自分たちの実践や考えを発信していました。

4つのテーマを軸にした展示プログラム

 私たちは、足りないのは物理的なスペースだけではないと考えるようになりました。活動を支える仕組みや構造そのものも不足していたのです。

そこでチーム内で何度も話し合い、ブレインストーミングを行いました。活気にあふれたアートシーンがある一方で、私たちの周囲には何が足りないのか。どのようなプログラムを実施すれば、その不足を補えるのか。そうした問いを重ねました。

そして当初から、展覧会を単発のイベントとして扱わないことに決めました。プログラム全体を、長期的なリサーチの枠組みとなる4つのテーマに沿って構成したのです。 

4つのテーマは、次のとおりです。

  • Scanning the Region(地域を見つめ直す)
  • Tekne(テクネ)
  • Archiving Transition(移行期を記録する)
  • Queer Ecology(クィア・エコロジー)

これらのテーマを通じて、私たちはさまざまな文化機関のモデルを試すことができました。また、異なるネットワークを築き、地域の コミュニティに活動の場を提供し、協力者同士が経験や知識を交換できる機会もつくりました。

それぞれのテーマについて、順番に説明したいと思います。これらのテーマは、私たちの置かれた状況や、なぜそれが重要なのかを理解するうえでも大切だからです。

最初のテーマを考えたとき、私たちはまず、自分たち自身から出発すべきではないかと考えました。つまり、外部からではなく、内側からこの地域を捉え直すことはできないだろうか、という問いです。

 

4年間の戦略計画を立て、4つのテーマそれぞれに沿った展覧会シリーズを開催することにしました。毎年、4つの大きなテーマのそれぞれについて展覧会を1つずつ実施する計画でした。 

Scanning the Region――内側からバルカンを見つめる

 「Scanning the Region」というプログラムでは、外部から押しつけられることの多いステレオタイプを通してではなく、バルカン地域の内側から、その地域を見つめる展覧会シリーズを企画しました。

日本では、バルカン地域についてあまりなじみがないかもしれません。しかし、コソボを含むバルカン地域は、これまでしばしば西欧諸国など、外部の人々によって定義され、語られてきました。

 

ここで、スロベニアのアートグループ「IRWIN」のメンバーである友人、ミラン·モハルの言葉を紹介したいと思います。彼らは『East Art Map』という、地域の歴史を私たち自身の視点からまとめた大きな作品集を制作しています。

彼が投げかけた問いは、こうです。

「他者に私たちを定義される前に、私たち自身で自分たちを組織するべきではないか?」

これが、私たちの出発点の一つとなりました。

ユーゴスラビア崩壊後、バルカン地域は非常に複雑な状況に置かれました。地域のアーティストや文化関係者の関係も良好とは言えず、私たちはそれらを再構築する必要がありました。

展覧会を企画することは、私たち自身のつながりを取り戻すことにもなりました。

私たちには、共通する過去や地理的な背景、そして多くの歴史的経験があります。だからこそ、お互いの視点を交換し、政治的な不安定さによって弱まった関係を再び結び直すことには、大きな意味がありました。

1991年のスロベニアでの戦争、その後のクロアチアやボスニアでの戦争、そして最後にコソボでの戦争。こうした出来事は、かつて存在した地域内のつながりを大きく揺るがしました。

私たちは、そのような背景のもとで、Galleria 17の最初の展覧会を企画しました。 

最初の展覧会「Make Me a Coffee, Make Me a Sandwich」

 ギャラリーのオープニングには、モンテネグロ出身のナタリヤ·ヴヨシェヴィッチが企画した、少し変わった形式の展覧会を選びました。

タイトルは「Make Me a Coffee, Make Me a Sandwich(コーヒーを淹れて、サンドイッチを作って)」です。これは、旧ユーゴスラビア時代のポップソングに由来するタイトルで、女性の解放を感じさせる歌でした。 

キュレーターは、このタイトルを採用するだけでなく、展覧会そのものを複数の要素で構成しました。これは単に作品を展示するだけの展覧会ではありません。夕食会でもあり、ダンスの儀式でもありました。参加したアーティストは、地域の女性たちでした。

私たちが出発点としたのは、ギャラリーの空間そのものです。 

先ほどお話ししたように、Galleria 17は以前、自動車整備工場でした。整備工場には、女性の写真が載った壁掛けカレンダーがよくあります。多くの場合、ポップスターやターボフォークの歌手などが写っています。

この地域では、そうしたカレンダーが以前から広く見られました。

ナタリヤは、そこから着想を得ました。カレンダーに描かれた女性が夜になると命を吹き込まれ、古いユーゴスラビアのポップソングを歌いながら、廃墟となったガレージの中で踊る――そのような架空の物語を考えたのです。 

キュレーターのテキストでは、この物語は一種の神話として説明されています。

挑発的でありながら、非常に興味を引くアプローチでした。そして、この神話によって、私たちは空間をフェミニズムの視点から捉え直すことができました。

男性中心の自動車整備工場だった場所を、女性アーティストたちが作品や物語、儀式によって占有し、新しい空間へと変えていったのです。

この展覧会の魅力は、展示が固定されたものではなかったことにもあります。時間の経過とともに内容が展開していきました。

オープニングには多くの人が訪れ、私たちの新しいスペースの始まりを祝ってくれました。皮肉やユーモア、神話、そして地域コミュニティとのつながりを重視した開設の仕方を、皆とても喜んでくれました。 

共有する食事

 プロジェクトの一部として、参加者が一緒に食事をする機会も設けました。

アーティスト、近隣住民、友人、来場者が料理をつくり、食べ物を持ち寄り、レシピを共有しながら話をしました。

キュレーター自身もスープをつくりました。

食べ物を通じて、人々が集まり、つながりを取り戻すことができたのです。食事は、コミュニティを形成するための手段になりました。 

ダンスの儀式

 もう一つの要素は、ダンスの儀式でした。

展覧会の期間中、私たちはアーティストや詩人、アートコミュニティの人々に呼びかけ、地域の神話や文化に関係する詩、物語、思い出などを募集しました。

集まったテキストをもとに、参加アーティストの一人であるエリサ·ベカが、音楽を編集·構成し、ひとつのダンスミックスに仕上げました。

展覧会の終了前夜、人々は集まり、その音楽に合わせて一緒に踊りました。

そこでは、音楽のリズムだけでなく、地域の人々がアーティストと共有した物語や記憶に由来する言葉も聞こえてきました。

この展覧会で重要だったのは、地域を政治的なステレオタイプや悲しい過去だけで捉えなかったことです。

私たちは、食事、音楽、友情、そして人々が一緒に行う儀式を通して、地域を探ろうとしました。

これは、コミュニティのエネルギーを中心に据えた、前向きなスタートとなりました。 

2つ目の展覧会「Përpara」――過去と未来の関係

 私たちは毎年4つの展覧会を開催しました。それぞれが4つの大きなテーマのいずれかに属していました。

「Scanning the Region」「Tekne」「Archiving Transition」「Queer Ecology」という4つのテーマを、4年にわたって展開していきました。

「Scanning the Region」の2つ目の展覧会は、「Përpara」でした。

「Përpara」はアルバニア語です。このタイトルを選んだのは、キュレーターを務めたイルリル·バイリという、コソボでよく知られた音楽家であり、クリエイティブ·メディエーターでもある人物のアイデアがきっかけでした。

彼は、言葉そのものが持つ意味の曖昧さに注目しました。

アルバニア語で「Përpara」は「前へ」「前方へ」という意味ですが、興味深いことに、時間について使うと過去を指す場合もあります。

空間的には、自分の目の前にあるものを意味します。一方、時間的には、すでに起こったことを指すこともあるのです。

イルリルが探究したかったのは、この言葉が示す、過去と未来の関係でした。

私たちが未来を想像するとき、しばしば過去の経験を頼りにします。だからこそ、未来を思い描くためには、自分たちが経験してきた過去についても考える必要があるのです。

この展覧会では、アーティストたちに、記憶と未来の関係について考えてもらいました。 

戦争の記憶を作品にする

 この展覧会では、私たちの過去、特に戦争によるトラウマを抱えた過去にも触れました。

私たちは、Forum ZFDの「Landscape of Repairs」というプロジェクトと協力しました。このプロジェクトは、紛争後の社会における記憶や追悼に関する、大規模なアーカイブを保有しています。

そこには、紛争にまつわる歴史を持つ廃墟や建物などで録音された、環境音の記録も含まれていました。

そのアーカイブを提供してもらい、イルリルは、記録された音をどのようにして、来場者が没入し、積極的に参加できる作品へと変えられるかを考えました。

そして、記憶と未来の関係を体験できる展示を構想しました。 

展示空間は、ピンク色を基調とした、瞑想的で静かな雰囲気に変えられました。

アーティストたちはアーカイブに残された音や記憶、風景を探究し、それらをもとに新しい作品を制作しました。作品はそれぞれ独 自の特徴を持ち、来場者が参加できる仕組みも取り入れられていました。

たとえば、一つの作品は、現代版のジュークボックスのようなものでした。

片側には「Landscape of Repairs」のプロジェクトで記録·保存された環境音があり、もう片側にはアーティストたちが新たに制作した音がありました。

来場者は、新しい音楽作品から一つ、アーカイブの環境音から一つを選び、自分で組み合わせて聴くことができました。

この体験はとても魅力的でした。同時に、過去と向き合うことの重要性についても考えさせられました。

過去を振り返ることは大切ですが、ただ過去に戻ればよいわけではありません。過去とどのように向き合い、どうすれば自分たちを癒やし、紛争の記憶と共に生きていけるのかを考える必要があります。 

子どもたちが戦争について学ぶ

 週末には、家族向けの見学会も開催し、ガイド付きツアーを行いました。

子どもたちも訪れました。彼ら自身は戦争を経験していません。

しかし、この展覧会を通して、子どもたちは戦争について、別の角度から学ぶことができました。

トラウマを直接的に突きつけるのではなく、静かに考え、記憶と向き合うための空間を提供することができたのです。

それは、一種の癒やしのプロセスでもありました。 

3つ目の展覧会「Visibly Horizon」真実、メディア、政治

 3つ目の展覧会は「Visibly Horizon」です。

この展覧会では、真実、メディア、そして政治における可視性をテーマにしました。世界各地で起きていることとも深く関係するテーマです。

近年、「ポスト真実の政治」という言葉をよく耳にします。これは、世論が事実そのものよりも、感情や物語によって強く左右される状況を指します。

モンテネグロ出身のキュレーター、アナ·フランコフスカは、この問題を展覧会を通じて考えようとしました。

今日、私たちはメディア、政府、そして権力を持つ組織が、何を人々の目に触れさせ、何を見えないままにするのかを、ますます強く左右している状況に直面しています。 

そこで展覧会では、次の問いを中心に据えました。

「私たちが何を見るかを決めるのは、誰なのか?」

参加したのは、セルビア、ブルガリア、北マケドニア、ギリシャ、コソボなど、地域の複数の国から集まった若いアーティストたちです。

彼らはインスタレーション、映像作品、デジタルメディアなどを通じて、現代社会で情報がどのように流通しているのかを検証しました。

作品では、プロパガンダ、フェイクニュース、メディアによる情報操作などが扱われました。 

見た目と、その奥にある意味

 たとえば、ある作品は、一見するとエンターテインメントの世界から来たように見えます。衣装やカタログ、写真撮影など、華やかなイメージで構成されていました。

しかし、作品に付けられたQRコードを読み取ると、現代アートに関連する哲学や理論について読むことができました。

つまり、最初に目にするものと、その奥にある内容は必ずしも同じではないのです。

一見すると表面的に見えるものでも、さらに深く読み解けば、非常に複雑な意味が隠されている場合があります。 

別の作品は、教育的で、実験的な仕組みを持っていました。見る角度を変えることで、見えるものが変化するのです。

ある角度から見ると脚のように見えるものが、後ろに回って見ると、まったく異なる状況として現れます。

このように、展覧会は、情報がある地点を越えると曖昧になったり、見落とされていたものが見えるようになったりする状況を表現していました。 

この展覧会では、政治とコミュニケーションという視点から、地域を見つめ直しました。

私たちは最初に、コミュニティを中心とした展覧会を開催し、その次にトラウマや記憶に触れました。そして今度は、世界のほかの地域と切り離すことのできないテーマに取り組む段階に進んだのです。

 バルカン地域も、世界全体で起きている大きな問題や変化の一部です。私たちも、そうした世界的な動きの中にいるのです。

4つ目の展覧会――風景を通して地域を理解する

 「Scanning the Region」の最後の展覧会では、風景を通して地域を捉えることを試みました。

私たちは「地域」と聞くと、地図や国境を思い浮かべることが多いでしょう。

しかし、この展覧会では、風景そのものが、その土地についてより多くのことを語ってくれるのではないかと考えました。

キュレーターを務めたのは、この地域出身で国際的に活躍するテヴジュ·ロガルです。

彼は、風景を理解する際には、その中にある線や痕跡を読み取ることが重要だと考えました。

展覧会のタイトルは「Perceive, Record, Imagine(知覚する、記録する、想像する)」です。

これは、一連のプロセスとして捉えることができます。

まず、私たちは周囲の世界を知覚します。

次に、記憶やイメージ、物語などを通じて、それを記録します。

そして最後に、そこから新しい可能性を想像します。

 この考え方をもとに、地域のアーティストたちがさまざまな角度から作品を制作しました。

移民と難民のルート

 たとえば、ヨシュト·フランコの作品は移民をテーマにしていました。

展示では、バルカン地域を通る難民ルートに関する写真や資料が紹介されていました。

彼は、この地域を移動する人々の経験を記録し、彼らがどのような風景を目にし、どのような状況に直面するのかを伝えようとしました。 

来場者が資料を読んで、移動する人々の経験について理解を深められるよう、雑誌なども用意されていました。

また、ほかの作品では、自然との感情的·心理的なつながりを反映した、非常に個人的な風景も表現されていました。 

この展覧会では、「知覚する、記録する、想像する」という3つの行為が、互いに循環するものとして示されました。

来場者は展示空間を巡りながら、自分自身の経験を通じて、風景を知覚し、記録し、想像するというプロセスをたどります。

ここでは、地理的な背景だけでなく、個人の記憶を通して地域を見つめ直しました。 

私たちは、地域をさまざまな角度から探ることで、最初はコミュニティと儀式から始まり、次に記憶と時間、メディアと政治的な真実へと進み、最終的には移民や風景といった、世界全体に関わる問題にも取り組むことができると考えました。

 「Scanning the Region」から「Tekne」へ

 それでは、2つ目のテーマである「Tekne(テクネ)」に移りましょう。

「Tekne」という言葉は古代ギリシャ語に由来し、工芸、技術、そして何かをつくるための知識を意味します。私たちのプログラムでは、この概念を通して、テクノロジー、創造性、人間の想像力の関係を探っています。 

「Tekne」は、テクノロジーとアートの交差点で、アーティスト、科学者、クリエイターが出会う、展覧会やさまざまな活動から成るシリーズです。

このテーマは、ほかのプログラムとは形式が異なっていました。キュレーターは置かず、テーマに沿ったグループ展ではなく、個々のアーティストを招いて個展を開催したのです。 

目的は、アート、科学、テクノロジーの交差点で活動するアーティストの実践から、直接学べる場をつくることでした。

それぞれの展覧会は、いわば「オープンラボ」のような役割を果たします。アーティスト自身が来場者向けのガイドツアーを行い、さらにマスタークラスやワークショップも実施しました。

そうすることで、アートコミュニティの人々が、アーティストの経験や制作実践から直接学べるようにしたのです。

ここでは4つの展覧会を簡単に紹介します。このうち最初の展覧会を除く3つは、アート、テクノロジー、社会を扱う重要な国際的プラットフォームである「アルス·エレクトロニカ·フェスティバル」との協働によって実現しました。

毎年9月にリンツで開催されるアート、科学、テクノロジーが交わる様子を実際に見ることができる、素晴らしいフェスティバルです。 

第1の展覧会「Babylonian Vision」

 最初に紹介するのは、ドイツとイラクにルーツを持つ素晴らしいアーティスト、ノル·アル=パドリによる「Babylonian Vision」です。

この展覧会を開催できたことは、私たちにとって大きな機会でした。作品では、人工知能が文化遺産とどのように関わることができるのかが探究されています。

ノル·アル=パドリは、自身の実践を「思弁的考古学(speculative archaeology)」と呼んでいます。

地面を掘って遺物を発掘するのではなく、デジタルアーカイブやデータの中から遺物を「発掘」するのです。

世界各地の歴史的·政治的な状況によって、さまざまな文化遺産が本来の場所から移動させられてきたことは、皆さんもご存じだと思います。たとえば、古代メソポタミアの遺物の多くは、現在、西洋の美術館に収蔵されています。 

彼女は、こうした文化財の脱植民地化について問題提起しています。私たちは、歴史がどのような背景のもとで語られてきたのかを理解したうえで、歴史を別の視点から見ることができるのでしょうか。

このプロジェクトでは、博物館のコレクションに含まれる古代メソポタミアの遺物、約1万点の画像を使って、ニューラルネットワーク、つまり人工知能の一種を学習させました。画像は、バビロニア文明やアッシリア文明の遺物を大量に所蔵する主要な美術館から集められたものです。 

AIは、そのデータを使って、実際には存在しない新たな画像を生成しました。しかし、それらの画像には古代文明特有の視覚的な特徴が受け継がれています。

そのため、生成された遺物を見ると、まるで本当に存在するかのような感覚を覚えます。展示の解説を読み、さらに内容を掘り下げていくと、このプロジェクトが重要な問いを投げかけていることがわかります。

  • 文化遺産は誰のものなのか。
  • なぜ中東の遺物の多くが西洋の美術館に収蔵されているのか。
  • テクノロジーは、失われた歴史と再びつながるための新しい方法を生み出せるのか。
  • テクノロジーは文化財の脱植民地化を進めると同時に、美術館をより民主的なものにできるのか。
     

この展覧会は、人工知能が歴史や記憶、そして植民地主義的な構造を持つ美術館のあり方を再考するための道具になり得ることを示していました。こうした問題は、現代社会においても重要であり、広く関心を集めています。

これが、考古学、遺物、文化遺産をテーマとした最初の展覧会でした。

その後、私たちはアルス·エレクトロニカとの協働を続け、コソボで紹介するのにふさわしいアーティストを一緒に選んでいきました。

 第2の展覧会「Forehead Vulva Channeling」

 

2つ目の展覧会は、最初のものとは大きく異なり、テクノロジーと人間の身体との関係を扱っていました。

イタリアのアーティスト、ソフィア·ブラガは、「Forehead Vulva Channeling」という思弁的なプロジェクトを制作しました。展示空間を紫色にするというアイデアも、彼女自身が考えたものです。

 

先ほど説明したように、このプログラムにはキュレーターがいません。そのため、アーティストは自分の作品や制作実践に最も適した方法で、自由に展示空間を構成することができました。 

この作品では、額の中に「Forehead Vulva」と呼ばれる隠された器官が存在する、という架空の研究シナリオが設定されています。この器官によって、これまでにない感情や感覚の体験が可能になる、という想像上の設定です。 

拡張現実(AR)の技術を使い、アーティストは、この架空の器官を視覚化し、働かせるためのデジタルツールを制作しました。

男性も含め、来場者の誰もが展示に没入して体験している様子は、とても印象的でした。

ソフィアによると、このプロジェクトは当初、芸術的な実験として始まりました。しかし、やがてオンライン上にも広がり、人々がソーシャルメディアでのパフォーマンスやデジタル上の交流を通して参加するようになったそうです。

来場者も、この没入型の展覧会を体験することができました。 

この作品を通して彼女が問いかけているのは、テクノロジーによって、私たちが身体やアイデンティティを認識する方法がどのように変わるのか、ということです。

つまり、テクノロジーによって、人間の身体がどのような存在になり得るのかという想像力を、さらに広げられるのではないか。この展覧会は、そうした可能性を探っていました。

こうした問いを、私たちの社会やアートコミュニティに持ち込むことも、とても重要だと考えています。 

第3の展覧会「You Know Me So Well」

 次に紹介するのは、マルティナ·メネゴンによる「You Know Me So Well」です。彼女も、アルス·エレクトロニカとの協働を通じてコソボに招いたアーティストの一人です。

この展覧会では、アイデンティティ、仮想の身体、そしてデジタル空間における自己表現の関係が扱われました。 

マルティナは、アルゴリズムや生体認証データを用いて、デジタルの自画像を制作しています。展示作品のほとんどは、自画像でした。

来場者は、人工知能によって一部が生成され、同時にアーティスト自身の身体データによって形づくられた、アバターや仮想の身体に出会うことができました。

このように複数の要素を組み合わせることで、デジタル上の人物像 は美しく見える一方で、どこか歪んだ、不安定な印象も生み出していました。

映像には、いくつかのグリッチ、つまりデジタル上の乱れも見られます。アーティストにとって、こうした不具合は重要な表現手段になっています。

彼女はアーティストトークで、グリッチを単なる技術的な問題として扱うのではなく、アイデンティティが不安定になり、変化に対して開かれる瞬間として捉えていると話していました。 

この展覧会は、私たち自身の仮想的な姿について考え、それを大切にするよう促します。

今日、私たちのアイデンティティは、もはや物理的な身体だけに存在するわけではありません。現実と仮想のあいだにある、ハイブリッドな空間にも存在しているのです。

そして、デジタル上の自分自身をどのように守り、維持していくのかという問題もあります。こうしたテーマを取り上げ、議論することが、マルティナにとって非常に重要でした。 

第4の展覧会:ビデオゲームと現代社会

 このシリーズの最後の展覧会では、ビデオゲームを現代社会の反映として捉えました。

日本でも同じだと思いますが、ビデオゲームが私たちの生活に与える影響を、皆さんも日々目にしているでしょう。特に若い世代にとって、ビデオゲームはとても身近な存在です。 

この展覧会に参加したのは、アーティスト集団「Total Refusal」です。彼らは自らを、擬似マルクス主義的なメディア·ゲリラ集団と位置づけています。既存のビデオゲームを素材として再利用し、ゲームのリアルな映像表現の背後にある政治的な仕組みを明らかにしようとしています。

彼らは、ゲームを普通にプレイするのではなく、ビデオゲームそのものを芸術表現の素材として使います。

この展覧会で彼らが注目したのは、NPCです。NPCとは「Non-Player Character」の略で、プレイヤーが操作しないキャラクターを意味します。

たとえば、ゲームの世界に登場する労働者、歩行者、ダンサーなど、背景を構成するキャラクターのことです。

彼らは、こうしたNPCを拡大して詳しく分析し、通常は背景にいるキャラクターを、作品の主役として見る機会をつくりました。

NPCは、働く、歩く、踊る、待つといった行動を、延々と繰り返します。

アーティストたちは、この反復的な行動を、資本主義社会における労働の構造と比較しました。現実の社会でも、多くの労働者が毎日同じような作業を繰り返しています。ゲームのNPCも、仮想世界を成立させるために、同じ行動を繰り返しているのです。 

別の作品では、ナイトクラブで踊り続けるNPCが取り上げられていました。彼らは同じダンスや娯楽的なパフォーマンスを繰り返します。

しかし、ある瞬間にシステムにグリッチが発生し、キャラクターの行動が崩れます。

システムが正常に機能しなくなると、キャラクターは突然、予測できない動きをするようになります。来場者が思いもしなかった動きを始めるのです。

これはもちろん、Total Refusalがメッセージを伝えるために意図的に仕組んだものです。

ここでグリッチは、抵抗や逃走のメタファーになります。私たちが今日経験している資本主義の硬直したシステムから、抜け出す可能性を象徴しているのです。 

この展覧会は、ビデオゲームのようなデジタル環境が、単なる遊びの場にとどまらず、労働、権力、資本主義社会の構造について批判的に考えるための手段にもなり得ることを示していました。

私たちにとって、このようなテーマをプログラムの中に取り入れ、展開していくことは重要でした。

文化遺産や歴史について、異なる角度から考えること。人間の身体やアイデンティティを別の視点から捉えること。そして、労働や社会の仕組みがどのように機能し、それにどう異議を唱え、批判的に考えることができるのかを、哲学的かつ現代的な方法で探ることです。

それでは、次のテーマ「Archiving Transition(移行期のアーカイブ化)」に進みましょう。 

第3のテーマ「Archiving Transition(移行期のアーカイブ化)」

 このテーマは、私たち自身の背景や歴史、そして今なお続いている長い移行期と深く関係しています。時には、移行期が一時的なものではなく、永遠に続く状態なのではないかと感じることさえあります。

このプログラムでは、コソボの現代美術史における重要な出来事を調査し、記録し、再び活性化することを目指しました。

先ほどお話ししたように、私たちは長い間、終わりの見えない移行期を経験してきました。そのため、共通の文化的な物語に立ち止まり、深く掘り下げることが、なかなかできませんでした。 

歴史的に見ても、私たちの社会では文化は常に二次的な重要性しか与えられてきませんでした。

だからこそ、このテーマを通じて、過去の出来事に立ち戻り、何が重要だったのかを探り、これまで記録やアーカイブに残されてこなかった部分を補うことができるのではないかと考えたのです。 

最初の展覧会「Përtej(その先へ)」

 最初の展覧会は、アルバニア語で「その先へ」を意味する「Përtej」というタイトルでした。

私はブレルタ·ホチャとともに、この展覧会を共同制作しました。ギャラリーにとって非常に繊細で重要なテーマだったため、最初のプロジェクトから自分自身も関わることが大切だと考えたのです。

こうしたテーマを扱うプロジェクトは複雑です。関わる人が多いほど、展覧会をよりよい形で実現し、テーマを深く掘り下げることができます。

「Përtej」は、1990年代末、具体的には1998年に起きた重要な芸術上の出来事を振り返る展覧会でした。

当時、戦争が始まる直前のコソボでは、深刻な政治的抑圧と孤立が進んでいました。日常生活のさまざまな場面が、通常の制度とは別の仕組みによって支えられていたのです。

学校は個人の住宅で運営され、文化活動もカフェや小さな非公式の空間で行われることがよくありました。

そのような状況の中で、今回取り上げた展覧会は、ベオグラードで開催されたという点で非常に重要でした。

当時、ベオグラードで展覧会を開催すること自体が、極めてデリケートな問題だったのです。 

展覧会はベオグラードの「文化的脱汚染センター(Center for Cultural Decontamination)」で開催されました。しかし、当時のコソボの政治的・社会的背景から、参加したアーティストたちはコソボ側で「裏切り者」と見なされました。

一方、コソボのアーティストたちを受け入れた文化的脱汚染センターも、ベオグラード側から批判を受けました。

今日から見ると、単なるグループ展のように思えるかもしれません。しかし、当時はプリシュティナとベオグラードの双方にとって、強い政治的·文化的抵抗の行為だったのです。

それは、非常に緊張した危機的な状況の中で、アートを通じてコミュニケーションを試みる行為でもありました。 

Manifesta 14と展覧会の再訪

 この展覧会は、2022年に開催された「Manifesta 14」の期間中に、私たちのギャラリーで再び紹介されました。

Manifestaは、ヨーロッパを中心に各地を巡回する現代美術の国際展です。Manifesta 14はプリシュティナで開催され、私たちのギャラリーも会場の一つとなりました。会場は全部で25か所ありました。

私たちは「Archiving Transition」を、コソボの歴史に関わる最初期の展覧会の一つとして紹介することにしました。

Manifesta 14のプログラムは、公共空間を取り戻すことだけでなく、支配的な歴史の語り方を再考すること、持続可能性や都市全体の社会変革について考えることにも重点を置いていました。

そのため、この展覧会はプログラムに非常によく合っていると考えたのです。

展覧会には多くの人が訪れ、作品を通して、コソボの歴史的背景やベオグラードとの関係について、より深く知ってもらうことができました。 

作品とアーカイブの意味

 展示された作品の背後には、非常に強いコンセプトがありました。

展覧会は2つの会場に分けて構成されました。一方の会場ではアーカイブ資料を展示し、もう一方のグランドホテルでは、新たに制作された作品を紹介しました。

グランドホテルでの新作は、当時ベオグラードで開催された展覧会に参加していたアーティストたちにインタビューし、制作されたものです。

私たちは彼らに、当時の展覧会をどのように捉えていたのか、そして現在、過去の出来事をどのような視点から見ているのかを尋ねました。

ここでは、特に重要だと感じたコンセプトをいくつか紹介したいと思います。

たとえば、こちらには新聞が展示されています。公共のアーカイブから見つけたものですが、公共アーカイブには資料が不足しており、決して充実しているとは言えません。

また、こちらには作品の残存物があります。

たとえば、メフメト·ベリュリの作品には、イデオロギーに関する書籍をタールで塗りつぶし、全体を黒くするという強いコンセプトがありました。異なるものを黒で覆うことで、それぞれの違いを無効化するような作品だったのです。

この展覧会は、ある意味で予言的だったようにも感じられます。開催からわずか数か月後に、戦争が始まったからです。

アーティストたちの自宅やスタジオも焼かれ、作品の多くが失われました。残されたものはごくわずかでした。

私たちは、そうした残存物を、歴史を伝える遺物として展示しました。

展示されているのは、スケッチなどの資料、オリジナル作品ではない関連資料、そして当時のオープニングの様子を記録した映像などです。

さらに、当時のメディア報道を示す記事も展示しました。来場者が記事やインタビューを読み、当時の状況を理解できるようにしたのです。記事はアルバニア語だったため、英語に翻訳して紹介しました。

ガイドツアーも行いました。正確な人数は覚えていませんが、多くの人が参加してくれました。

この展覧会は、2つの国の間に、アートを通じてつながっていたコミュニティが存在したことを伝える、よい機会にもなりました。

そして、現在もなお、両者の間には緊張関係が残っています。

ご存じのように、セルビアはコソボを国家として承認していません。

アーティスト同士の協働は続いていますが、実際には簡単なことではありません。私たちのコミュニティでは、関係を改善しようと努力している人々がいます。しかし、政治的な問題は今も残っています。

そのため、望むかどうかにかかわらず、両者の間には境界が生まれます。アーティストが相手側の地域へ行くこともありますが、国境を越えること自体が難しい場合もあるのです。

Manifestaのような機会は、アーティスト同士のつながりをつくるうえで役立ったのかもしれません。

ただし、問題はベオグラードとの関係だけではありませんでした。

コソボのアーティストや文化関係者は、長い間、ビザの制限によって移動の自由を大きく制約されてきました。その背景には、戦争の時期から続く状況があります。

コソボの人々は、2024年1月1日になるまで、シェンゲン圏内を自由に移動することができませんでした。

つまり、自由な移動が認められるようになったのは、ほんの数年前のことなのです。

優れた才能を持つ若いアーティストが大勢いるにもかかわらず、移動の制限に直面しなければならない。その状況がどれほど大変なものだったか、想像していただけると思います。 

Manifesta 14がコソボのアートシーンにもたらしたもの

 こうした状況のため、コソボの多くのアーティストは、国際的なアート界とつながる機会を十分に得られませんでした。

しかし、2022年にプリシュティナで開催された「Manifesta 14」は、その状況を一時的に変える助けとなりました。国際的なアート界の人々が、コソボに足を運ぶ機会をつくったのです。

Manifesta 14では、参加アーティストの約40%が地元のアーティストでした。これは、非常に重要なことでした。来場者にはアート業界の人々、つまりアーティスト、キュレーター、ジャーナリストなどが多く含まれていたからです。そうした人々の前で、コソボのアーティストが自分たちの活動を知ってもらう機会になりました。

また、将来の協働につながるような、アートコミュニティ同士のつながりを築くこともできました。アーティストたちは、さまざまなキュレーターと直接交流する機会を得たのです。

Manifestaの終了後、海外の重要な展覧会に参加するコソボのアーティストが現れるようになりました。

政治的な事情によって長く制約を受けてきた私たちにとって、これは非常によい機会だったと思います。 

「Back to the Gorgeous of the Balkans」バルカン地域のアートを再考する

 先ほど、ミラン·モハルの言葉を紹介しました。

「ほかの人たちに組織化される前に、私たち自身で組織化できないだろうか?」

この展覧会は、2000年代初頭、具体的には2003年から2004年ごろに開催された、重要な展覧会の一つに関連しています。当時、バルカン地域のアーティストを集めた大規模な展覧会が3つほど開催されました。

その一つが、ドイツのカッセルで、ルネ·ブロックによって企画された「Back to the Gorgeous of the Balkans」です。

この展覧会は、南東ヨーロッパ各地のアーティストを集め、ユーゴスラビア紛争後のこの地域の現代美術を、国際的な舞台で大規模に紹介した初期の重要な試みの一つでした。

旧ユーゴスラビア地域のアヴァンギャルドを代表するアーティストたちが参加していました。マリーナ·アブラモヴィッチ、IRWIN、ヴラディスラフ·スティリノヴィッチなど、この地域を代表する重要なアーティストが集まっていたのです。

私たちは、この大規模な展覧会を改めて分析し、展覧会の意味を再検討しました。

興味深かったのは、そこにコソボのアーティストたちも参加していたことです。彼らの中には、コソボ国外で作品を展示するのが初めてだった人もいました。

コソボの複数のアーティストが参加していたことを知り、私たちは、この出来事をもう一度振り返り、詳しく分析する価値があると考えました。

先ほども説明したように、当時は移動に大きな制約がありました。ビザの問題や経済的な困難のため、コソボの多くの人々は展覧会を見に行くことができませんでした。参加アーティストの中にも、現地へ行けなかった人がいました。

そこで約20年後、私たちは展覧会の一部を再構成することにしました。ドイツ人アーティストのティボー·ド·ロイター(Thibaut de Ruyter)を招き、当時の展覧会を再び紹介するとともに、その意味を改めて考える機会をつくったのです。

当時から、この展覧会については多くの議論がありました。バルカン地域がステレオタイプによって捉えられている、という問題があったからです。

地域の理論家であるセズギン·ボイニクは、バルカンを扱う展覧会について、しばしば西洋の視線から地域を眺め、バルカンを外部から観察される対象として位置づける物語が生み出されてきた、と指摘しています。

つまり、この展覧会をどのような視点から捉えるべきなのか、という問題があったのです。

それでも、コソボのアートシーンにとって、自分たちの作品が、ユーゴスラビアの著名なアヴァンギャルドのアーティストたちと対話する形で紹介されたことは、非常に重要でした。

そして約20年後に展覧会を再訪することは、私たちだけでなく、当時参加したアーティスト自身にとっても、作品と再び向き合うよい機会となりました。

単に当時の記録を展示するのではなく、私たちは「生きたアーカイブ」をつくろうと考えました。

つまり、過去の作品を現在に呼び戻し、アーティストとの対話を再び開くような展覧会です。そのため、参加アーティストに当時の作品を持ち寄ってもらいました。

これらの作品は、もちろん、それぞれ異なる文脈の中で発表されたものです。私たちが知りたかったのは、それらが現在でもどのような意味を持つのか、ということでした。

ドレン·マリチの作品

 たとえば、ドレン·マリチ(Dren Maliqi)の作品では、2人のポップカルチャー上の象徴的な人物が向かい合うように配置されています。

一人はアンディ·ウォーホルが描いたエルヴィス·プレスリー、もう一人はコソボの戦争の英雄であるアデム·ヤシャリです。

ここでは、東西の異なる地域から生まれ、それぞれ異なる知名度や影響力を持つ人物が並べられています。

このように異なる文化的背景を持つ象徴的な人物を対置することで、どのような対話が生まれるのか。それが、この作品の興味深い点です。

メリタ·ハルジコヴィッチの作品

 もう一つの例は、メリタ·ハルジコヴィッチ( Merita Harxhi Koci)の作品です。

彼女は、自分自身をコソボ大統領候補として描いた架空の選挙ポスターを制作しました。所属政党は「現代美術党」という設定です。

短い映像もあり、彼女はアートシーンや文化関係者のために貢献すると公約しています。

当時、女性が大統領になるという発想は、かなり挑発的なものでした。

しかし、彼女の作品を振り返ると、まるで未来を予言していたかのようにも感じられます。その後、コソボでは女性大統領が2人誕生し、現在も女性が大統領を務めています。

 このような作品は、批判的であると同時に、皮肉やユーモアも含んでいました。

こちらは、ティボーが来場者にガイドツアーを行っている様子です。彼は、これらの作品が現在でも非常に重要だと考えています。作品を通じて、アーティストたちがすでに当時から、政治やアイデンティティについて考えていたことがわかるからです。

彼が提起した重要な問いは、次の2つでした。

  • この20年間で、コソボのアートシーンはどのように変化したのか。
  • 反対に、何が変わらずに残っているのか。
     

過去の作品を次の世代につなぐ

 現在の若い世代の多くは、こうした作品を実際に見る機会がありませんでした。

先ほどお話ししたように、コソボには、現代美術を専門に扱う美術館がまだありません。特に、現代美術の先駆的な作品を体系的に鑑賞できる場所が不足しています。

コソボでは、現代美術の発展そのものが比較的遅れていました。

たとえば、先ほど紹介したベオグラードでの展覧会に参加したアーティストたちは、コソボの現代美術の先駆者でした。彼らはその時期に、新しいメディアを通じて、自分たちの表現を確立し始めたのです。

それ以前の芸術表現は、より伝統的なものでした。また、社会的な孤立も、アーティストたちがどのように自分自身を表現するかに影響していました。

そのため、若い世代にとって、当時のアーティストたちが持ち寄った作品は大きな驚きでした。 

ヤクプ·フェリの映像作品

 たとえば、ヤクプ·フェリ(JAKUP FERRI)の映像作品があります。

この作品には、ユーモラスな側面があります。しかし同時に、当時のコソボの脆弱な状況を伝える、とても繊細な物語でもあります。 

社会的に孤立していた私たちが、西洋の世界とどのように繋がろうとしていたのか。その状況を共有することは、当時非常に重要でした。約20年後、来場者はこれらの作品を改めて発見しました。

そして、この展覧会は、異なる世代をつなぐ機会にもなったのです。 

2004年のパフォーマンスを再訪する

 それでは、次の展覧会に移りましょう。

この展覧会は、プリシュティナで2004年に行われた、非常にユニークな芸術イベントを再訪するものでした。

当時、コソボは戦争を終えていましたが、独立と国際的な承認をまだ待っている状況でした。

社会には強い不安感と不満が広がっていました。

そうした背景のもと、アーティストと活動家のグループが、青年スポーツ宮殿(Palace of Youth and Sport)のショッピングアーケードで、12時間にわたるハプニングを開催しました。

この建物は、ユーゴスラビア時代を象徴するブルータリズム建築の一つです。

このイベントは、当時としては非常に先駆的な試みでした。

会場はプリシュティナの中心部にあり、一般の人々が自由に訪れることができました。つまり、アートを美術館やギャラリーの中だけにとどめず、街の中心へ持ち出したのです。

これもまた、当時の社会状況に対する反応でした。

正式な文化施設や制度が十分に整っていなかったため、公共空間を使ったこのような介入が生まれたのです。

こうした活動は、多くの人々に解放感をもたらしました。普段とは異なる開かれた空間が生まれたと、今でも記憶している人がいます。約20年後、ギャラリー17は、当時の資料、インタビュー、写真、 サウンドインスタレーションを通じて、このイベントを再び取り上げました。

キュレーター、カトリン·ニコルズ

 ここで紹介しておきたいのが、キュレーターのカトリン·ニコルズ(Catherine Nichols)です。彼女はプリシュティナで開催されたManifesta 14のキュレーションにも関わった人物です。

私たちは、彼女がコソボの状況をよく理解していることを知っていました。Manifestaの期間中、彼女は多くのアーティストと協働していました。

今回の出来事についても、彼女なら深く掘り下げ、当時の私たちの経験を理解し、学び取ってくれると考えたのです。

そこで、彼女と協力して、当時の作品をいくつか再訪することにしました。

 まず、参加したアーティストたちに、当時の作品が残っているかどうかを尋ねました。

2004年のイベントには約100人が参加していましたが、今回集めることができた作品は24点だけでした。

作品を破棄してしまったアーティストもいれば、当時は作品をそれほど重要なものと考えていなかった人もいました。また、自分たちの作品を記録し、保存することの重要性が、十分に認識されていなかった場合もあります。

そこで私たちは、当時の青年スポーツ宮殿のアーケードにあった雰囲気を再現しようとしました。 

黒いビニールで覆われた空間

 当時のイベントについて、参加者たちが共通して覚えていたことがありました。

建物の外側や1階、そして内部のアーケードでは、店舗が黒いビニールで覆われていたのです。

そのため、空間全体が黒く見えていました。

キュレーターは、参加者たちが何度も語っていたこの雰囲気を、今回の展覧会でも再現することにしました。

このアーケードは、ブティックやカフェなど、さまざまな商業施設が並ぶ場所でした。私たちは、そうした空間全体をアートの場へと変えようとしたのです。

廊下を使って作品を展示し、それらを黒いビニールで覆いました。

黒いビニールは、当時私たちが感じていた不安や不満を象徴していました。正直に言えば、社会全体がどこか沈んだ雰囲気に包まれていたのです。

このハプニングのテーマは「過去·現在·未来」でした。

過去に関する作品がある一方で、現在の社会が停滞していることを示す作品もありました。そして、未来には明るい見通しが持てないという感覚も表現されていました。

こうした状況が、当時のイベントの背景にあったのです。

キュレーターは、オリジナル作品を展示するだけでなく、黒いビニールを使って、当時の雰囲気そのものを再現しようとしました。

それは、多くの人が奇妙でありながらも特別なものとして記憶していた空間でした。

 建物全体を布などで包むクリストとジャンヌ=クロードの作品を思い起こさせるような試みでもありました。

12時間ですべてを実現する

 このイベントで特に興味深かったのは、準備から設営、展示、パフォーマンスまで、すべてを1日で行わなければならなかったことです。

私たちに与えられた時間は、わずか12時間でした。

そのため、カトリン·ニコルズは今回のプロジェクトを「We Have Another 12 Hours(私たちには、もう一度12時間がある)」と名づけました。

アーカイブ資料を展示するだけでなく、彼女は私たちのチームと協力し、当時のパフォーマンスの一部を再演することにしたのです。 

元の会場に戻り、過去の作品を現代の視点から再演できたことは、素晴らしい機会でした。 

過去の問いを、現在の問いへと変える

 当時の作品の一つに、「How We Slept Enough(私たちは十分に眠れただろうか)」という言葉が書かれたバナーがありました。

今回、私たちはこの問いを別の意味に読み替え、若いアート学生たちに再現してもらいました。 

彼らが示した問いは、次のようなものでした。

「私たちは、コソボを十分に離れただろうか?」

これは、現在の状況を反映した問いです。

多くのコソボの人々が、国内で得られる機会や生活に満足できず、国外へ移住しているからです。

つまり、当時の問いを、そのまま再現するのではなく、現代社会の状況に合わせて読み替えたのです。

また、会場には人々が集まり、音楽を聴く場所もありました。あるアーティストがDJを務め、当時人気だった映像を集めて紹介しました。

それらは、社会に明るい見通しが持てなかった時代に、私たちの士気を保つ役割も果たしていたのです。 

女性アーティスト集団「Charlie’s Angels」の再演

 もう一つの例は、先駆的な女性アーティスト集団「Charlie’s Angels」のパフォーマンスです。

実は、私自身もこの集団のメンバーでした。

当時、私たちは3人で、12時間のハプニングの間、固定式のトレーニング用自転車をこぎ続けました。背中には、コソボの主要な3つの政党の略称を付けていました。

今回、若いアーティストたちは、このパフォーマンスを再解釈しました。

自転車の代わりに、より現代的な固定式のバイクを使ったのです。ただし、バイクはその場に固定されていて、メイクアップをしています。

これは20年前のパフォーマンスを、現在の社会状況に合った形で再構成したものでした。

このように、今回の展覧会では、若いアーティストや学生たちと協力しながら、過去の作品を再構成したり、新しい解釈を与えたりしました。 

戦争で命を失った子どもたちを記憶する

 もう一つのパフォーマンスでは、チェス盤が使われました。これは2004年のイベントでも行われた作品です。

当時の作品では、人形のような存在が使われていました。

一方では、人々が他者によって支配され、自分の望みや必要としていることを自由に表現できない状況が、人形によって象徴されていました。

もう一方では、自分たちの権利を求める人々の姿が、パフォーマンスを通じて表現されていました。

約20年後、アーティストたちはこの作品を再演するにあたり、戦争で命を落とした子どもたちに捧げることを決めました。

その子どもたちは、現在のアーティストたちが享受している自由を経験することができなかったからです。

アーティストたちは、自分たちのお気に入りのおもちゃや人形を持ち寄り、展示しました。

それは、戦争で亡くなった子どもたちを記憶し、彼らに敬意を表するとともに、20年後の現在、自分たちが享受している自由について考える行為でもありました。 

 アーカイブを残すことの難しさ

 このハプニングは、非常に重要な出来事でした。

約100人のアーティストや活動家が集まる、当時としては先駆的なイベントの一つであり、多くの人々が訪れました。

しかし、こうした出来事の物語や記録を集めることは簡単ではありません。

資料を整理し、アーカイブをつくるためには、それを担うチームが必要です。

私たちは、オーラル·ヒストリー、つまり人々の話を聞き取ることによる歴史の記録にも、大きく頼っています。

実際に人々と会い、当時の経験について話し合い、写真や映像などの個人的な資料を共有してもらうのです。

今回の展覧会は、過去の出来事を振り返るとともに、当時の資料がどれだけ残っているのかを確認する、よい機会となりました。

そして、最後の展覧会は、再び私とミランによって企画されました。

以上の重要なポイントをまとめると、

  • アートは、政治的な孤立を越えて人々をつなぐ手段になる。 Manifesta 14は、コソボのアーティストが国際的なアート界と交流する機会をつくった。
  • アーカイブは、過去の記録を保存するだけのものではない。 過去の作品を現在に呼び戻し、若い世代とともに再解釈する「生きたアーカイブ」という考え方が重要。
  • 公共空間でのアートは、制度が不足している状況から生まれることもある。 2004年のハプニングでは、商業施設のアーケードを舞台に、街の人々がアートに触れられる場がつくられた。
  • 同じ作品でも、時代が変われば問いの意味も変わる。 過去のパフォーマンスを再演することで、現代の移住問題や自由、社会の停滞といった課題が浮かび上がった。
  • 歴史を残すには、人々の記憶や個人的な資料が欠かせない。 作品が失われたり、記録が残されていなかったりするため、インタビューや写真、映像などを集める作業が重要になる。

アーカイブ・トランジション――コソボの現代美術を記録す

 東ヨーロッパや中央ヨーロッパのアーティストを対象としたこの賞は、チェコ共和国で始まりました。私たちがこの取り組みに加わったのは2002年です。

この賞に関連する展覧会を最後の展示として取り上げたのは、作品そのものだけに注目するのではなく、この賞がアートシーンの発展にどのような影響を与えてきたのかという、より広い視点から考察したかったからです。

私たちは、この賞を受賞したアーティストに関するさまざまなデータを収集しました。受賞者は誰だったのか、最終候補者には誰が選ばれたのか、審査員は誰だったのか。作品を選考した審査員と受賞者を決定した審査員についても記録しました。また、当時の作品がどのようなものだったのかを伝える写真も集めました。 

この展覧会の準備を進めるなかで、もう一つ重要な問題が明らかになりました。それは、文化機関における体系的なアーカイブの仕組みが不足しているということです。

私たちは資料を探し出すことに苦労しました。しかも、対象としているのは50年以上前の歴史ではありません。2000年から2024年までという、比較的最近の出来事についての記録でさえ、十分に残されていなかったのです。

それでも、資料の大部分を収集することができました。受賞したアーティストたちのデータに加え、彼らが後年に制作した作品集や出版物も展示しました。受賞者のなかには、その後、重要な展覧会に参加し、自身のアートブックやさまざまな出版物を発表したアーティストもいます。

私たちは、彼らが長い年月のなかでどのように成長し、活動を展開してきたのかを示すことも重要だと考えました。

また、メディアによる報道資料も収集しました。この賞について取り上げた新聞記事は、およそ150点見つかりました。さらに、展覧会のオープニングなど、当時の雰囲気を伝える映像も約40本集めることができました。

もちろん、失われてしまった資料もあります。しかし、資料が欠落しているという事実もまた、私たちが「アーカイブ・トランジション」というテーマを通して示したかった現実の一つです。

私たちはミラン・モハル(Milan Maur)とともに、この賞がコソボの若いアーティストたちにとってどれほど重要だったのかを考察しました。多くのアーティストにとって、この賞は国際的なアートシーンとつながる最初の機会の一つだったからです。 

受賞者はアメリカに3か月間滞在することができ、滞在に必要な費用はすべて支援されました。現地のアートシーンを調査し、新しい作品を制作することもできました。専用のスタジオが用意され、コソボには十分に存在しない美術館を訪れる機会もありました。

これは、彼らにとって本当に貴重な機会でした。

しかし、今回の展覧会で重要だったのは、受賞者だけではありません。賞を成立させてきた一連のプロセスそのものにも注目する必要がありました。つまり、これは受賞者についての展覧会ではなく、その背後で賞を支え、実現させてきたすべての人々についての展覧会でもあったのです。

私たちは、この賞を支えてきた仕組み自体が非常に重要だと考えています。アート業界で活動する多くの著名な人物が審査員を務め、アーティストたちとのつながりを生み出しま した。さらに、彼らがコソボには活気あるアートシーンが存在することを広く伝えたことで、新たな人々がコソボに関心を持つようになりました。

私たちが示したかったのは、展覧会のオープニングや受賞者の発表といった、最終的に人々の目に触れる出来事だけではありません。その背後には、多くの人々の協力と、長い時間をかけて築かれた仕組みがあるということです。

この取り組みを通じて、私たちは、芸術的なイニシアチブが文化的なエコシステム全体の形成や、持続可能なアートシステムの構築にどのように貢献するのかを考察しました。

国の文化機関、アーティスト、民間の取り組みなど、さまざまな要素が協力することによって、一つの賞が成立し、継続していきます。

2002年に始まったこの賞が現在まで続いていること自体、重要な意味を持っています。コソボでは、さまざまな取り組みが途中で終了してしまうことも多く、私たちが置かれている状況のなかで、一つの活動が長年にわたって存続するのは決して当たり前のことではありません。

その意味でも、「アーカイブ・トランジション」のプログラム全体には大きな意義があったと考えています。私たちは、現代美術の先駆者たちから出発し、コソボのアートシーンが形成されていった初期の重要な出来事をたどってきました。

そして最後には、若いアーティストたちへとつなげたいと考えました。

例えば、2002年ごろの第一世代に属するタラやダリと、2024年にこの賞を受賞した非常に若いアーティストを、同じ流れのなかで紹介しました。こうすることで、世代を超えたつながりを生み出そうとしたのです。

また、この展覧会では、受賞者だけでなく、賞を支えてきたすべての協力者に目を向けることの重要性も示しました。 

展示では、当時のオリジナルのカタログも紹介しました。それらは保存状態などに配慮して個別に扱い、来場者が手に取って閲覧できるよう、別途コピーも用意しました。来場者はカタログを通して、作品やそのコンセプトについて、より詳しく知ることができました。

過去の展覧会を振り返り、出来事を再構成し、人々の記憶を収集することによって、このテーマは、コソボの現代美術史が今もなお書き直され、再発見され、再解釈され続けていることを示しています。

 その意味で、「アーカイブ・トランジション」は、単に過去を記録するためのプロジェクトではありません。未来に向けて、どのように文化的な記憶を築いていくのかを考える取り組みでもあります。

私たちは、過去と向き合いながら、記録し、アーカイブを構築し、同時に自分たち自身も学び続けてきました。このプロセスそのものが、「アーカイブ・トランジション」に取り組むことの重要な意味だと考えています。

それでは、「クリティコロジー」の話に移りましょう。

クリティコロジー―生態系、アイデンティティ、共生

 最後の主要テーマは「クリティコロジー(Criticology)」です。

このテーマでは、生態系、アイデンティティ、そして異なる生命形態が共存することの関係を探究しようとしました。(クィア・エコロジー:人間を自然の支配者と考えるのではなく、人間・他の生物・人工物・都市環境が相互に依存する関係として捉えること。)

特に、ダナ・ハラウェイの思想から大きな影響を受けています。彼女の考え方に基づけば、私たちは皆、互いに関係し合いながら生きる「コンパニオン・スピーシーズ(伴侶種)」として捉えることができます。 

つまり、人間は自然から切り離された存在ではありません。人間は常に、ほかの生命形態との関係のなかで存在しています。

また、私たちは自然やほかの生物を、人間がつくり上げてきた階層構造に基づいて捉えることにも疑問を投げかけました。人間が頂点に立ち、その下にほかの生物が位置づけられるという考え方です。

こうした視点を、このテーマの基本的なアプローチとしました。

ただし、「クリティコロジー」は私たちにとっても新しいテーマでした。そのため、展覧会を企画するだけでなく、教育プログラムにも力を入れました。

理論家、科学者、環境活動家などを招き、講義やパネルディスカッションを開催しました。さまざまな専門的立場から環境に関する問題を考え、議論する機会を設けたのです。

これまでに紹介してきたように、四つのテーマでは、それぞれ異なる展覧会の形式を採用しました。

最初の「Scanning the Region」では、地域の若いアーティストたちを中心としたグループ展を開催し、同じ地域のキュレーターと協働しました。

「Tekne」では、キュレーターを置かず、個展という形式を採用しました。

「Archiving Transition」では、記録、アーカイブ、調査研究に重点を置きました。参加者は必ずしも自分の作品を展示するのではなく、むしろ歴史を構成する存在として展覧会に参加しました。 

そして、最後の「クリティコロジー」では、さらに異なるアプローチを試みました。

二組のアーティストを招き、時間と空間の使い方を工夫しました。具体的には、3週間にわたる「オープンスタジオ」という形式を取り入れ、アーティストたちが公開された制作プロセスのなかで作品をつくることができるようにしました。

アーティストたちは、その期間中、スタジオ内でさまざまな活動を企画しました。ここに写っているのは、この展覧会に招かれたコレクティブの一つです。

彼らはイルとともに、オープンスタジオの期間中、さまざまな形式の活動を実施しました。3週間のあいだに、多くのワークショップやパネルディスカッション、講義が開催されました。その一方で、アーティストたちは同じ空間で作品の制作を進めていました。 

例えば、「プラスチックについて考える」セッションがありました。多くの人がプラスチックについて議論する企画でしたが、参加するための条件が一つ設けられていました。参加者は全6回のセッションに参加する際、それぞれプラスチックボトルを1本持参しなければならなかったのです。

アーティストたちは、持ち寄られたボトルを使って作品を構成し、展覧会のオープニングで発表しました。 

興味深いのは、この作品が参加者自身を作品の一部にし、制作体験そのものに巻き込んでいたことです。私たちは、このように空間をより実験的に活用することを試みました。

先ほども述べたように、私たちには、人々が集まり、話し合い、それぞれの必要としていることを共有できる場所が不足しています。このオープンスタジオは、アーティストが一定期間、自分の研究を進め、実験を行う機会になりました。

さらに、来場者が作品の完成形だけを見るのではなく、作品がどのように発展していくのか、その制作過程を実際に目にすることができた点も重要でした。

ギャラリーが制作スタジオへと変わったことは、来場者にも非常に好評でした。 

これまでの展覧会では、空間全体がピンクや紫などの色で統一され、完成度の高い展示空間がつくられていました。しかし今回は、そうした演出とは異なり、空間そのものの特徴を来場者に見てもらうことができました。

例えば、かつて自動車整備工場だった建物に残されているタイル、床、扉などです。以前の用途から受け継いだものが、そのまま空間に存在していました。

来場者は、このような空間のありのままの姿を楽しんでいました。それと同時に、ワークショップや講義、ディスカッションにも参加することができました。

この展覧会は、自然や環境に対する意識を高める場としても機能しました。

以前にもお話ししたように、コソボには、ほかにも優先的に取り組まなければならない課題が数多くあります。そのため、環境問題は、必ずしも緊急性の高い問題として認識されていません。

しかし、私たちは世界全体の動きのなかで生きており、さまざまな問題をほかの地域の人々と共有しています。環境問題もその一つです。私たち全員に関わる問題である以上、真剣に向き合わなければなりません。  

アーティストのイリヤ・フェリは、有機物と合成素材の境界を曖昧にする、ハイブリッドな環境の構築を試みました。彼は、3Dプリンターで石のオブジェを制作しました。そして、それらを土などの自然素材と組み合わせ、人工物と自然物が混ざり合うような状態をつくり出しました。

私たちにとって、これは空間を一種の実験室へと変える初めての経験でした。

来場者は制作の過程を観察し、議論に参加し、講義を聞くことができました。さらに、アーティストや生態学者、活動家たちと交流し、世界全体で環境問題がどのように捉えられているのかを知ることもできました。

このように、私たちは各テーマのもとで開催する展覧会において、さまざまな視点や方法を取り入れようとしました。 

「In the Making」―子どもたちと考える環境と創造性

 「In the Making」は、このテーマにおける第二の章として、これまでとは大きく異なるアプローチを導入しました。

展覧会の形式に合わせて、「In the Making 1」「In the Making 2」「In the Making 3」という名称を用いました。

今回のプロジェクトでは、6歳から13歳までの子どもたちがアーティストのダルダン・ジグロヴァと一緒に制作を行いました。

それまでのプロジェクトでは、アーティストが別のアーティストと協働することが多かったのですが、今回はダルダンが子どもたちと一緒に取り組むことを選びました。

目的は、想像力、遊び、そして共同で何かを生み出す創造的な活動を通じて、子どもたちが環境について考えることでした。

実際に生まれた成果は、素晴らしいものでした。 

開催時期がちょうどハロウィーンの時期と重なったこともあり、子どもたちが展覧会を訪れるきっかけにもなりました。

 作品の内容に関心を持った子どもたちや、クラスメートに誘われて訪れた子どもたちなど、非常に若い世代の来場者が多く集まりました。

子どもたちは、自宅にある素材を使って、棒を用いた人形をつくりました。布の切れ端や木の棒、その他の再利用できる素材などを使います。

例えば、以前着ていた服や、赤ちゃんのころに着ていた服を、新しい人形へと生まれ変わらせることもできました。 

制作の場には、とても温かな雰囲気がありました。アーティスト本人だけでなく、母親やきょうだいたちも参加し、子どもたちを手伝ったり、一緒に制作したりしました。

このプロジェクトを通じて、重要な環境の考え方を伝えることができました。それは、新しいごみを生み出すのではなく、すでにある素材を再利用するということです。

特に、繊維産業は世界でも有数の環境汚染源の一つです。古い衣服などを新しい作品に生まれ変わらせることは、環境への負荷を考えるうえでも意味があります。

それだけではありません。このプロジェクトでは、アイデンティティについても探究しました。それは、私たちが環境について考える際に取り入れているクィアの視点とも、ある意味で関係しています。

それぞれの人形は、ある種の理想化された自己を表現していました。

子どもたちは、人形というキャラクターを通して、自分たちの夢や願いを表現することができたのです。 

クィア・エコロジー―人間と環境のつながりを考える

 ニーナ・カトラー(Nina Kuttler)とディオン・ゼッキーニ (Dion Zegiri)の作品は、人間の活動が環境システムをどのように形づくっているのか、そして生態学的な問題が世界の経済構造とどのようにつながっているのかを探究したものです。

例えば、ニーナ・カトラーの作品では、きれいな空気が商業的な商品になってしまうディストピア的な状況が想像されています。 

これは、これまで植民地化や搾取の対象とされてきた地域の問題とも関係しています。空気の質が非常に良い、まだ手つかずの地域を開発し、その環境資源を商品化して販売できるようにする。そうした状況を想定しているのです。 

ここには、資本主義に由来する別の問題が表れています。彼女の作品は、私たちが現在目にしている世界経済の構造と、環境問題とを結びつけようとしています。

彼女は、コソボの水文気象研究機関が提供する実際の大気質データを用いました。そして国立公園を訪れ、汚染の程度を地図上に示すインスタレーションを制作しました。その作品では、将来、新鮮な空気がボトルに詰められ、商品として販売されるような世界が想像されています。

作品には実際のデータだけでなく、フィクションの物語も組み込まれています。その組み合わせによって、来場者は、空気が本当にきれいなのか、そして空気をボトルに詰めて商品として販売することが、いったいどのように可能になるのか、といった疑問を抱くようになります。

一方、ディオン・ゼッキーニは、人間の身体の内部に存在する微生物の世界を探究しました。彼は微生物学者と協働し、自分自身の食生活に関連する細菌を培養しました。

彼が食べたものをもとに細菌を培養し、そこで形成された細菌の形態を、彫刻的なインスタレーションへと変換したのです。 

彼は、比率や寸法を操作し、透明な素材や拡大された構造物を用いることで、私たちの身体の内部に生きている、目には見えない微生物の生態系を観察できるようにしました。

細菌を敵として捉えるのではなく、生命の循環をともに支える存在として認識するよう、来場者に促す作品です。

この二つのプロジェクトは、クィア・エコロジーの重要な考え方を示しています。つまり、人間は身体の外側にある環境システムとも、身体の内側にあるシステムとも、深く結びついているということです。

この展覧会は、来場者も制作のプロセスに関わることができたため、非常に好評でした。

例えば、ディオンはギャラリーのなかで樹脂を使い、さまざまな形態の作品を制作しました。来場者は、その制作過程を実際に見ることができました。

人々は、最終的に作品がどのように設置されるのか、オープニングでどのような姿を見せるのか、とても興味を持っていました。 

来場者は、細菌の形態を間近で見ることができたのも初めての経験だったため、非常に関心を示していました。

彼自身が細菌の形態を模倣して制作したものです。円筒形の容器に素材を入れるなどして、細菌がつくり出す形を再現しました。

そして、それを透明な樹脂素材のなかに入れることで、細菌の形態が見えるようにしたのです。

ディオンも、自分の経験を共有することをとても喜んでいました。

それでは、「In the Making」の第4章に進みましょう。 

人間と人間以外の存在がつくる環境:

 第4章でも、生態学的な関係性についての探究が続きました。特に焦点を当てたのは、人間と人間以外の存在が相互に作用する、ハイブリッドな環境です。

コソボ出身のアーティスト、ルイーザ・アパチェ(Luiza Thaqi)と、オーストリア出身のアーティスト、レナ・ヴィオレタ・ライトナー(Lena Violetta Leitner)を招きました。

 二人は再びオープンスタジオという形式で同じ空間を共有し、それぞれ作品を制作しました。

こちらはルイーザ・アパチェの作品です。

彼女のもう一つのプロジェクト「Garden of Hybrids(ハイブリッドの庭)」では、生態系を支配の仕組みとしてではなく、協働のシステムとして捉えています。 

このインスタレーションでは、自然の要素と人工的な要素が共存する風景が想像されています。種子や建築物の断片、時間とともに変化していく構造物などが組み合わされています。

 ここでも、先ほどと同じように透明樹脂素材が使われています。以前はあまり一般的ではなかった素材ですが、現在では使用するアーティストが増えています。

一方、レナ・ヴィオレタの作品は、プリシュティナで見過ごされてきた環境問題に焦点を当てました。それは、都市の地下に埋められた川の問題です。

かつてプリシュティナには、ルシャ川とプリシュテフカ川という二つの川が流れていました。しかし、これらの川は現在、地中に埋められています。

当時、人々は川をどのように管理すればよいのか、十分に理解していませんでした。水量などの問題に加え、都市のなかにさまざまな建物が建設されるようになり、川は、いわば黒く汚れた川へと変わっていきました。

最終的には、川そのものが地中に埋められてしまったのです。

彼女は、仮説的な天気予報という形式を通じて、埋められた川の存在に人々の注意を向けさせました。このプロジェクトでは、環境に関する調査と、神話的な物語が組み合わされています。

例えば、都市の地下から川が語りかけてくるとしたらどうだろうか。そうした想像を通じて、私たちが忘れてしまった自然の存在を浮かび上がらせています。

映像作品は、人工のプラスチック製プールに投影されました。映像自体も非常に完成度の高いものでした。 

このように、作品は都市の歴史、生態学的な記憶、そして気候変動に対する意識を結びつけています。

どちらのプロジェクトも、生態系は生物だけで構成されているのではないことを示しています。そこには、都市のインフラや風景、そしてこれまで隠されてきた環境の歴史も含まれているのです。

これらの章を通じて、クィア・エコロジーのプログラムは、複数の視点から生態学的な思考を深めようとしました。

自然を人間とは切り離された存在として提示するのではなく、種や素材、環境の間にある相互依存の関係を強調したのです。 

私たちが世界のなかで果たす役割を考えるうえで、これは非常に重要な視点でした。人間は自然の支配者なのではなく、生きているものと生きていないものが複雑につながり合うネットワークの一員なのです。

 教育プログラム―ギャラリーを学びの場にする

 それでは、教育プログラムについてお話しします。

私たちの社会では、必要な制度や専門機関が十分に整っていないことが少なくありません。教育の分野もその一つです。

だからこそ、私たちは自分たちにできる範囲で、教育システムに貢献する役割を担おうと考えました。教育は社会にとって非常に重要な基盤だからです。

コソボのように、正式な美術教育の仕組みが限られている状況では、ギャラリーそのものが学びの場、つまり教育的な空間になることができます。 

Galleria 17では、「Education Plus」や「Make Classes」といったプログラムを通じて、講義やワークショップ、分野横断的な学習の機会を提供してきました。

先ほど少し触れたかもしれませんが、コソボの教育制度は、ユーゴスラビアの崩壊に伴う1990年代の混乱によって、大きな影響を受けました。

当時、アルバニア系の人々は、自分たちの言語で教育を受けることを認められていませんでした。そのため、正規の教育制度とは別に、独自の並行教育システムがつくられました。

しかし、そこで提供される教育は、本来あるべき質を十分に備えたものではありませんでした。

戦争が終わった後も、教育制度を再建するには時間が必要でした。

こうした背景があるため、既存の制度を補う代替的な教育活動は、現在も非常に重要です。

そして今日においても、新しい世代のアーティストにとって、対話やワークショップ、知識交換のための場所をつくることは欠かせません。 

私たちは、さまざまな分野の重要な講師を招き、少人数制のクラスを開催しました。

彼らの実践や経験から学び、新たな関係を築くことができたのは、非常に良い機会でした。参加者は6〜8人程度の少人数に限定しました。そうすることで、講師やメンターと十分に時間をかけて議論し、個々の関心に応じて深く学ぶことができるようにしたのです。

クラスは1週間にわたって開催され、月曜日から金曜日まで、1日4時間のプログラムを実施しました。

 

そこで得た知識を、参加者が自分自身の専門的な活動に活用できるようにすることが重要でした。実践的で、具体的な成果につながる学びを提供したいと考えたのです。

講師には、アート、理論、テクノロジーなどの分野で活動する専門家を招きました。

ここで紹介しているクラスも、私たちが展覧会プログラムで扱ってきたテーマと関連しています。

例えば、アーカイブについて学ぶクラス、コソボに不足している文化機関のあり方を考えるクラス、テクノロジーやクィア・エコロジーに関するクラスなどです。

クラスの終了後には、参加者同士で集まり、意見交換を行いました。そこで感想やフィードバックを聞くと、多くの参加者が非常に満足していることが分かりました。

こうしたクラスは、彼らが正規の教育課程のなかで十分に得られなかった学びを補うものだったのです。 

翌年には、文化機関における創造的な戦略の立て方を教えてくれる講師も招きました。

また、テクノロジーを背景に、メタバースや地域空間をマッピングする活動を行っている人や、既存の美術機関の外側で実践を行っている人にも参加してもらいました。

こうした取り組みも、私たちにとって重要でした。 

さらに、「協働的な実践としての出版」もテーマの一つとなりました。

私たち自身の歴史を記録し、出版することの重要性が、ますます高まっているからです。自分たちの歴史を、自分たち自身の手で記述していくプロセスが必要なのです。

ここにあるのは、実際に行われたクラスの様子です。

少人数の参加者が非常に強い好奇心を持ち、専門家からもっと多くのことを学ぼうとしていた姿が印象的でした。 

例えば、ベルリンで「WirrWirr」というプロジェクトスペースを運営しているエイプリルとエイドリアンは、参加者に食材を一つずつ持ち寄ってもらい、全員でスープをつくるワークショップを行いました。

一緒に料理をし、レシピを書き残し、食事を共にする。そうした時間そのものを、学びの一部として捉えたのです。

別の活動では、参加者が近隣地域に出て、ごみを集めました。集めた素材を洗浄・消毒し、スキャンして、それぞれの素材に関するデータを記録しました。

そして、それらをまとめてジンも制作しました。 

 

これは、共通の経験や関心をもとに、情報を共有しながら協働することで、一つの成果物を生み出せることを示す素晴らしい例でした。

ほかにも、さまざまなクラスを開催しました。

私たちにとって興味深かったのは、アーティストたちが、通常の教育制度ではあまり見られない、実験的で分野横断的なカリキュラムから学んでいたことです。 

参加者は実際に手を動かし、議論し、自分が関心を持つ問題について深く考えることができました。 

そして、この場所は、皆が集まって話し合い、交流し、一緒に時間を過ごす場所にもなっていました。 

Pop-Up Art Week―地域のアーティストに発表の機会を

 最後に、「Pop-Up Art Week」について紹介したいと思います。これが最後のテーマになると思います。

私たちがテーマ別のプログラムを実施するなかで、興味深い変化が起こりました。

最初の年に、四つの主要テーマに沿って展覧会を開催したところ、多くのアーティストから、自分たちもGalleria 17で作品を展示できないかという問い合わせが寄せられるようになったのです。

私たちのスペースは、地域のアートコミュニティにとって、急速に関心を集める場所になりました。

私たちは、こうした関心やニーズに応えたいと考えました。しかし、同時に、当初から計画していたキュレーション・プログラムを変更したくはありませんでした。

そこで生まれたのが、「Pop-Up Art Week」です。

毎年、主要プログラムが終了した後の年末に、1週間だけギャラリーを開放し、アーティストやアーティスト・コレクティブによる期間限定の展覧会を開催することにしました。

開催時期は、通常12月後半です。

この取り組みは、ギャラリーに新しい活気をもたらしました。特に若いアーティストたちにとって、自分の作品を発表する貴重な機会になりました。 

なかには、Galleria 17で初めて展覧会を開催したアーティストもいました。

また、地域の人々が集まり、互いの作品を見て交流し、年末に一緒に時間を過ごす機会にもなりました。

こちらの年には6組、こちらでは4組、別の年には3組が参加しました。

参加者は互いの作品を鑑賞し、意見を交換しました。

私たちは、展示に必要な機材や空間を提供し、小規模なレセプションも用意しました。作品の設営については、制作チームもサポートしました。

つまり、技術面や展示の準備に関する部分は、基本的に私たちが支援しました。

一方で、作品のコンセプトや展示内容は、アーティスト自身が決定しました。

これらの展覧会は、基本的にキュレーターを置かない個展形式でした。 

アーティストが自分自身の作品をどのように構成し、発表するのかを見られる、良い機会にもなりました。 

また、アーティスト自身が来場者向けのガイドツアーを行いました。来場者は作品を見るだけでなく、アーティスト本人からコンセプトや制作の意図について話を聞くことができました。

この取り組みは、地域コミュニティのニーズを起点として、ギャラリーの活動をさらに広げていくための、とても良い方法だったと思います。

Galleria 17の4年間―活動の成果とこれから

 ここまでの活動を、簡単にまとめたいと思います。

4年間で、Galleria 17は16の主要な展覧会を開催し、合計98人のアーティストが参加しました。それぞれの展覧会に関連して、ワークショップや講義、パネルディスカッションも実施しました。

正確な総数は把握できていませんが、アーティストが作品を発表する追加の機会として、15回のポップアップ展も開催しました。

また、先ほど紹介した教育プログラムでは、多くのクラスを実施しました。さまざまな形で参加した人々は100人を超え、アーティスト、クリエイター、研究者、組織など、150を超える協力者と連携しました。

 4年間の活動を終えるにあたり、私たちは一度、これまでの取り組みを振り返り、全体を整理したいと考えました。

2021年から2025年にかけて、Galleria 17は、実験、包摂性、協働を促進する活気ある拠点へと成長しました。

私たちは、展覧会やワークショップ、批評的な対話を通じて、地域のアートシーンと国際的なアートシーンを結びつけ、コミュニティを形成しようと努めてきました。 

ただ、今年は新しいサイクルに向けた準備を進めています。少しペースを落とし、これまでの活動を振り返りながら、次に何をすべきかを考えているところです。

私たちにとって、この時間を取ることはとても重要でした。今後どのような活動を行いたいのか、何が必要なのかを改めて考える機会になったからです。

もちろん、私たちにはまだ多くの課題が残されています。

それでも、今回の経験が、ほかの団体や文化的な取り組みに携わる人々にとって、何かの参考になればと考えています。私たちが行ってきたような活動を、別の場所でも実践してもらえたらうれしいです。

例えば、現在では、ほかの非政府組織(NGO)も活動を展開しています。

その一つが、ペトリ・タリタが運営するハイディ財団です。彼は国際的にもよく知られたキュレーターであり、財団も設立しました。特にここ2年間、活発に活動しています。

また、国立美術館も、アーカイブの構築や資料の記録に力を入れています。

このような意味で、Galleria 17の活動は、私たちだけに限られた特別な事例ではありません。

 私たち以外にも、コソボの文化や現代美術の歴史を記録し、次の世代へとつなごうとする取り組みが生まれているのです。

これまでの活動を記録し、次の段階へ進む

 もちろん、まだやるべきことはたくさんあります。しかし、これまでの活動を振り返り、何が必要なのか、そして私たちのような取り組みをほかの団体にも広げられるのかを考える機会になりました。

実際に、ほかのNGOの活動も見られるようになっています。たとえば、ハイディ財団(Heidi Foundation)があります。世界的に知られるコンセプチュアル・アーティストのペトリ・タリタが運営している財団で、特にここ2年ほど、活発に活動しています。

また、ナショナル・ギャラリーも、アーカイブの構築や記録の作成に力を入れています。

そういう意味で、Galleria 17の活動は、私たちだけで完結する物語ではありません。現代アートが、私たちの時代の社会的・政治的な問題に継続して関わり続けられるよう、文化のエコシステム全体を強化しようとする、より大きな共同の取り組みの一部なのです。

私たちは、2027年から2031年までの新たな活動サイクル、つまり新しい戦略を策定するにあたり、まず、これまでの活動を記録することに取り組んでいます。Galleria 17の最初の活動サイクルを記録し、最初の出版物を制作しているところです。私たちはこれを、大規模なアーカイブ出版物と呼んでいます。

この本には、過去数年間に開催した展覧会や教育プログラム、テキスト、ビジュアル資料など、私たちが取り組んできたことを記録する予定です。

そのため、今年はギャラリーの活動を一時的に休止しています。ほかに理由があるわけではなく、これまでの活動を振り返り、適切な形で記録する時間を確保したいからです。過去の活動では、記録しきれなかったこともありました。今回は、それらも含めてきちんと残したいと考えています。同時に、新しい戦略の策定も進めています。

これまでの展覧会を通して、コソボのアートについて、あることに気づいていただけたのではないかと思います。コソボでは、芸術家たちの活動や作品が生み出されるスピードに、それらを記録する仕組みが追いついていないことが多いのです。

長期にわたる政治的な移行期の影響もあり、作品や活動を十分に記録し、保存することができませんでした。その結果、多くの実践が個人の記憶の中に断片的に残るだけだったり、公の場で十分に言語化されないままになったりしています。

私たちがこれまでの経験を体系化しようとしているのは、今後参照できる資料や記録をつくるためです。

過去数年間の活動の中で、必要な参照資料が見つからないこともありました。だからこそ今回は、構造的で、きちんと整理されたものを残したいと考えています。

現在制作しているアーカイブ出版物は、そうした状況に対する応答でもあります。まずは4年間の活動を記録するものですが、同時に、現代アートの分野において、文化機関が自らの活動を記録する仕組みが十分に整っていないという、構造的な問題に対するひとつの働きかけでもあります。

出版物は、今年の11月に刊行する予定です。

一方で、公開プログラムやレジデンス・プログラムは引き続き実施しています。そして、ギャラリーとしては新たな戦略のもとで活動を継続していきます。今後は、環境問題により重点を置くつもりです。

これが、今の私たちの基本的な方針です。

すでに、アーカイブや記録の作成に力を入れている機関もあります。そのため、私たちは環境問題により集中するのがよいのではないかと考えました。エコロジー、エコフェミニズム、クィアネス、政治的・社会的なエコロジーなど、さまざまな観点から環境について考えていきたいと思っています。

おおよそ、以上が今後の方向性です。 

最後に

 これにて、長くなりましたが私からのレクチャーを終わりにしていきたいと思います。

今後も私たちは、それぞれの社会的な背景や歴史を通じて、困難な状況を生き抜くための力を身につけてきました。一方で、制度が確立されている国や、少なくとも、より整った仕組みを持つ国から学ぶことも必要です。そこから知識や経験を交換できればと思っています。

私たちがこれまでの活動を通して学んだことのひとつは、ひとつのつながりが、次の協働を生み出すということです。

だからこそ、人と人とのつながりは、とても重要だと思っています。

最後に、ひとつ伝えたいことがあります。

もちろん、それぞれの文化的な環境には、独自の歴史や制度的な構造があります。皆さんが置かれている環境と、私たちがコソボで経験してきた環境は、大きく異なるかもしれません。

それでも、どのような文化的な環境にも共通することがあると思います。

文化のエコシステムは、固定されたものではありません。

そこに参加する人々によって、絶えず形づくられていくものなのです。

だから、皆さんにも、ぜひ勇気を持ってほしいと思います。好奇心を持ち、自分たちが置かれた状況や、直面している問題に対して、疑問を投げかけてください。

そして、既存の仕組みや制度に挑戦してほしいと思います。

文化のエコシステムは固定されたものではないからです。

すぐに直接的な変化を起こすことは難しいかもしれません。それでも、先ほどお話ししたように、変化は横方向にも広がっていきます。

強い意志と好奇心があれば、皆さんも状況を動かし、何かを変えることができるはずです。

お話しする機会をいただけたことに、心から感謝しています。今回の講義がうまくいったことを願っていますし、少なくとも皆さんに刺激を与え、社会に変化をもたらすような活動に取り組むきっかけになっていたら、とてもうれしいです。

コソボやこの地域を訪れることがあれば、どうぞ遠慮なく連絡してください。

皆さんをお迎えできることを、心から楽しみにしています。本当にありがとうございました。

またお会いできることを願っています。

Q&A

 Q1 ASB):

ありがとうございました。今回のプレゼンテーションは本当に充実した内容でした。長い時間をかけてお話しいただき、ありがとうございます。とても貴重な機会になりました。

4年間にわたるこれほど精力的なプロジェクトについて考えると、今回のプレゼンテーションの時間だけですべてを紹介するのは難しいですよね。アーカイブや、これまでに取り組んできたプロジェクトをすべて見せていただくことはできなかったと思いますが、それでも多くのことを学ぶことができました。

コソボのアートやアーティストをつなぐ拠点として、皆さんが果たしている役割について知ることができて、とてもうれしく思います。

この4年間、あるいはそれ以前から続けてきた活動を通して、実際に多くのことを変えてきたのだと思います。今は、これまでの成果に満足していますか。それとも、まだ取り組みの途中という感覚でしょうか。

A1 Koja):

小さな独立系の文化機関が、文化システムの未来に影響を与えることはできるのだろうか。

これが、私たちが自分たちに問い続けていることです。

直接的に大きな変化を起こすことはできないかもしれません。しかし、影響というものは、必ずしも上から下へと伝わるわけではありません。横方向に広がっていくこともあります。

私たちは、アートの仕組みをより強くすること、展覧会やキュレーションのプログラムを通して実験すること、そしてアーカイブや記録をつくるための異なるモデルを生み出すことによって、少しでも影響を与えられたのではないかと考えています。

先ほどもお話ししたように、コソボの社会や文化機関には、まだ十分に整っていない部分があります。

コソボのアートの仕組みは、依然として比較的脆弱です。公的な文化機関は、構造的な制約に直面しています。私たち自身も同じような制約を経験していますし、政治的な移行期が長く続いたことで、記録やアーカイブ、さらには機関の継続性といった、さまざまな面に空白が生まれています。

だからこそ、いったんペースを落とすことにしました。この期間、私たちは本当にたくさんのことに取り組んできました。今は少し立ち止まり、アーカイブ出版物を通じて自分たちの活動を改めて言語化し、何をしてきたのかを振り返る必要があると考えています。

私たちの周囲に、実際に何らかの変化をもたらすことができたのか。そして、次に何をすべきなのか。

私たちは、もう一歩先へ進みたいと思っています。

そして、後に続く人たちを励まし、刺激する存在になりたいのです。同じ道をそのまま歩んでほしいわけではありません。むしろ、新しい道を切り開き、扉を開いていきたい。

それは、これまでの活動を通して、ある程度実現できたことだと思いますし、これからも続けていきたいと考えています。

もちろん、やるべきことはまだたくさんあります。それでも、自分たちの歩みを止めずに続けていきたいと思っています。少なくとも、何かを変えることができたのではないかと願っています。

Q2 ASB):

ありがとうございます。少し違う質問をしたいと思います。コソボは旧ユーゴスラビア諸国の中でどのような位置にあるのでしょうか。また、ほかの旧ユーゴスラビア諸国とは、どのような関係にあるのでしょうか。

A2 Koja):

コソボは、ユーゴスラビア時代には州のひとつでした。ほかに共和国があり、コソボとヴォイヴォディナは州として位置づけられていました。

私たちは州として扱われていたため、さまざまな構造的な空白が生まれました。

もしコソボが別の形で扱われていたなら、少なくとも近代美術館のひとつくらいは存在していたかもしれません。でも、私たちはひとつの国としてではなく、州として見られていたのです。

一方、コソボの住民の約90%はアルバニア人でした。しかし、私たちは独立した人々として扱われていたわけではありませんでした。そうした状況があったのです。

理論上、ユーゴスラビアという構想には、とてもよい面もありました。ある時期には、私たちも比較的よい立場にありました。

ところが、1984年ごろから状況が変わり、私たちは自治権を失い、ユーゴスラビアの枠組みの中で持っていた権利も失っていきました。

そこから、さまざまなナショナリズムの言説や構造が生み出されるようになりました。それが、ユーゴスラビアの崩壊につながったのだと思います。

1991年には、スロベニアが独立を目指し、いわゆる「十日間戦争」が起きました。その後、ほかの国々も続きました。クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナでは、長期にわたる戦争が起こりました。

その間、私たちは、いわば最後までひとつの閉ざされた環境の中に取り残されていました。

先ほどもお話ししたように、私たちは自分たちで仕組みをつくらなければなりませんでした。教育プログラムを実施することさえ認められない状況があり、言語を使うことや、さまざまな権利を行使することも制限されていました。

私たちは公的な文化機関や教育機関から排除されていました。そして、今もその時代の影響を多く引き継いでいます。

その一方で、私たちは自分たちで組織をつくり、主体的に活動を始める力を身につけました。自分たちで何とか生き抜くための力です。これは、いわば「生き延びるための学校」だったのだと思います。

しかし、国家を築くという点では、大きな困難があります。

私たちの発展は途中で中断されてしまいました。短い期間に、非常に多くの政治的な変化が起こりました。そのため、国として必要な仕組みを整え、社会を機能させることは簡単ではありません。

私たちは、制度の構築や教育プログラムの整備において、大きく出遅れました。安定した国、そして本来あるべき発展した国になるには、時間が必要なのです。私たちもヨーロッパの一部ですから。

繰り返しになりますが、政治的にも制度的にも、私たちは周縁に置かれたままなのです。

Q3 ASB):

少し気になっていることがあります。

コソボはまだ若い国ですよね。一般の人々は、日常生活の中で、自分たちのアイデンティティや国籍、政治的な状況について、どのくらい話すのでしょうか。

たとえば、友人とビールを飲んでいるときなど、普段の会話の中で、そうした話題はよく出てくるのでしょうか。

A3 Koja):

そうですね。ナショナリズムは、かなり強く存在しています。

それはコソボだけのことではなく、この地域全体に言えることです。私たちがさまざまなステレオタイプで見られるのも、そのためでしょう。もちろん、そうしたイメージの背景には、実際に存在する問題もあります。

ただ、若い世代はとても開かれています。教育を受け、さまざまな場所を訪れ、異なる文化や考え方に触れています。

1990年代には、私たちは本や、さまざまな思想に十分にアクセスすることができませんでした。しかし今は、自分から学びたいと思えば、知識を得ることができます。知識へのアクセスが、より民主化されたのです。

若い人たちや学生たちは、とても開放的で、国際的な視野を持っています。親の世代が強く抱いてきたナショナリズム的な考え方から、距離を置く人たちもいると思います。

若い世代は、確実に変化をもたらしています。

私自身、母親として、息子を以前とは違う考え方で育てようとしています。息子やその友人たち、そして今の若い世代には、もう二度と戦争を経験してほしくありません。

ナショナリズムやイデオロギーがもたらすのは、結局のところ、戦争や対立です。

では、争いの中で誰が勝つのでしょうか。

誰も勝ちません。争いを始めた人も、自分には権力があると思っている人も、誰もが多くのものを失います。戦争では、すべての人が大きな損失を被るのです。

だから、ナショナリズムは依然として存在しているものの、この数年間で状況はかなり変わってきたと思います。若い世代は、世界で起きているさまざまな動きに触れる機会が増えています。

残念ながら、今の世界の状況は決してよいとは言えません。それはコソボだけでなく、地球全体に言えることです。

それでも、平和や安定、よりよい暮らしを求めるという点では、コソボの若者も日本の若者も、とても似ているのではないでしょうか。

Facebook
Twitter